1-4
体育祭が終わって一週間が経ち、期末テスト三週間前になった。桜庭先生に、中間の時のように補習を開くとのことで、数学のある曜日だけ放課後行くことになった。
ところが、放課後の補習が始まってから二週間と少しが経とうとしていた時……。
「橘さん、ちょっといいかな?」
あるとき、山田さんに声をかけられた。話があるといわれて着いていったら、空き教室に着いた。
「入って?」
言われるがまま、ドアを開けたら、ドンっと背中を押されて、ドアの近くに立っていた山田さんの友達が咄嗟にドアを閉めて鍵まで閉めた。
「あのさー、一昨日と昨日、HRが終わった後どこに行ってたの?」
「どこって……」
「桜庭先生のとこ。行ってたでしょ?」
図星をつかれた……。
「なんか、おかしいと思ってたんだよね。数学がある曜日に限って先生が部活に来る時間遅いから。何やってるのかな?って思って、見に行ったら二人で補習をしていたのが見えたから」
中間の時もだったよね? と言われ、否定できない自分が悔しい。だけど、本当のことだから仕方ない。
「まさか、自分から頼んでいるわけじゃないよね?」
「そんな訳ないよ」
自分から頼むなんて事はしない。だって、勉強なんて自分の力でできるし先生の力なんて必要ない。だけど先生は、「お前はもっと伸びる」と言って、私を補習に来させるだけ。
その時、先生の声がした。
「橘?」
「桜庭先生のところになんて行かせないから!」
山田さんが、ドンッと私を突き飛ばした。
「うわっ!」
突き飛ばされた勢いで机に背中をぶつけた。
「いたっ。ちょっと! うっ……」
背中にぶつけただけでなく、突き飛ばされた反動で足首を捻ってしまったみたいだ。右足が痛んで上手く立てずに座っていた。
「橘? そんなところで何してるんだ?」
足首を優しく摩りながらいたら、先生がやって来た。
「先生?どうしてここに?」
「どうしてって、俺は橘のいるところなんてお見通しだから」
「えっ?」
「なんて。そんなの嘘だよ。
橘、あまりにも遅いから見回っていたらここから声が聞こえたから」
「あっ私も、先生が呼んでいるのが聞こえました。でも……」
「分かったから。それ以上何も言うな」
先生はゆっくり近づいてきて、私に背中を向けた。
「先生?」
「わかるだろ?」
わかる。先生は、私をおんぶする気だ。でも、何故か私は意地を張って動かずにいた。
「先生、バカですか?」
「は?」
「保健室なら、自分でいけます」
捻った痛みが残る右足を引きずりながら、教室を出た。
保健室に続く階段で上手く下りられずにいると、
「本当。めんどくせえやつ。ほら、乗れ」
痛みが限界に来ていたから、私は先生のいうことを聞いた。
「先生」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
「いーえ。山田には、もう二度とこんな事しないように良く言っとくから大丈夫だから。心配するな」
「はい。ありがとうございます」
いじめはなくさなくてはいけない。という、教師としての言葉だろう。決して、私個人に何かあるわけじゃない。
「よし。これで大丈夫か?」
「ありがとうございます」
保健室に入ったら、保険の先生は不在みたいで桜庭先生に手当てしてもらった。
「先生」
「ん?」
「……。どうして、こんなに私に優しくするんですか?」
気になっていた。本当は。
「……」
先生は、湿布のゴミをくるくると丸めては広げて遊んでいた。
「先生?」
「特に、特別な理由なんてないよ。あったら困るだろ?」
「困りません」
「えっ?」
「あ、いや」
なに言ってるんだろう、私は。
「先生のことなんて興味ありませんから」
「じゃあ、なんでそんな事聞いたんだ?」
「それは……」
周りからの目が気になるので。と、思ってもいないことを言った。
「そうか。それはごめんな」
「俺は仕事に戻るから、歩いて帰るのが大変なら、親御さんに迎えでも来てもらいなさい」
「はい」
「あ、そうだ。橘」
「他にも用ですか?」
「いや、特に用っていう用じゃないんだが」
「じゃあ、なんですか?」
「お前、進路はどうするんだ?」
「進路?」
そういえば、考えていなかった。全く。
「俺はお前のクラスの副担。だから気にしているってのもあるんだからな」
そっか。忘れてた。桜庭先生。私のクラスの副担任だった。
それだけ最後に言って、職員室に戻ってしまった。
進路……。私は高校三年。そして、そろそろ一学期が終わる頃。
何も考えていなった。気にしていなかった。自分のことなのに……。
「私……、何がしたいんだろう……?」
◆ ◆ ◆
職員室に戻り、コーヒーを淹れて机に座り考えた。橘は、なんであんなことを聞いてきたのか。確かに、生徒としては気になるだろう。数学のテスト対策を手伝ったり、運動会のとき保健室に連れて行ったり、さっきだって。実は、自分でも分からない。だが、橘に寄せてはいけない想いがあるのには少しずつ気付いている。だけど、これはダメなこと。だから、まわりの先生にばれないようにしなくてはいけない。
進路のことがふと頭をよぎり、担任の藍川先生に声を掛けた。
「あの、この間行った進路希望調査って、今手元にありますか?」
「ありますよ」
藍川先生は、横にある大きな引き出しを開けてそこから「進路関係」を記載されているファイルを取り出して進路希望調査の資料をお貸しして頂いた。
「ちょっと借ります」
「はい」
先生から受け取った資料を、コーヒーを飲みながらチェックしていく。一人ずつ見ていくと、それぞれ進路がしっかりしている。就職する生徒や、進学するにしても、四大なのか短大なのか専門なのかが明確にしている生徒が多い。中には、進学希望だか進学先は未定という生徒もいるが、『進学』となっているので問題ないといえば問題ない。
橘美波の進路希望調査はというと……、『進路希望…未定』。進学するのか就職するのか、それすら明確にされていない。まあ、この時期で決まってなくてもいいっちゃいいが、担任も副担任の自分も、本人の進路がしっかりしていないと今後の助けが分からなくなる。
「橘美波は、何がしたいんだ?」
期末テスト一週間前になった今日から、桜庭先生の特別補習はやらなくなった。自分から、「もうやりません」と言ったのだ。理由は、先週のとある放課後の日のこと――。
─―─
「じゃあねー」
この日は数学の授業があった日。帰りのHRが終わって佐奈とバイバイした後、数学準備室に向かうとき、とある生徒の会話がさりげなく入ってきた。その内容が……
「桜庭って、一人の生徒に贔屓しているみたいよ」
「えっ確か、四組の橘さんだよね?」
「そうそう。えっ、もしかして、補習とかいってやばいことでもしてるんじゃない?」
「やばいことって?」
「いや、生徒と教師っていったって、男女だよ? 相手は成人過ぎた大人の男性だよ?」
「うわ、やばっ」
そんなこと全くないのに……。ちゃんとした補習なのに……。私一人の行動が、勘違いされている。
「そんなことないよ」って、言うべきなんだろうけど、なんかそれもおかしい。まず、放課後に特別に補習していること自体おかしいことだ。
私は、罪悪感が生まれてきて、数学準備室に向いている足を昇降口に向きなおして静かに帰った。
─―─
そのことは、言えなくてずっと黙っているけど、先生はきっと気づいているんだろう。
昼休み、吉沢くんは風邪で欠席ということで今日は佐奈と二人でお昼を食べている。
「最近、頑張りすぎてるからなぁ……」
「吉沢くん?」
「うん。心配だよ……」
お弁当の蓋を静香に閉めた佐奈は、そういえばさ、と話題を切り替えた。
「桜庭先生のところは、行かなくていいの? 最近、学校終わったら素早く帰ってるからどうかしたんかなーって」
「あー」
「なんかあったの?」
私は、先週に会った出来事を話した。
「なるほどね……。それ、その人たちの嫉妬なんじゃない?」
「嫉妬?」
「ほら、桜庭先生って皆に人気じゃん? だから、贔屓されている美波が羨ましいんじゃない?」
「まさかそんなこと」
「あると思うよ?」
嫉妬……。確かに、嫉妬されてもおかしくない。
先生と二人きりで、放課後に教室で勉強しているなんてね。そりゃ嫉妬するか。
「でも……、それがなんだか寂しいの」
「寂しい?」
「うん。毎日学校で会えているのに、放課後会えないとなんか……」
「美波」
「ん?」
「やっぱり、それってもしかして……、こ」
キーンコーンカーンコーン
佐奈が何かを言ったタイミングでチャイムが鳴った。
「美波、また後で言うね」
「うん」
教室に戻る時、職員室の前を通るのだか……、
「あ……」
「ん? どうしたの?」
桜庭先生のところに、山田さんがいた。
「何話してるんだろう?」
何の話をしているのか気になった。前に、意地悪をするなと言っておいてくれたみたいだから、きっとあれはその事ではないはず。
「美波、行くよ? 授業始まっちゃうよ」
「うん。わかった」
とか言っときながら、何故か足が動かない。
「美波、大丈夫? 美波?」
佐奈の名前呼ぶ声もあまり聞こえないくらい。
桜庭先生と話しているっていうだけで、なんか、胸の奥がイタイ……。
◆ ◆ ◆
期末テストの一週間前になったある日、授業終わりに橘に呼び止められた。
「どうした?」
「あの、もう私大丈夫です」
「ん? 何がだ?」
「もう、先生の補習受けなくても頑張れます」
えっ……。
「急にどうしたんだ?」
「特に、理由という理由はないけど」
「ないならどうしてそんなこと言うんだ?」
「それは……」
「桜庭先生!」
ほかの先生が話しかけてきた。
「あ、じゃあ、次の授業があるので」
「橘?」
教室に戻っていく橘の背中がさみしく見えた。それは、きっと、自分の心がさみしくなっただけ。
「桜庭先生、橘さんと何かあったんですか?」
「いや、何もないです。大丈夫です」
「それならよかったです。生徒と何かあっちゃ大変ですからね」
「そうですね」
なにか、あります……。個人的に。
こんなことはばれたら仕事続けられなくなる。何のために俺はこの仕事に就いたのか分からなくなってしまう。だから、このことは絶対にバレてはいけないんだ。
昼休み、職員室でご飯を食べて午後の授業の準備をしていると
「失礼します」
女子生徒が三人入ってきた。山田と山田の友達だ。
「桜庭先生に用があって」
「ん? どうした?」
「先生、補習をやるなら言ってください」
「えっ?」
「今、学年の中で、橘さんが個人的に補習をしている。まさか、二人で何かやっているんじゃないかって、噂になっていて」
橘、まさかそれを気にして……。
「山田。勘違いもいいとこだぞ。俺は、苦手な生徒の力を伸ばしたくて補習を」
「だったら、苦手な子を集めてやったらどうですか?」
「それは……」
「私は、先生のことが好きだから」
「えっ?」
「好きだから、その、一人の生徒ばかり贔屓しないでほしくて」
「山田、贔屓なんかじゃない。それに、もう補習はやってない。先週で終わった。だから、これ以上うるさく騒ぐな。いいか? あと、山田。お前はできてる。だから、その調子で今回の期末も頑張れよ」
注意したうえで、がんばれって応援してあげた。
「はいっ」
山田は、笑顔で戻っていった。
「贔屓、か」
放課後、佐奈と一緒に帰った。
帰り際、ゆっくり話そうってなって近くの公園に寄った。
「はい」
「ありがとう」
公園の自販機で佐奈が奢ってくれた。佐奈は、冷たい炭酸飲料水。私はオレンジジュース。
「美波、今日の昼休みに言い忘れた事。言っていい?」
「うん、いいよ」
あの話の続き。ちゃんと終わっていない話題。
「美波さ、好きな人いないの?」
「突然、なに?」
私の好きな人を知って、その話題が終わるの? と思って、すぐには言わなかった。
「いいから。いるの? いないの?」
「……。居る……、かもしれない」
「かもしれない?」
「もし……、私が今好きなのがあの人なら……」
「美波。桜庭先生。でしょ?」
「……」
否定したいのに…、できない……。
「美波さ、昼休みに職員室の前通ったとき、中々教室に行こうとしなかったでしょ?」
「うん……」
「あの様子見て、正直どう感じた? 嘘つかなくていい。ていうか、親友の私に嘘ついてほしくない」
佐奈が本気だ。それほど、私のこと親友として大事に思ってくれているんだ。
私は、素直に自分の気持ちを話した。
「佐奈……。あの時、正直胸の奥が変な感じしたの、なんていうか、ざわつくというか」
「うん」
「今日のこと以外でも、そういうことがあったの。運動会の時とかも、やたらと喋りかけてきたりして、何がしたいのか何考えてるのか全然わかんないし。性格もなんか自意識過剰というかめんどくさいし。なのに、突然優しくしてくる。運動会で倒れた時、真っ先に駆けつけてくれたんでしょ?」
「うん」
「この間も、山田さんにいじめられて怪我した時も私の事おぶって保健室まで連れて行ってくれて手当てまでしてくれたり、その時、進路のこと聞かれたの」
「進路の事?」
「うん。実は私、高三の一学期が終わりに近づいているっていうのになんも決まってなくてさ。それで、ふと聞かれてすぐに答えられなかった。
俺はお前のクラスの副担だから、それもちゃんと気にしてるんだからなって言われて。先生として生徒の進路を気にするのは普通なのになんか嬉しくなったの……」
「なるほどね」
佐奈は、飲みものを飲みながら真剣に聞いてくれている。
「桜庭先生のこと、最初は大嫌いだったのに……。私の眼中になかったのに……。
数学も苦手だし大嫌いなのに、数学がある日の朝は謎に目覚めがいいの。多分、先生に会えるって思ってるからだろうけど。
放課後の補習だって、自分で、もういいですって言ったのに今さら後悔しているし……。
気付かないうちに、私、先生の事ずっと気にしてる。土日も会いたいってい思うようになってる」
「美波、中学の頃のあの思い出がある所為で、暫く恋愛から遠のいていたからアレだけど。それが『恋』だよ。相手のことを知りたい、一緒にいたいって思うのは、それはもう『恋』なんだよ」
「恋……」
「人を好きになるのに、良い悪いなんてないんだから。
先生を好きでいていいんだよ、美波」
そっか……。恋か……。
今までずっと、気付きたくなくて抑えていたんだ。
高三になって、私、好きな人ができました。
桜庭先生……。好きです……。
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