第一章:歯車の瞳

穏やかな朝陽

 まぶたの裏を照らすお日様の光が眩しい。


 朧気おぼろげな意識で宙を掻く。指先に肌触りの良い帳に触れると、それを掴んで、思いっきり前の方に押し投げる。シュアアって音と一緒にまた瞼の裏に夜がやって来る。ふわふわと空に浮かぶ綿毛みたいな気分だ。この状態が一番気持ち良いのだ。


「お~い、ハウ、起きろ。今日の水汲みの当番は君だろ」


 戸の辺りから聞き慣れた青年の声が流れてくる。


「くか~~」


 大袈裟おおげさにいびきを鳴らしてみる。寝ているぞ、って主張するためだ。


「寝たふりしても無駄だぞ。さっき開けといたカーテンが閉まってるんだ。良い感じに目が覚めたんだろ?寝ぼけてないで、早く行ってきなよ」


 彼の慧眼けいがんが私の演技を見破る。視線から逃げるように寝返りをうつ。布団の中は私の体温で温められていて、春の野の上に居るようだ。


「くか~~」


 またいびきを鳴らしてみる。狭い部屋の中に木霊こだまして、自分の中に戻ってきた声があからさまにわざとらしかったから、自分の演技力の無さに落胆する。もちろん、それを表面には出さない。出したら無理やり起こされるんだもの。


「いいから起きなって、もう朝ご飯も出来てるんだよ。それも、ハウの大好物のサデュル(猪のような体躯に雄々しい鹿の角を有した動物)の肉の塩漬けと水鳥の卵焼き。早くしないと冷めちゃうぞ」


 彼の囁き声が耳に入ってくる。すぐ近くに彼の気配を感じる。どうやら寝台の近くに寄ってきたようだ。こそばゆくて少し身体が震える。


 もう一度寝返りをうつ。私の寝台は壁際にあって、一度目の寝返りでは壁と見つめ合う形になった。二度目の寝返りでは自然と戸の方に正面が来るようにする。そして、瞼を開く。眼前に精悍せいかん双眸そうぼうを持った青年がじっとこちらを見つめている。眼と眼が合っても、私は眼を逸らさない。控えめに言うなら、見惚れてしまったのだ。彼岸花のような深い紅の髪が美しい。


「うん、どうかしたのハウ?まだ夢の世界に散歩中かい?」


 にこっと揶揄からかうような笑みを浮かべる彼。そんな顔で見られると、頬が勝手に熱くなってくる。風を浴びて頬を冷やしたくなってくる。


「ずるいよ…」


 薄く、そう呟いてから私は身体を起こす。寝覚めは良い。寝足りない時の倦怠感けんたいかんも寝過ぎた時にくる目の痛みも無い。さっき閉めた窓を開けてみれば、薄暗い部屋に陽の光が堰を切ったみたいに流れ込んでくる。木枠に囲まれた窓の硝子が風に吹かれてピシピシ言っている。


「さっ、美味しい朝ご飯がお待ちだよ。眠り姫」


「もう、フラム、揶揄わないでってば。誰だって眠さには適わないものなの」


 フラムは寝台にかけていた腕を離して、軽く手を振りながら部屋から出て行く。戸は開いたままで、床の木目が陽光でくっきりと見える。


 フラムが出て行ったのを確認して、私は髪を一束にまとめる。自分で言うのもなんだが、深雪のように真っ白な髪の毛。毛量が多いせいで、数本の雪の糸が私の手から零れる。目の縁に少しだけ髪が掛かる。


 出っ張った窓枠の上に置いてある髪留めを手に取る。私の髪に似合うと言って、フラムがプレゼントしてくれたもので、瑠璃るり糸を編んで作られたそれは、陽光を浴びると宝石みたいな光沢が生じる。髪留めを唇で挟む。


 もう片方の手で零れた髪を掬い上げて、唇に挟んだ髪留めをもう片方の手で取り、急いで髪を結わく。回数を重ねた慣れがあって、髪の零れはない。

朝のルーティーンを終えた私は寝台から出る。獣の毛を集めて、ある植物から採れる糊を皮に貼り付けたフラム特製の毛布の温もりが名残惜しいけど、仕方が無い。


 グウウウウ


 私のお腹の狼が遠吠えをあげる。まあ、待ち給えよ。直ぐに美味しい朝ご飯が君を満たしてくれるはずだからね。


 リビングの方から漂ってくる香ばしい匂いに引っ張られて、私は部屋を後にした。

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