第7話 (アン)ラッキー・ガイ


 裏路地から見上げた狭い夜空は、生憎の曇天だった。

「んだよ、野暮ってぇなぁ」

 やれやれ、とジャックは煙草に火を点す。裏通りに面した通用口の脇。それが彼の定番の喫煙所だった。万に一つでも客の目に付きうる店内で従業員が煙草を吸うなど言語道断、というのがオーナーの方針だ。愛煙家のジャックは随分肩身の狭い思いをしていた。

「……あん?」

 ごそりと物音が聞こえた気がして、ジャックは耳をそばだてる。再び、ごそり。やはり聞き間違いではないらしい。音を立てるという事は向こうに身を隠すつもりは無い、同時にやましい所も無い、筈だ。そうは思いつつも、ジャックの身体は自然と緊張する。気を抜けばすかさず襲い来るこの街の冷たい一面は、幼い頃から身をもって知っていた。

 程なくして路地の先から現れたのは、意外にも良く知った顔だった。

「あれ。ジャック兄」

 あっけらかんと声を掛けられ、拍子抜けするジャック。ノア、と思わず名前を零せば、幼さを残した相手の顔に笑みが浮かぶ。

「何だ、お前かよ」

「何だとはご挨拶だなぁ」

 ノアは心外だとばかり両手を広げた。好奇心の強そうな瞳と毛質の柔らかそうな髪は揃いの胡桃色で、見る者にしなやかな野良猫を思わせる。歳の頃は十七、八といった風情のノアは、ジャックにとっては路地裏時代からの知り合いで、長い付き合いの弟分だ。その見慣れた顔は、しかし見慣れぬ荷物を携えている。街を駆け回るのが仕事の少年には到底不釣り合いな、重厚感たっぷりのアタッシュケース。見るからに重そうな手荷物を本人はそう気にしてはいないのか、ノアは普段と変わらぬ様子でジャックに歩み寄った。

「シケた夜だね」

「全くだ。厄介事ばっか増えやがる」一つ煙を吐いて、ジャックは思い出したように続ける。「お前んとこも大変らしいな」

「そうそう。かれこれ半月くらい探し物してんだけどさ、手掛かりなんかまるでナシ。最近じゃギリギリの囮使ったりして――あ、そうだ」

 ノアがふと、手に持つアタッシュケースに目を遣る。同時に、ジャックの脳裏には警報が。

「これ、」

「いらねえ。」

 食い気味に答えたジャックに、慌ててノアが弁解する。

「悪いモンじゃないって! ただちょっとウチで処分するのは面倒っつーか」

「お前んとこで処理できねぇとかよっぽどだろ!」

「そんな事ねーってば、大丈夫大丈夫」

「とにかくいらねぇ!」

 全力で拒否するジャックだが、ノアにそれを聞き入れる気は無いらしい。あまつさえアタッシュケースを振りかぶると、

「よーしジャック兄、いっくぜー!」

「馬鹿いらねえっつって――」

 投げた。

 勢いもタイミングもパーフェクトな一投だ。綺麗なアンダースローで放られたアタッシュケースは、ジャックの顔面めがけて飛んでいった。

「うおぉっ!?」

 直撃コースを間一髪でジャックが避け、アタッシュケースは彼の後方のへと飛び去って行く。

「「あ。」」

 次の瞬間、物陰から鈍い音が響いた。続けて何かが倒れるような物音。

「あーあー、おいどーすんだよ……あ?」

 向き直ったジャックの前に、既にノアの姿は無い。十数メートル離れた路地の先に、遠ざかる背中があるだけだ。

「野っ郎……!」

 追いかけようかとも考えるが、それには差を付けられ過ぎている。ジャックは苦々しげな舌打ちを零すと、被害の確認のために物陰を覗き込んだ。

 そうして、彼はそれを見つける。

「おいおい、冗談だろ……」

 そこには、一人の少年が倒れていた。日に焼けた色黒の肌、短い銀髪は土埃で汚れている。

 すぐ傍には彼を襲った凶器――ノアの放ったアタッシュケースが、ぱっくりと口を開けていた。ついでにその中身だった筈のものが、衝撃で辺りに散らばっている。

 それは、袋詰めされた大量の白い粉だった。

 言い逃れの出来ない場面を前に、グレイフォート一の『ラッキー・ガイ』を自称するジャック・ローウェルは天を仰ぐ。

「あー……厄日か、今日は。」

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