第3話 ジャック・ローウェル


 そのカジノは、グレイフォートという観光都市にありながら、観光客の為の店ではない。

 店の名前は『カジノ・ショーメイカー』。

 ゲストを迎える労働者にも、息抜きの場は必要だ。街一番の大財閥であるショーメイカーの手で直々に誂えられた『市民の為の遊技場』は、数十年の歴史を誇る、グレイフォートでも老舗のカジノである。言うまでも無く、その歴史は街のカジノ合法化よりも長い。

 今では店の名物でもある三人の凄腕ディーラーのお蔭で、市公認のガイドブックにも載り、旅行者のゲストも増えた。『ショーメイカー』には地元、市外を問わず、果ては海外からも、多くの客が訪れる。

 しかし客足が増え名物店となっても、カジノの根底にある思想は変わっていない。『カジノ・ショーメイカー』のゲストは店での振る舞いによって量られる。客の器を量るのは百戦錬磨のディーラー達だ。姑息な詐欺をはたらく輩にはそれ相応の『天罰』を。そして身近な者の小さな幸せを願う者には、ささやかな『幸運』を。

 その理念は、今日も一つのテーブルで実現される。

 店内中ほどに位置するブラックジャックのテーブルで、一人の男が迷っていた。顔馴染みの男達と卓について、早二時間。時間的にも金銭的にもこれが最後の一戦だった。掛け金は小遣い程度の額だが、男にしてみれば他でもない自分の小遣いだ。つい熱くなって手持ちの殆どを賭けてしまったが、全額棒に振ってしまう訳には行かない理由が彼にはあった。

 他の仲間は全員受けるをスタンド降りるサレンダーかしてしまっている。迷っているのはもう自分のみ。焦りと緊張に堪りかねた男は、テーブルの向こうのディーラーをちらりと窺う。

 これまた顔馴染みのディーラーは、収まりの悪い赤茶の髪をオールバックに撫で付けた若者だ。卓を降りれば人好きのする青年で、男も含め常連ならば一度は彼と備え付けのバーで酒を共にした事があるだろう。だが今は自らの仕事に徹し、ただ上品な微笑を浮かべるのみだ。その胸には『ショーメイカー』のスタッフの証であるプレートが光っている。「ジャック・ローウェル」と名前の記されたそれは、このカジノ独特の不正対策ルール。即ち担当者の素性を明かす事によって、店側、ないしディーラー単位でのイカサマを阻止するという抑止力だった。

 結局、ジャックの繕ったような笑みからは何も読み取れず、男は手札に視線を戻す。目の前に広がるのは五枚のカード。手持ちにはA、2、4、5が並び、テーブルに置かれたオープンカードは3、手札の合計は未だ15だ。ここから合計をより21に近付けつつ、かつ21を超えないよう勝負を進めて行かねばならない。

 一方で倒すべきディーラー・ジャックの手札は三枚で、そのうち明かされている手札は名前の通りのJだ。ディーラーは手札の合計が16以下なら問答無用でカードを追加しなければならないというルールがあるため、彼の手札は17以上と見て間違いない。このままでは男の負けは決まっている。

 男が上手く6以下のカードを引ければ「6枚以下シックスアンダー」、更には「7枚以下セブンアンダー」で手役を狙え、さらに丁度6ならエース・トゥ・シックス――AとJのブラックジャックにも劣らない、高い手役が成立する。しかし7以上を引いて21越えバーストすれば問答無用で負けである。今はトランプ2デッキを使っての勝負の終盤、全てのカードを使い捨てるブラックジャックの特質上、今までの勝負を思い返せば残りのカードの大雑把な検討は付く。狙い目である6以下のカードは、恐らく多くは残っていないというのが男の予想だった。

 であればいっそ勝負を降りて、賭けた金の半分を確実に返して貰う手もある。ここのハウスルールでは、降伏サレンダーは冒頭のディーラーの手札の確認後、いつでも出来ることになっていた。

 男にしてみれば、金は出来れば多い方が良い。おまけに勝ちが無い訳ではない。しかし仮に勝負に負けてしまえば、明日は――。

「つかぬ事を伺いますが」

 考え込んでいた男に、不意にディーラー――ジャックが声を掛けて来た。

「娘さんはお元気ですか?」

 唐突な質問に、男は戸惑いつつも答えた。それこそ、彼が負けられない理由だ。

「ああ。明日で六つになるんだ」

「お誕生日でしたか。それはおめでとうございます」

 上品な笑みのまま軽く頭を下げるジャックを、男はしばし見つめ――やがて、決意したように言う。

「……もう一枚、貰おう」

「どうぞ」

 伏せたままのカードが男の前に置かれる。

 男は震える手をカードへと伸ばす。生唾を呑み込む音が、拍を早める鼓動が煩くて敵わない。

 そっとカードの角をつまみ、そして一気に表へ返した。

 現れたのは――ハートの6。

 男の手役が、そして勝利が確定した瞬間だった。

「やった! やったぞ!」

 席から飛び上がってガッツポーズをする男。実際にやった事はと言えばカードを一枚引いただけなのだが、遊技場ではご愛嬌だ。一緒に卓についていた男の知人、そしてテーブル周りのギャラリーからも笑いが零れ、温かな雰囲気が周囲を包んでいく。

「おめでとうございます。勝負の女神から、娘さんへのプレゼントでしょう」

 微笑むジャックはごく僅か、ほんの微かに声を弾ませる。それはまるで、悪戯に成功した少年のような響きでもって。

「どうぞ、娘さんに素敵な誕生日を」



 感極まった男から平均以上のチップを受け取って、ジャックは上機嫌で卓を離れた。足取りも軽い彼に向け、「お見事でした」と脇から声が掛かる。

「おう、シャロン。お嬢さん方の相手は良いのか?」

 先程までとはうって変わって粗野な口調で言うジャックに、声の主はにこりと笑ってみせた。

 レモンを思わせる華やかな金髪と、ライムのように瑞々しい翠の瞳。ディーラー仲間のシャロン・オースティンは、その中性的な顔立ちと紳士的な物腰から、ファンの女性達の間で『王子嬢ミス・プリンス』と渾名されている。その名に恥じない爽やかな笑みで、彼女はジャックへ歩み寄った。

「少し手が空いたので。――相変わらず良い目と腕ですね」

「何の話だ?」

 わざとらしく空とぼけて見せるジャックに、シャロンは肩をすくめて苦笑を零す。

「さっきの常連さんと、その前の手癖の悪い詐欺ヤローの話です」

 綺麗な顔でしれっと暴言を吐く同僚を特に窘めるでもなく、ジャックはけらけらと笑って見せた。

「おーおー、あいつぁ酷かったぜ。勝手に大盤振る舞いして自爆して、挙句にちゃっちいイカサマなんか仕掛けようとしやがってよ。思わず勝負の女神様にチクっちまった」

 言いながら手首を軽く捻ると、その手中にハートのクイーンが忽然と現れる。シャロンはそれを受け取って、訳知り顔で頷いて見せた。

「ははあ。『勝負の女神の名の下に』実力行使って訳ですか」

「よせよ人聞きの悪い。俺はあくまで告げ口しただけ、ってな」

 悪びれずに答えるジャック。しかしそのしたり顔は長くは続かず、すぐに表情を曇らせる。

「しっかし最近、ああいう阿呆が多すぎやしねぇか? こないだなんかあわや暴力沙汰ってのもあっただろ。賭博場はオトナの社交場、どんなに負けが込もうとも、出して良いのは口までだ。客としてのマナーも守れねぇ奴がこうも増えてるってのは、単に世も末ってだけじゃあなさそうだ――と、俺は踏んでるんだが?」

 オマエは何か知っているだろう、と問うジャックの視線を、シャロンは躊躇なく首肯する。

「ええ。ですから」

 言葉を区切り、シャロンが足を止めた。カジノに併設されたバーの中、カウンターを指し示して彼女は言う。

「その件で話があるそうですよ。オーナーから」

 その瞬間、ジャックは盛大に顔をしかめた。

「オーナーだぁ? まーた来てんのかよ、あのボンボン」

「――聞こえているぞ被雇用者」

 飛んできた声に、ジャックはいよいよ肩を落とした。信じたくない一心でカウンター席を窺うが、現実とは非情なもので、予想通りの人物がそこにいた。

 輝かんばかりの金糸の髪に、純白の三つ揃えに劣らない白磁の肌。神々しいほどの白と金で統一された出で立ちの中、晴れた空と同じ色の瞳がアクセントを添えている。

 ヴィンセント・ショーメイカー。

 カジノ・ショーメイカーのオーナーにして、ホテル・観光業を主力に据えたグレイフォート最大の複合企業体、ショーメイカー・コンツェルンの若き御曹司。

 VIPらしい荘厳さを漂わせる青年は、不敵な笑みを浮かべて言う。

「オレがいつオレの店に来ようがオレの勝手だろう。一々文句を言うな」

「へいへい、どーもスイマセンね若旦那」

 ジャックは頭を掻きながら青年の隣に腰を下ろす。抵抗するだけ無駄だろう。社会的立場の問題以上に力関係の問題だ。傲慢な友人でもあるこの青年の強引な頼みは断れないという事を、ジャックは経験的によく知っている。

 しかし、そうして改めて間近で見た上司の顔は、普段より幾分か覇気に欠けていた。

「と、言いたい所だが。今回は『理由』がある。不服ながらな」

 苦々しげに柳眉を寄せるヴィンセント。彼には珍しいその様子だけで、ジャックが用件を察するには十分だ。

「また厄介事かよ」

「おかしな動きをしているホテルがある」ヴィンセントは神妙な面持ちで頷く。「それなりに名のあるホテルなんだがな。最近妙に柄が悪い連中が出入りしているらしい。この街では物騒な事態への備えは必須だ、警備員として荒くれやら元傭兵やらを使う場合は確かにある。だがそれとして許容するには、連中、余りに躾がなっていない」

「あー……けどよ、そりゃ慣れてないだけって事もあんだろ」

 ジャックが何とも言えない顔をしたのは、自分も言わばそのクチだからだ。今でこそ一角のディーラーとして名を馳せているジャックだが、元を辿れば行く当てのない孤児だった。大成するまでの間は浮浪児時代とのギャップに苦しめられた記憶も多い。似たような境遇の雇われ警備員達がもし間違いを犯しているのなら、こちらが正してやればいい――そう庇いたくなるのが人情というものだ。

 しかしそんなジャックの言葉に、ヴィンセントは首を横に振る。

「旅行者に被害が出ている。それも連続してだ。客を傷付ける警備員など論外だろう」

「……そりゃあな」

 応じたジャックの瞳が細められる。この瞬間、彼等を庇護する余地は無くなった。何の罪も無いゲストに手を上げる――それは観光に依って立つこの街では一種の禁忌だ。それが「間違い」ならば徹底して灸を据えねばならないし、そうでないならそれなりに、それ以上の「対処」をする必要があるだろう。それに、とジャックは隣のオーナーの顔を盗み見る。

 察するにどうやらこの若社長は、事態を余程腹に据えかねているらしい。それはそうだろう、ゲスト相手の暴力事件などが続けば、この街のアイデンティティが揺らぎかねない。常日頃から突拍子もない事を言い出すバカ社長だが、街への愛着と貢献は本物だ。街の誇りを踏みにじられて黙っていられる男でないのは、きっとジャック自身が一番良く知っていた。

「――それに詳しく聞いた所、どうもスタッフだけではないようですしね」

 唐突なソプラノに振り向けば、彼等の背後にはいつの間にかショーメイカーの王子嬢ミス・プリンス、シャロンが陣取っている。華のある顔にファンが見たら卒倒ものの哀愁を湛え、彼女は続けた。

「ホテルマンをしているお客様から伺った話ですが。お勤め先のホテルの前で暴れていた連中を窘めた所――連中、『ふざけんな、俺達は客だ』とのたまったそうで」

 その証言に、ジャックは思わず頭を抱える。

「ったく、冗談じゃねぇな」

 その男達の言葉が事実なら、今この街にはガラの悪い雇われ人だけではなく、ガラの悪い客までもが集まっているという事になる。幼い頃からグレイフォートの裏道で過ごしたジャックの経験上、こういう時には厄介事が――それも、大掛かりで面倒臭い厄介事が起きる可能性が非常に高い。

 そしてそれは、ジャックの上司たるヴィンセントも心得る所である。

「まあそういう訳でだ。お前達にはしばらく『そちら側』の働きをしてもらう事になる。今ここにおらんあの小舅は一先ず先行して動かしているが、奴にも改めて伝えておけ」

 この場に居ない男へ親しみの籠った皮肉を向けつつ、若きカジノオーナーは特命を下す。

「オレの街で蛮行を働く輩に情けは無用だ、手加減無しで掃討しろ――とな」

 予想通りの傲岸不遜な物言いに、しがない騎士ジャックは肩を竦めるしかなかった。



 ワガママ若社長の要求を素直に受け入れたお陰か、その後の退席は思いの外あっさりと認められた。ジャックは一服入れようと店の裏、通用口の方へと向かう。こんなキナ臭い上に面倒臭い状況、煙草でも吸わねばやっていられない。

 道すがら、自分とは反対に通用口から入って来たであろう男と出くわした。スーツ姿にビジネスバッグという出で立ちは一見すれば会社員だが、彼もまたジャックの同僚の一人だ。以前から腐れ縁の友人だったという事実に目を瞑るなら、むしろ上司と言った方が正しい。

『ショーメイカー』のフロアチーフ、ダグラス・ゴドウィン。浅黒い肌はネイティブアメリカンの血が混じっているせいだと、いつか本人が言っていた。今日は一日顔を見なかったが、バカ社長曰くの「先行調査」から丁度帰った所だろう。眼鏡の奥、フロアでは決して見せない素のしかめ面を、ジャックはへらりと気の抜けた笑みで迎える。

「よう小舅。今帰りか?」

「こじゅっ……誰がだ!」

「そう怒んなよダグ。俺の発案じゃねぇし、まあ何だ、言い得て妙だろ」

 すれ違いざまに肩を叩くと、そのまま出口の方へ向かうジャック。その様子に、ダグラスは慌てて彼を呼び止める。

「おい、何処へ行く? 仕事はどうした」

「きゅーけー。バカ社長にゃ許可貰ったし、頼もしいフロアチーフ様もご帰還だし? 開店からこっちずっと出ずっぱりだったんだ、ちょっとくらい良いだろ」

「待て、俺は帰ったばかりで!」

「へいへい、頑張れよー」

 ひらひらと手を振れば、ああもう! と苛立った声が背後から聞こえてくる。天を仰いでいるだろう友人を想像し、ジャックは一人笑みを深めた。

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