第21話 「相手は『ザル』だ」
遅かったじゃん、とTEARが言うほど、HISAKAとMAVOは遅れてきた。
「ごめんねー、ちょっと用があって」
「いいけどさ、皆待ってたようだよ」
とタイセイはラヴィアンやその他色々なバンドのベーシストやギタリストと一緒になって騒ぎながら呑んでいるTEARと、その近くで黙々と呑んでいるP子さんを指した。
「それにしても今日は地味だねMAVOちゃん」
大きめの、深い赤の長袖厚手Tシャツに緩めのコットンパンツ。そのTシャツの長すぎてふわふわする袖を手首の腕輪で止めている。やや大きめにくった首回りにはプレートペンダントが一つ。
「そーですか?」
「いつものも似合うけど今日のも可愛い」
「冗談はよしこさん」
ひらひらとMAVOは手を振る。くすくすとタイセイは笑う。
HISAKAはタイセイがどうMAVOにちょっかい出そうと特に気にしてはいなかった。MAVOの方が全く気にもかけていないことを知っていたからだ。
タイセイはなかなか読めない男ではある。だが自分から彼女を取ってどうこうしよう、なんて無謀なことを考える奴ではないことだけは確信していた。そんな危ない橋を渡る奴でも、そういうことに情熱をかける奴でもない。だから安全区域なのである。
「おいHISAKAっ! ほらほらいつまでも立ち話してないでーっ!」
TEARはもう既に酔っているらしく、絡みつかれそうになる手はいちいちひっぱたきながらも、豪快な声で友人を呼びつける。
「おやーっまた今日非常に綺麗で」
「そりゃどうも」
あーまた笑顔で威嚇しているなあ。横でMAVOはそう思う。何だかんだで、これで彼女に不心得なことをしようとする奴は消えるのだ。
HISAKAはたいていこういう席では薄化粧していく。そうすると迫力が増す、というTEARの意見に従ったのだが、確かにその効果は絶大だったようである。綺麗すぎて、手が出せないのだ。「近寄りがたい」存在になってしまうのである。
TEARはもう少し周囲には親しみやすい雰囲気を持っていたが、何しろ手が早い。下手に手を出して彼女の大きな胸だのいい形の腰だの故意的に触ったりしたら、その瞬間力一杯殴られ蹴られることを覚悟しなくてはならない。それがそれまでの彼女のバンド遍歴の中で噂だの事実だので周囲に広まっているから、これはまたこれでTEARに皆手は出さないのだ。
ではMAVOは、というと。
ステージメイクを落とせばただの女の子、というギャップを知っているのは周囲の人間くらいだから、その周囲以外は彼女のイメージで判断して手を出せない。
周囲は周囲で、HISAKAがずっと彼女を守っているのを知っているから更に手を出せない。それに最近はTEARまでその傾向にあるのだ。そんなことすれば彼女達との友人関係すら無くしてしまうことを皆知っている。
さてではP子さんはどうだろう、とHISAKAは見回した。P子さんは呑んでいた。実にマイペースに。HISAKAはその隣に陣取った。MAVOはその様子を見て、自分はTEAR側へ行った。
「でこないださあ、埠頭でふと思いついてさあ、爆竹買ってきて一気にはざしてさあ……」
「でこいつ、その時に真ん中にいたんだよっもう悲惨」
「から揚げ回してっ」
「エビチリちょーだい」
「お前一人でいかくん食うなよっ」
「こないだの女の子どした?」
「聞くなって」
「これ甘くない……」
とりとめのない会話が時々起こる爆笑とともに流れていく。何しろ食い盛りの青少年達なので、皿の料理はどんどん減っていく。
「皿うどんの人ーっ」
幹事・兼・臨時ウェイターに扮するタイセイがまめまめしくフロアを動き回る。何しろ貸し切りで、料理の方はどんどん出るものの、ウェイターウェイトレスまでは手が回らなかったと見えて、セルフサーヴィスの世界である。
「かに爪っ! しゅうまい! 春巻っ! はいどんどん取ってーっ! おひたしはカウンターっ!」
この人天職間違えたんではなかろうか、とふとHISAKAは思う。意外なところで人は本性を見せるものである。
「呑んだ瓶はテーブルの下へ置いておいて下さいよーっ後で一気に片付けるから」
どちらかというと、各自呑んだ本数を確認しようとしているのではなかろうか。
HISAKAは大いに食べて呑んでいた。
あ、珍しいとMAVOは思う。TEARはよく食べよく働きよく眠る人なりだが、HISAKAは案外食べるようで食べない。―――というより、過去はそうではなかった、とMAVOは思う。
自分が拾われた頃はもっと食べていたような気がする。
「はいビール。キリンとアサヒね。外国ビールとワインにフィズにブランデーの人はカウンターへ取りに行って。チューハイとビールと日本酒と梅酒は言ってちょーだい、取ってくるよ」
「う、梅酒?」
TEARはすっとんきょうな声を上げる。
「あ、あたしそれ」
「誰が漬けとるんじゃ……」
「親父の田舎から送ってくるんだよっ。はいMAVOちゃん梅酒ね。甘味入れる?」
そしてまた身を翻した。
鮮やかなものだ、とHISAKAは思う。ふと自分の隣を見ると、実に淡々と呑んでいた。ゆっくりである。だが量は結構いっているようで、彼女の足元にも瓶が幾つか転がっている。顔色一つ変えず。
「おーいアッシュが一気するって」
ラヴィアンのもう一人のギターのサラアが言う。
「俺一人かよーっ誰か付き合って」
神様お願いポーズでくるくるとアッシュは辺りを見渡す。
「んじゃ一気比べねーっ」
TEARが手を高々と上げて名乗りを上げた。
「ちょっと待てっー! TEARだめっ」
「何でよおMAVOちゃん」
「立ってみなよ」
「へ」
ぐらり。ありゃありゃありゃ、と言って彼女は椅子に座り込んだ。
「あれ?」
「じゃあワタシがやりますかね」
HISAKAはその声が隣からしたことに一瞬気付かなかった。
「げ…… おいアッシュやめたほーがいいぜえ…… 相手は『ザル』だ」
「いや、『枠』という説も…」
ラヴィアンとは仲のよいバンド・キリングフィールドのメンバーがつぶやく。
「何そのザルだの枠だのって」
TEARは隣にいたキリングのベースのナカヤに訊ねる。
「だからさあ、呑んでも呑んでも網目でこしてしまうってのがザルで」
「で?」
「その網すらねーのが枠だって」
「何じゃいそりゃ」
そんなに強そうには思えないけれど。
「ほんじゃ行きますか」
のほほんとP子さんは言った。
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