第20話 頭の中の未来のヴィジョンは波乱万丈

 MAVOが何を言いかけたのか、HISAKAとて判らなくはない。TEARは平気だったが、果たしてP子さんも平気だろうか。

 いくら現実をあるがままに肯定する人でも、価値観が違うものに対してそうそう寛大でいられるだろうか。

 コトの善し悪しや原因はともかくとして、自分達のしていることは実に少数派の関係である。

 TEARがカルチャーショックを受けなかったことが妙なのだ。あのマリコさんだって、平静を装ってはいたが、しばらく動揺していたのはHISAKAも知っている。

 彼女はしばらくその事態には目をつぶって、彼女の調べなくてはならないことに非常に精を出していた。おかげでその後の行動方針がかなり早く決まったことも事実だが。マリコさんとて「ある程度」「とりあえず」は逃避するのだ。

 だがそれこそTEARの言ったことではないが、現実は現実なのであって、肯定しないことには次の事態が始まらないのだ。そういう人でないと、このバンドでやっていくことはできないだろう。これからどんどんとんでもない「現実」が待ち受けているのだから。

 少なくともHISAKAの頭の中の未来のヴィジョンは波乱万丈であった。


「早かったねっP子さん」

「うんまあ。特に用事もなかったし」

「今度オキシで飲み会があるんだって。たくさんバンドが来るって」

「へえ…… そりゃそりゃ」


 微かにP子さんの頬がゆるんだ。


「P子さんも行くでしょ?」

「ワタシもいいんですかね?」

「無論いいわよ。P子さんアルコール大丈夫?」

「ワタシですか?」


 鳩に豆鉄砲、な表情でP子さんはHISAKAを見た。


「駄目?」

「いや、そういうこと聞かれるとは思ってもみなかったですからね」

「あ、強いんだ」

「強いって程ではないですがね」

「なら良かった」


 HISAKAもにっこりとしてみせる。



 当日。オキシドールの上の居酒屋「大陸道」を借り切って打ち上げが始まった。まあ普通はライヴのすぐ後にするのだが、何しろ三日間もので、しかも全バンドに召集かけるのだから、別の日がいいのだ。

 幹事のタイセイは実に朝から走り回っていた。


「先輩も来て下さいよ」


 前日彼はナカタジマにも召集をかけておいた。全く忙しくない、と言ったら嘘になるが、この「先輩」はこの「後輩」に妙に逆らえないのだ。

 始まったのは夜七時だった。六時くらいからぼつぼつと、召集かけたバンドのメンバーが集まってくる。あるバンドは全員揃ってくるし、あるバンドはバンドの中の何人、ということもあったし、また全員来るのは来るのだが、全くばらばらにやってくることもある。

 メジャーデビウ近いバンドはやはりやや小綺麗な恰好になっている。やや収入が入るようになったのだろう。だが私服なので、結構誰が誰だか判らない場合も多い。


「よーTEARお久」

「何今度このバンドだってぇ?」


 PH7のメンバーは、弦楽器隊とそれ以外が別れて行った。TEARがP子さんを誘った形である。

 開会まであと十分、程度の時間に彼女達は会場についた。まだHISAKAとMAVOは来てなかった。珍しいな、とTEARは思う。HISAKAは時間には几帳面だった。

 TEARは案外付き合いが広い。と、いうのも彼女がなかなかバンド遍歴が長いせいでもあるのだが、それよりまず、彼女を覚えている人が多いのだ。派手ででかくて上手い女のベーシスト。こんな奴滅多にいない。

 一方のP子さんも、案外顔を知られていた。尤も彼女の場合、その相手に「誰でしたっけねえ」と言う場合も多いのだが。

 それでも特に悪い印象を周囲に与えない所にP子さんの人徳だったか。


「『RIOTライオット』解散したときはちょっと残念だったよ」


とラ・ヴィアン・ローズのギターのタカヤマが言った。


「まあ仕方ないですよ」

「結構骨のある音だったし」

「うーん……」


 ラ・ヴィアン・ローズは「オキシドール7」から人気の出たバンドだった。音は結構暗めで、メンバー全員黒っぽい衣装にやや濃いめのメイクをしている。髪も黒いままで、色は抜いてもつけてもいない。ただだらだらと長かった。タカヤマはそのゆるゆるとウェーヴのかかった長い黒い髪を首の後ろにバンダナで結んでいた。

 顔は、メイクを落としてしまえば非常にさっぱりした好青年なんだが、メイクをすると実におどろおどろしくなる、といった彫りは結構深いタイプである。


「おーっすTEAR」

「よおアッシュ」


 やはりラヴィアンのベーシストのアッシュがTEARに声と手をかけた。肩に置かれた手をTEARはさりげなーく払いながら声を返す。


「あれ、知り合いですか?」

「まあね。結構ベーシストはベーシストのネットワークがあるのだよん」


 アッシュはラヴィアンの中で、ステージで一番狂気的なパフォーマンスをするベーシストである。ヴォーカリストはあまりそういったパフォはしない。五人のメンバー中弦楽器隊三人がその役割を引き受けている形になっている。

 とはいえ、それが日常の性格と必ずしも比例する訳ではない。隙あらばTEARに迫ろうとしているベーシストはなかなか現実的にいい根性をしていた。


「で、この人新しいメンバー?」

「まだ返事は聞いてないんだけどさ」


 どお? とTEARはP子さんの方を見る。

 P子さんは笑って答えない。あれ、とTEARは思う。こういうはぐらかし方は何処かで見たことがあった。


「? どうしたんですか?」


 P子さんは急にやや真面目な顔になった同僚に訊ねる。


「あ、いや」


 何でもない、と言おうとしたとき、集合の号令がかかった。会場の真ん中に「今回の幹事」がマイクを持っている。時計が七時を指している。

 ざわめきが止む。TEARとP子さんも真ん中に注目する。


「えー今年も夏祭り、無事に終わりましたことを非常に喜ばしく思います。盛大に、とまでは言いませんが、楽しくやってください」


 ぱちぱちぱち、と拍手が飛ぶ。これで呑むのが解禁、ということで、周囲からうぉーっ、と野太い声やしゃがれ声が飛んだ。


「では近くのコップを取って下さい」


 近くのコップ、近くのコップ…… そう思いながらTEARがテーブルを見渡していると、はい、とP子さんの声がした。既に紙コップにはビールが注がれていた。


「早いね……」

「酒ですからねえ」


 何となくまた既視感があった。


「それでは」


 乾杯、とタイセイの号令で皆高々と手を上げた。

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