休日丸潰れ

 日曜日だというのに制服を着て、マンションの前でスマホを弄る。


 これから行く場所だけでなく、ご一緒する方も俺にとっては好ましいとは言い難く、かなり憂鬱だ。


 そして服装にも不安を抱えている。

 料亭に行った経験がないので、一応制服を着ているのだが、これでいいんだろうか。

 葬式なんかだと、学生は制服を許されたはずだから、こちらもOKかと思っているが、果たして……。

 実家に行けば昨年コンクールで着用したタキシードがあるものの、母親に遭遇するだろうから、選択肢から外した。


 第一ボタンまでとめた首元が落ち着かず、襟を引っ張ったりしているうちに、一台のタクシーが俺の近くに停まった。


「里村くーん! おはよー!!」

「おはよっていうか、今の時間はこんにち……わわっ!」


 後部座席から和装の女性が降りてきたと思ったら、江上だった。

 和服については全然知識がないけれど、水色に小鳥柄が入った布は彼女の爽やかな雰囲気に良く似合っている。

 だけど、帯の上に回った紐にくっ付いている猫が妙に気になる。もしかしてデベソを猫人形で表現しているのか?


「それって、振袖って言うんだっけ?」

「これはね、小紋という種類。似合う?」

「似合ってる」

「良かった!」


 彼女の顔立ちは染谷に比べて現代的な感じなのに、和な雰囲気も似合うなんて詐欺だ。

 美少女ならなんでもありってことなんだろう。


「タクシーに乗って」

「分かった」


 車内を見てみれば、後部座席には和装のお爺さん。もとい、理事長がドッシリと座っている。

 彼の隣に座る勇気はないので、俺は素早く助手席に滑り込んだ。


「こんにちは理事長」

「うむ」


 今までは行事とかでしかお目にかかってなかったが、近くで見るとなかなかに威厳がある御仁である。

 後ろから感じる圧が凄い。


 江上が後部座席に乗ると、タクシーが滑らかに出発した。


 車内は数分沈黙が支配していたものの、やがて後ろの二人と運転手が近場の観光地の話題で盛り上がり始めたので、少し安堵する。俺が太鼓持ちみたいに振る舞わなければならなくなったら、最悪だからな。


 タクシーはやがて、旧市街に入り、一軒の古い建物の前に停まった。

 たしかこういう建築様式は数寄屋造と言ったはずだ。


 立派な門構えを見て、俺は改めて本日彼等に同行したのを後悔した。


 タクシーに料金を支払う理事長を残して、俺と江上は外に出る。

 

「ここってね、庭園も素敵なんだよ。後で散歩しに行こう」

「あー、池があったら錦鯉とかいるのかな」

「いるよ! 案内してあげる」

「うん」


 江上はかなりここに来慣れているみたいだ。

 こんな場所を満喫出来る女子高生がいるとは、世の中よく分からない。


 仲居さんに案内され、ギシギシと鳴る廊下を奥へと進む。

 他の客達は茶の湯等を楽しんでいたりしているのだが、街中であまり見かけないような、上品な身なりの人ばかりだった。

 制服姿の俺は、完全に浮いてしまっている。


 通されたのは中庭に面した一室。

 床の間に飾られた花や、掛軸等が安物ではないのは、俺でも察っせられる。

 畳特有の安らぐ香りを嗅ぎながら、呆けて内部を見回していると、江上に手招きされる。


――ああ、隣に座れってことか。


 彼女の横に置いてある座布団に正座し、斜め向かいの理事長と目を合わせないよう、視線を真っ直ぐに固定する。


 爺さんの相手は江上に任せ、俺は料理に集中しよう。

 そう思ったのだが……。


「里村君は、琥珀のクラスメイトなのだそうだな」

「うわっ!! はい!」


 目論み通りにことは運ばなかった。

 思い返してみると、昨夜の江上の話の中で、理事長が『是非里村君と話してみたいと言ってた』とあった。

 今日ノコノコ付いて来た時点で、根掘り葉掘り質問されるのは決まっていたのである。

 印象に残るような話をしないように気をつけなければ。


「学校生活は楽しめているか?」

「かなり楽しいです!!」

「担任教師に不満は?」

「皆無です!!」

「琥珀と同じ部だそうだが、孫はちゃんと部長として相応しい行動をしているかね?」

「相応しい行動をしています!!」


 俺の脳死な受け答えに、理事長は笑みを深くした。

 何事もなく切り抜けられそうな感じだ。

 しかしながら、隣に座ってソワソワする江上が気になる。これから俺か、彼女にとってヤバい質問でもされるんだろうか。


「当然里村君も知っているだろうが、琥珀は夏頃に合唱部員に見限られ、大量の退部者を出した。それについてどう思う?」

「別に、どうでも……あ……」


 つい本音を漏らしてしまった。

 不興を買うかと思いきや理事長は「クックック」と笑い出す。

 それとは逆に、江上は沈んだ表情になり、実に気まずい。

 言葉が足りなすぎたのかもしれないので、仕方がなく思いの丈を話すことにした。


「江上と関わってみて気が付いたんですが、彼女の気の遣い方は独特というか……。それでうまく働く時もあるけど、多少混み入ったことになると、反発されやすいのかなと……」


 無難な返事をしようと思ってたのに、何を言っているんだと内心焦りまくる。

 だけど、ここで終わってしまったら、単に江上と不仲になって終わりそうなので、彼女の方を向いて言葉を付け加える。


「元合唱部員の人達に、ちゃんとお前自身の事情を話したのか? 協力してもらうって、他人の時間を奪うことなんだぞ。共感とか、納得してもらわないとさ……。皆がお前の考えに全肯定するわけじゃないわけだし」

「……そうかもしれないけど、もう遅いよ」

「だから、そういう所が人の気持ちを単純に考えてるっていうか……」


 理事長が仕込んだ楽譜を入手し、改めて思ったのだが、元合唱部員に戻って来てもらった方がいい。

 もし入部希望者が染谷のように歌えない人間だったら、育てるのが大変すぎる。

 なのに、江上が頑になってどうするんだよ。


 とはいえ、コミュ症の俺にはこういう会話は重すぎる。

 しつこく食い下がりたくないので、引き下がった。


 食欲が減退した絶妙のタイミングで、先付が運ばれて来る。


「銀杏豆腐でございます」


 黄緑色の豆腐は秋らしく盛り付けられていて、見た目からにして家庭料理と一線を画している。

 二人はまだまだ話す気のようだが、自分が先に手をつけてもいいものか。


「琥珀よ。儂が次期理事長を選ぶ為に、かように手の込んだ方法をとっている理由を考えた事があるか?」

「暇つぶしじゃない?」

「違うぞ。この選出を通じて、瑠璃と琥珀の能力を鍛えようと思っているのだ」

「そうなんだ?」

「まずは『推理力』。それが無ければ能力の高いものを探し出し、頼る為の『洞察力』。複数の人間の力を借り、纏めるための『統率力』。スケジュール通りに事を運ばせる為の『企画力』。どれも学校では身につけ辛いものだ」


 二人は会話に集中しているようなので、俺は銀杏豆腐に箸を伸ばす。

 銀杏由来の独特なコクは、甘じょっぱい餡と良く合っていて、メチャクチャ旨い。


「合唱部の一件で、お前には『統率力』が欠けているのだと思っていた。しかし、一度ピアノから離れた里村君を見付け出し、再び演奏させ、力を借りれていると聞いた」


 理事長の話に、むせそうになった。

 いつの間にか身辺調査されてしまっていたようだ。


「教育に携わる者として、無気力な学生からヤル気を引き出す行為は、なかなかに有意義なことだ。琥珀、お前は教育者に向いているだろう。引き続き頑張りなさい」

「はい! 里村君も言ってることだし、元合唱部員の方々に戻って来てもらえないか聞いてみようと思う!」


 江上が元部員と仲直りする気になってくれて良かったけれど、俺は彼等の話を聞いて少しモヤモヤした。

 ピアノを再開するキッカケをくれたのは江上で間違いない。

 しかし、音楽とちゃんと向き合おうと思わせてくれたのは瑠璃さんなのだ。


「あの。瑠璃さんにもお世話になっています。彼女も評価してあげてください」

「瑠璃は教育者になろうとは考えておらん。学校を他所に売却しようとしているのだ」

「理事長にとっては、歓迎出来ないのかもしれませんが、それは瑠璃さんの理想からの行動みたいですよ」

「何を心配しているのか知らんが、瑠璃と琥珀は平等に扱っている」

「じゃあなんで、今日ここに彼女が来てないんですか?」

「儂に負い目を感じているからだろう」

「……そうですか」


 その後も、アレコレ質問を受けたものの、俺は気の抜けきった回答しか返せなくなってしまった。

 ハマグリの潮仕立ての味が妙に塩辛い。

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