合唱部始動!②
演奏会当日、俺達合唱部員三人は一度駅前に集まり、有料老人ホーム壱越方面へ向かうバスに乗った。
土曜日だというのに窮屈な制服を着込む憂鬱さに加え、完成度の低い合唱を大勢の前で披露しなければならない絶望感もある。
俺は過去何度も発表会やコンクールに出たけれど、これ程練度が低い状態で臨んだことなどない。
まるで丸腰で決闘を挑みにいくような無力感だ。
青く澄んだ秋晴れの空がこんなにも虚しく見えるとは……。
後ろの座席に並んで座る女子二人も妙に静かだ。
カモメ臨海公園前でバスを降り、施設へ向かう。
エントランスに入ると、例のオバちゃんが内線で楠木さんを呼んでくれて、彼が控え室まで連れて行ってくれた。
「入居者の方々は今日の演奏会を楽しみにしてくれていたんだよ。是非皆を満足させ、理事長の楽譜を入手しておくれ」
「頑張ります!!」
江上と楠木さんの会話を聞きながら、俺は素朴な疑問を抱いた。
「あの、以前のお話だと、ここの“入居者全員から評価されなければならない”とのことでしたよね? 一体どのような方法で評価していただけるのでしょう?」
「ああ、一人一人がお饅頭を持っていて、パフォーマンスが良かったら君達に渡すことになっている。お饅頭よりも魅力的に思わせられるかどうかだね」
「そ、そうですか……」
演奏会は十時半からだから、ちょうどおやつ時である。
はたしてあの合唱で、入居者八十名分の饅頭を総取り出来るのだろうか?
メンタル弱者な俺は、青ざめ、ソファの上で三角座りをした。
「あの……、機会は今日一回限りなんでしょうか? またチャレンジさせていただけると助かるのですが」
染谷がおずおずと楠木さんに問いかけた。
この二週間一番努力したのは、彼女だから、色々思うところがあるのだろう。
「理事長には十月末がリミットだと言われているんだよ。すまないね」
「そうですよね。残念です……」
彼女は悲しげに顔を伏せてしまった。
その様子に、俺も胸が痛くなった。
瑠璃さんが理事長選に勝利するのはもう決まってしまったようなもので、そうなると、俺の在学中に音大付属と栗ノ木坂南高校が合併するかもしれない。ウチの鬼ババアと顔を合わせる機会が増えるなんて、悪夢と言うほかない。
それに、ヴァイオリニストとしての瑠璃さんの名を世界に広めたいという、俺の密かな野望も叶わなくなるのも辛い。
以前話した時、あの人はまだ将来に悩んでいた。
だから、俺が選択肢の一つを潰して、前に進むしか出来ないようにしたかったのに。
「さて、後五分で予定の時間になるな。トイレとかが大丈夫なら、ホールまで連れて行くよ」
「分かりました! 皆頑張ろう!!」
江上が空元気で右腕を突き上げる。
それを見て、俺も腹を括ることにした。
折角俺達の演奏を聴いてくれる方々がいるのに、暗い顔をしていたら失礼だ。
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