黒森山探索①
土曜日の朝十時。
黒森山近くのキャンプ場まで自転車で行くと、看板の前に染谷が立っていた。
緑と黒を基調したチェックのロングカートに、大きめサイズのジャケットを着込んだ彼女は随分可愛らしく見える。
「おはよう。染谷」
「おはよう」
「江上はまだ来てないのか?」
「まだ」
「そっか」
先日カラオケで微妙な感じになったものの、染谷は退部しないでくれた。
それに感謝し、江上に了解を得た上で理事長選の話を伝えてみた。
俺同様呆れていたが、協力する姿勢を見せてくれたのでホッとしている。
歌はアレだが、新聞部に所属する染谷は情報に強い。こういう人間が一人味方についてくれるだけでも有り難いものだ。
ちなみにボイストレーニングの方は嫌がるどころか、嬉しそうだった。
もしかすると、染谷自身、ちょうど歌唱力を磨きたかったのかもしれない。
「里村君の私服、初めて見た」
「そうだっけ? 適当に着てきただけだから、どっかおかしいかも」
「全然おかしくないけど」
「なら良いんだけど」
気を遣ってくれるのは嬉しいけど、おかしくないはずないんだよな。
今着てるのは、ウチの親父が『サイズが小さいから着れなかった』と送って寄越した、どこぞの登山ブランドのフリースだ。
つまり“この歳になっても親に服を選んでもらっている”に等しい。
真実を知られたら遠い目で見られるだろう。
俺は染谷の興味を服から逸らすため、ポケットから地図を取り出して広げた。
「今日のコースは約7キロで、だいたい二時間かかるらしい」
「うちの学校が昨年植樹した桜の木を見るために、てっぺんまで行くんだったよね?」
「うん。この黒森山の中で、ウチの高校が関わってるのって、それくらいだったから」
「何か見つかるといいね」
「だな」
念のために昨日ホームセンターに行き、スコップやら軍手、双眼鏡などなどを買い求め、リュックに詰めて来たのだが、何か他に持って来るべき物があったんじゃないかと思えてならない。ソワソワする。
「このハイキングコースにはウチの学校のものの他に、幾つか記念碑がおかれているみたいだね」
「立派なカメラ持ってきたんだし、好きなだけ撮って帰ればいいよ」
彼女の首にかかっている一眼レフをチラリと見遣ると、それを俺に向けてきた。
「じゃあ遠慮なく」
「俺は撮るな!!」
「ケチ……」
二人で謎の攻防戦をしている間に、遠くにスラリとした少女の姿が見えてくる。
「ごめーん!! 遅れちゃった!」
大きなバスケットを持った江上がこちらに向かって走ってきていた。
ベージュ色のニットのワンピースとニットの帽子は彼女に良く似合っている。
「おはよーう」
「……おはよう江上」
「おはよう!! 本当にごめんね。お姉ちゃんが熱を出しちゃってさ……。看病したり、お昼ご飯を作ったりしてたら凄い時間すぎてた!!」
「え、瑠璃さんが熱?」
「うんうん。だんだん寒くなってきたから、風邪をひいちゃったみたいなんだ」
そういえば、火曜日に合奏してから学校で一度も姿を見ていない。
あの日、長時間外でヴァイオリンを弾いたから、身体を壊してしまったんだろうか。
誘ってきたのは向こうだけど、一緒に居たから少々気になってしまう。
「江上、だったら瑠璃さんに付いてやれよ。校歌の謎は俺たちで探しておくから」
「そうだね。江上はもう帰っていいよ。二人で充分」
俺は心から気を遣って言っているのに、染谷は満面の笑顔だな。何でだ。
「え、いいの……? 私当事者なのに」
「気になることがあるなら、謎解きに集中出来ないと思う。瑠璃さんのことも心配だし」
「……じゃあ、そうするね。何か分かったら必ず教えてよ!!」
「お前の為にやってるんだから、教えるに決まってる」
「有難う。これ、二人で食べて」
押しつけられたのは、ズッシリと重いバスケットだ。
中に入っているのは、以前約束した弁当なんだろう。
正直言って、今日はこれだけが楽しみだったから、助かった!!
「遠慮なく食べさせてもらう。じゃあな! 後でメッセージ送る」
「うん。色々ゴメンね」
立ち去る江上を見送ってから、俺と染谷はキャンプ場の側を通り、ハイキングコースに踏み入る。
なだらかな斜面は階段状に整備されており、随分歩きやすい。
俺たちの他にも散策する者達は多いようで、犬連れの老夫婦やカップル等と何度もすれ違う。
見事なススキの群生に目を和ませながら歩いていたのに、後ろを歩く染谷がいきなり不穏な話をしだした。
「そう言えば思い出したんだけど。このハイキングコースさ、去年音大附属の生徒が殺されたんだよね。写真を撮ったら、良くないものが写ってしまったりしてね」
「ゲ……。嫌なこというなよ。折角風景に癒されてたのに」
音大附属に通う男子高校生が巻き込まれた事件は、俺が中学三年の頃だいぶ話題になった。
その時俺は実家に住んでいたのだが、犯行現場であるこのハイキングコースと二十キロ程度しか離れていなかったし、母が勤めているだけでなく、俺自体が推薦を貰っていた学校ということもあり、他人事ではなかった。
新聞で追っていただけの知識しかないけれど、どうやら犯人も同じ学校の生徒とのことで、翌年の音大と音大附属の入学者はかなり減少したのだそうだ。
「噂を聞いたんだけど、犯人は江上前生徒会長の幼馴染らしいよ」
「へー……」
この前一緒にハンバーガーを食った時に、幼馴染のことを何か言っていたかもしれない。
だけど、もし仮に瑠璃さんの幼馴染が犯罪を犯したのだとしても、彼女に対して変な噂を立てるのはおかしいんじゃないか。
憂鬱な気分のまま十分程歩くと、黒森山のてっぺんに辿り着く。
ベンチやテーブルが置かれていて、家族連れの方々が思い思いに楽しんでいる。
――確かこの辺に植樹されたはずなんだよな。
「里村君。こっちだよ」
少し離れた所で染谷が、手招きしている。
近づいてみると、そこには細い幹の桜の木が植っていた。
それに、目立たない位置にウチの学校の記念碑も置かれている。
パッと見、周囲に特殊な物は見当たらず、またしても手がかりを探すのが面倒くさそうな感じだ。
「染谷、何か見つかったら教えて」
「うん」
染谷に声をかけてから、俺はリュックから双眼鏡を取り出して、見晴らしの良い場所を探した。
校歌の歌詞を思い浮かべてみると、
“裏山からの清風は、街を吹き抜ける”
だったはずなので、この山から見下ろした時、街の中に何かヒントがあるのではないかと思ったのだ。
記念碑から離れ、ブラブラ歩くと、ちょうど森が開けたようになっているスペースがあり、そこから街が見下ろせた。
しかし、ここからだと若干高度が足りない。街で一番高いデパートよりもやや高いというくらいなので、見える範囲が狭いのだ。
一応双眼鏡を目に当てて、見れる範囲で確認してみるものの、ピンとくるようなものは発見出来ない。
どうしたものかと、記念碑の所まで戻ってみると、染谷が腰を屈めて何かを熱心に見ていた。
「染谷。何か発見出来たか?」
「どうだろ……。気になる文字があるから、少し考えていたんだけど」
「文字?」
「うん。“オウシキ”という文字が何を示すのかなって」
「どっかで聞いたことがあるような……」
その不思議な響きを確かにどこかで聞いた。だが一体どこだったか。
文字を見れば思い出すかもしれないと、染谷の後ろからそれを覗き込んでみて――声を上げた。
「うわ! これ!!」
“
これは日本の伝統的な音楽である、雅楽で使われる、十二律の一つを示す言葉なのだ。
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