合唱部始動!③
連れて行かれたホールには、既に入居者の皆さんが勢揃いしていて、雑談に興じていた。
俺達が現れると、何人か視線を向けてくれたものの、その目の奥は冷めているようにも見える。こんな事に付き合わされ、内心迷惑だと思っているのかもしれない。
「皆さん! 私立栗ノ木坂南高校合唱部の三名がお歌を披露してくれに来てくれましたよ! この高校に通っていた方々もいらっしゃいましたよね? 応援してあげましょう。暖かい拍手を!」
楠木さんの紹介に、パラパラと拍手が起こる。
次に、マイクを渡された江上が前に進み出て、慣れた感じに挨拶した。
「こんにちは! 栗ノ木坂南高校合唱部です! 三人しかいませんが、この日まで皆で一生懸命に練習してきました! 皆さんに満足していただけるように、心を込めて歌いますね!」
ペコリと頭を下げた彼女に、先ほどよりも若干多い程度の拍手が贈られる。
聴衆を見回してみると、既に舟を漕いでいる方々もいて、全員の饅頭を総取りすることが事実上不可能だと気付かされた。
「彼等の歌が良いと思ったら、前方の籠に饅頭を入れて下さいね。先ほど配ったアレです! 前に一度やっているから分かっていると思いますけど」
楠木さんが入居者にルールを説明している間に、俺はホールに置かれた小型のグランドピアノの前に座った。
こういう極端にミニサイズにされたピアノは響板が短いから、音が微妙なんだけど、この施設は完全なアウェーだから贅沢は言えない。
「じゃあ、歌ってもらいましょう。曲は『故郷/ふるさと』」
椅子の高さを調整しているうちに、開始する流れになり、俺は慌てふためく。
「え!? あ……、伴奏! 弾きます!」
江上に心配そうな顔で頷かれ、俺は心拍数が速いまま、前奏を弾き始めた。
焦りすぎて第一音を変に大きく弾いてしまう。泣きたい……。
安物ピアノのケンケンした音でなんとか郷愁を表現し、歌に繋げる。
二人の歌は格段に良くなっていた。
江上の安定したソプラノに、染谷の不安定なアルトパートが上手いことマッチし、独特な魅力を生んでいる。
――染谷。かなり上手くなったな。
実は伴奏しながら、アルトパートを強めに弾いて、ガイド付きカラオケ的にフォローしていたりするが、本人の努力が大きいのは、俺が良く分かっている。
三番まで歌い終わると、入居者の方々はちゃんと拍手し、そのうち五人が立ち上がり、俺達の前に饅頭をお供えしてくれた。
五人全員が感銘を受けたのかというと、そうでもないようで、半数がそのままホールを出て行ってしまう。
退出しても気まずくないように、饅頭を差し出したのは明白だ。
楠木さんが気まずそうに、進行する。
「え~と……、次は『赤トンボ』だね。宜しく頼むよ」
「はい!!」
再び江上に合図を貰った俺は、ピアノを弾き始める。
ホール内からはため息や咳払い、雑談などが聞こえ、曲目に不満を持たれていそうだ。
たぶん『故郷/ふるさと』と似たテイストの曲なので、飽きてきているんだろう。
シビアな反応にめげず、江上と染谷は歌い出す。
この『赤トンボ』という曲は、シューマンが作曲した『序奏と協奏的アレグロ op.134』の中に組み込まれたフレーズに良く似た部分があることから、俺は結構好きなんだけど、退屈に感じる人も結構多いかもしれない。
現に、前列に座る老人達数人は秒で眠りに落ちた。
短い曲を歌い終えても、席を立ち、饅頭を渡しに来てくれる人は十人にも満たない。
現実は俺達にとても厳しい。
この合唱部の活動の中では一番良い合唱だったと思うけど、人に聴かせ、楽しませるレベルではなかったということだ。
二人の様子を見てみると、染谷は少し達成感を感じていそうな表情をしているが、江上の方は泣き出しそうになっている。
目の端に光るモノを確認し、俺は動揺した。
――何とか出来ないのか……? 老人ホームの人達の気持ちをガラリと塗り替えて、全ての支持を得られたら……。
俺の右手は一人でに動き、ポーンと白鍵を鳴らした。
――う、うわぁ……!? 鳴らしてしまった!! 何やってんだ俺!?
意識から外れて動く指は、陰鬱な旋律を奏でる。
俺は観念し、両手で同じ旋律を繰り返した。
江上も、染谷も、楠木さんですら、俺がこれから何をしでかすつもりなのかと、目を剥いて凝視してくる。
もう、引くに引けない。
楽譜を絶対に入手して帰ってやる……。
ピアニッシモで奏でる、嵐の前の静けさ。
ことさらユックリと弾き、右手をひらめかせた。
Allegro con brio(アレグロコンブリオ)――フォルテで鍵盤を叩き、静寂を打ち消す!
フレデリック・ショパンのエチュードop.25-11『木枯し』。
クラシックをテーマとするアニメや漫画で良く扱われるこの曲は、まさに超絶技巧という言葉に相応しい。
それでありながら表現力も求められるため、エチュード(練習曲)でありながらも、他と一線を画す曲なのである。
俺はこの二週間北園との接触を恐れるあまり、駅前の楽器店から足が遠のいたのだが、江上の厚意で旧校舎の理事長室にあるピアノを自由に使わせてもらっていた。
そこでずっと練習していたのが、この曲『木枯し』なのだ。
左手でドッシリと弾くメロディーは乾いた風を、右手で演奏する細やかな分散和音は、強風で舞い上がる木の葉を。
一つ一つの音を潰さないように指に神経を通わせる。
正直言って……、手が痛い……。
三オクターブ素早く上下させた時、指がつりそうになり、顔が歪んだ。
後半の鬼畜部分を何とか弾き終えると、ホール内は拍手に包まれた。
――何個かミスしたけど……、ウケたのか?
俺はハンカチで汗を拭きながら、籠の中に次々に投げ込まれる饅頭を見つめた。
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