3-1

担任の先生に聞かれたあの日から、暫く経ち、中間も終わり、進路も本番に近づいてきた。あの日から、先生との連絡はやめて学校で会っても必要以上の会話をしないって決めた。自分で決めたものの、いざ実行してみると胸の奥が苦しくなる。けっこうしんどい。

 ある日の放課後の帰り道、佐奈と公園に立ち寄った。

「美波、桜庭先生のことすきなんだよね?」

「うん」

 私は、先生との関係をすべて話した。佐奈は、何も言わず聞いてくれた。しばらくの沈黙が流れて、何も言わなかった佐奈が口を開いた。

「本気で好きなら、それでいいと思うよ。前に話したけど、秘湯好きになるのに理由なんていらない。好きなら好きでいいんだよ」

 そのとき、佐奈のスマホが鳴った。佐奈は、一言詫びて、電話に出る。

 佐奈が電話をしているとき、一人でいろいろ考えた。こんなに人を好きになったのは初めて。だから、簡単に先生の事諦められない……。

 電話をしている佐奈が、こちらを向いた。

「ん? なに?」

「美波、本気で桜庭先生の事が好きなんだよね?」

「……。うん、好き。誰よりも好き」

「ならさ、今から学校に戻ろう?」

「えっ?」

 佐奈が、何のことを言ってるのか全く分からなかった。

 だけど、

「桜庭先生、いなくなっちゃう」

「えっ……?」

「先生、学校辞めちゃう」

 公園を飛び出して、学校まで全力疾走した。


 校門は開いていた。昇降口から職員室まで猛ダッシュした。職員室に着くと、先生がいない。

「いま、校長室だって!」

 後から来た佐奈に叫ばれて、校長室に行った。

 ドア越しから、どんな話になっているのか盗み聞きしてみると……、

「それでは、桜庭先生は今学期いっぱいということで。よろしいですね?」

 えっ、それって……、卒業を見届けてもらえないってこと……。

 そんなの……、

「そんなの、いやだ!」

「橘」

「橘さん、今すぐ帰りなさい」

 一緒にいた担任の先生が、私を帰そうと促す。だけど私は、引き返さない。

「桜庭先生が、今学期でいなくなるって本当ですか?」

「本当です。ですが、橘さんにも何かしらの処分は必要だと考えています」

「校長。それは、やめてください」

「先生……」

 私に処分を下そうとした校長先生をとめたのは、桜庭先生。こうやって、私がピンチになりそうだったとき、いつも助けてくれた。

「橘は、夏休みが終わるころまで、全く進路が決まりませんでした。何をやりたいのか、本人も分からずに。藍川先生も、担任として心配していたはずです。自分も、心配していました。それは、橘が好きとかそういうのではなく、一人の生徒として。です」

 先生は、まっすぐな目をして校長先生に、私の事を話してくれた。すごく真剣に。その姿に、また一つ好きになった。

 校長先生は、先生の話を聞いて、私の事に関しては何も処分は下さないということになった。

「橘さん、もう帰りなさい」

「えっでも……」

「桜庭先生の事は、後日話す。とにかく、自宅に帰りなさい」

 担任に促され、渋々と校長室を出た。



 あの日から数日後。先生の処分は……、私の処分をしないことと引き換えに今学期いっぱいで異動ということになった。数学の授業の時、私は胸が苦しくなった。大好きな人なのに、学校内でしか話せなくて二人でどこかに出かけることもできない。それがすごく寂しくなった。だけど、私は進路に向けて頑張らないと……。私は、夏休みのころから都内の美大に行きたいと思うようになり、それから目指す美大のことを詳しく調べて学園祭に行ったりオープンキャンパスに足を運んだりと、少しずつ準備をしている。センター試験に向けてちゃんと毎日勉強にも取り組んでいる。

 先生と秘密の恋愛をしながらも、ちゃんと自分のことについて考えて進路に向けて動けている。決して、疎かにしてはいない。

 あの日から、一日が過ぎていくのをとても速く感じる。気づけば、期末も終わり二学期の終盤に来ていた。だからなのか、自分で気持ちが落ち込んでいるように感じていた。

「美波、大丈夫?」

 普段と違う私の様子を見て、佐奈が気にかけてくれた。

「うん。大丈夫」

 もう、決まってしまった結果は仕方ない。でも、やっぱり寂しい……。


 そして、今日は二学期の終業式。私は、朝から憂鬱だった。

「美波、おはよう」

「おはよう」

「終業式終わったら、先生に会いに行ったら?」

「うん……。そうしようかな」

 式中、ずっと先生の事を気にしていた。ほかの先生たちと体育館わきにいた先生の事を、ずっと気にしていた。時々、目線が合って。でも、微笑まれることなく目線を逸らされるのが、寂しかった。

 放課後、数学準備室に向かった。佐奈は、昇降口で待っててくれている。

準備室の前に立つと、一気に緊張してきた。すると、中から声が聞こえてきた。もちろん、桜庭先生の声。私が来るというのを知っていたのかな。

「先生……」

「橘」

 苗字呼び、ふつうなのになんだか寂しくなる。

「橘、ごめんな?」

「なんで、謝るの?」

 なんで先生が謝るの? そんなの、悲しくなるじゃん……。先生と出会ったあの日が、すごく懐かしく感じる。最初は、とても嫌な人だったのに。いつの日か、先生のことが気になって好きになっていた。きっと、先生の優しさに触れたからなんだろう。でも、先生を好きになれたおかげで、人を好きになるということを久しぶりに感じて新鮮な気持ちになった。

「先生。いままでありがとう。先生に出会えてよかったよ」

「こちらこそ、ありがとな。橘に出会えて橘を好きになれたおかげで、本気で誰かを好きになるっていい事なんだなってのが分かったよ」

「そっか。んじゃ、もう帰るね。お礼を言いたかっただけだから。先生、さようなら」

 挨拶をして、教室を出ようとしたとき、先生が呼び止めた。

「ん? なに?」

 先生が近づいてきて、何かを耳打ちした。

「えっ本当に?」

「うん」

 先生に言われた言葉が、嬉しかった。泣きそうになった。

「じゃあな。さようなら」

「さようなら」

 準備室を出てドアを閉めた瞬間、いろいろな感情が混ざって涙が出た。


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