第6話 クライヴ・バスカヴィル


「あーあ……何だアイツ。流石ってヤツ?」

 銀髪に赤い瞳の少年が去った路地裏に、一人残された追跡者の青年。彼は少年が駆け込んだ路地をぼんやりと眺めていた。その表情は少年を追っていた時とは別人のように気怠げで、標的に逃げられた悔しさらしいものは微塵も感じられない。

 現状、青年に逃がした獲物を追う気は無かった。流石に騒ぎ過ぎた自覚がある。加えて丁度良い遊び相手かと期待していた所を、あんなに真面目くさって逃げられては興醒めも良い所だ。

 ──もっとも、何処か覚えのある雰囲気に、つい動きを読み違えたというのもあるが。

「これだからガキの相手は嫌なんだよなぁ」

 勢いの無くなったゴミ箱の小火を雑に踏み付けにして消し、青年はぼやきながらカービンを拾う。至近距離で撃たれた上に、投げつけられて取り落としてしまったが、どうやら壊れてはいないらしい。機関部の要所を手早く確認して、軽く息を吐く。

 ――これで武器まで壊していたら、あの人に何を言われるか分かったものじゃない。

「クライヴ君!」

 唐突に名前を呼ばれ、青年が顔を上げる。道の先に一台の車が停まっていた。開いた運転席の窓から、三十路手前といった風情の男が半身を乗り出している。

「ああ、どうも」

 見覚えのある運転手に、ぺこりと頭を下げるクライヴ。しかし男はそれを歯牙にもかけず、凄い剣幕で怒り出した。

「『どうも』じゃないですよ、何してるんですかこんなに派手に! それも銃まで持ち出して! 通報とかされたら洒落になりませんよ!」

「あーあー分かったって。早々にお説教とか勘弁してよ、イワンのばーか」

「またそうやって! 大体僕の名前はイアンです、ロシア文学みたいに言わないで下さい!」

「はいはい、分かりましたー……っと、あれ?」

 気のない様子でひらひらと手を振って、クライヴは車に近付いた。そこでふと、助手席が空いているのに気付く。彼はやや目を細め、イアンに訊ねた。

「あの人は?」

 それを聞いたイアンは、付き合っていられないとばかりに首を振る。

「リンさんなら別件でどうしても手が離せないそうです。でなきゃ真っ先に飛んで来てますよ、君に大目玉食らわせに」

 その言葉に、剣呑だったクライヴの表情が弛緩した。

「あっそ。まあそんな所か」

 素っ気なく、しかし何処か満足げに頷くと、クライヴは後部座席のドアを開けた。我が物顔で乗り込む彼に、イアンが声を掛ける。

「ただし、そのリンさんから伝言を預かってます」

「え? ……ふぅん、何て?」

「『言い訳は聞かん、覚悟は良いな』――だそうで」

 一瞬きょとんとしたクライヴだったが、すぐにぷっと吹き出して笑いだす。

「っはは、了解。そりゃ相当怒ってんね」

「当然でしょう! 君ね、」

「はいはいはい、後で聞きますよ。いーからさっさと出して下さい」

 とことんまで悪びれないクライヴに、大きな溜息を吐くイアン。

 ――彼の相手がまともに出来るのは、我らが上司くらいのものだ。今夜の事は運が無かった、そう、犬に噛まれたとでも思っておこう。

 諦め半分の判断を下し、イアンは市内中央地区の拠点へ向けてアクセルを踏み込んだ。

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