放たれる奔走への嚆矢 幕
根拠になる答えは返ってこなかったけれど、きっと図書部で何かがあったのだと私は睨んでいる。
だって、家に帰って来るのが遅くなり始めた秋の終わり頃から、お兄ちゃんは心を塞いでいた状態から徐々に抜け出していったのだ。
バイトを始めたり、何処かに寄り道なんかはしていない様子だったから、放課後に焦点を当てるとすると、考えられるのは部活ぐらいなんだよね。
それに、お兄ちゃんが抱えていた病の重さは、人それぞれで違う物。私が見ていた限り、お兄ちゃんが患った病は、すんなりと自力で完治出来るほど、軽いものではないと感じた。一番そばで見ていた妹である私が言うのだから間違いはない。
自力ではーー。つまりは、立ち直るきっかけを作った、もしくは支えてくれた誰かがいるはずなんだよ!
そして、その関係に至るには接点が多い方が確率が高い。
となると、秋桜高校における学校生活で、生徒同士が一番長い時間、関わりを持てる場所。
それもまた部活と言うことになる。
この両方の理由を合わせた見解ときて、あの図書部の面々だ。
精神的な病には、恋による上書きという療法も可能性として大いにあり得る。
だから、返ってきた答えに納得出来なかった私は、怪訝な眼を向けていた。
しかし、そんな視線にも気付かず、食器を水に浸け終えたお兄ちゃんは、流れるように冷蔵庫を開けだした。
「まぁ、でも居心地が良いのは確かだよ。彩葵も食べる?ケーキ?」
「えっ?」
「デザートのケーキ、今は要らない?」
「あ、うん。食べる」
やっぱり!あんなワイワイした部活で、人を避けようとしていたお兄ちゃんが居心地が良いと言うのは、人間関係に関連しているって事だ。
そもそも、お兄ちゃんって優しいし、顔は女の子みたいな可愛い系なんだけど、こうと決めた事には真っ直ぐに進んでいく所がカッコいい。
そんなの周りが放っておく訳ないもん!
お兄ちゃんの素晴らしさが広まるのはいいけれど、お兄ちゃんの一番は私じゃなくちゃ嫌!
「どうした?机ばっかりずっと見て」
どうやら、集中しすぎて動かなかった私をみて、声を掛けてくれたようだ。
「ちょっと、考え事してて……」
「そんな時は糖分の摂取がオススメだ。ケーキ、どっちにする?」
差し出されたのは苺のショートケーキとモンブラン。
お兄ちゃんは、モンブランが好きなのを知っているので苺の方を選ぶ。
「さっきの話、もしかしてうちの部に入るつもりなのか?彩葵は陸上部にするんだろ?」
「う、うん。そうしようと思ってたんだけどー「高飛びをしている時の彩葵は綺麗だからな、頑張れよ!」……」
図書部に入ると口を開く前に、お兄ちゃんがそう言って頭を撫でる。
瞬間、心が飛んだ。
一八〇センチのバーを軽く超えるくらい跳んだ。
くぅわぁぁあー!!その言葉はズルい!
そう言われると、陸上部をやめて図書部に入るなんて言い出せないよ!
これは、ハーレムの崩壊を阻止する為に、私を近寄らせまいという機略。全く、恐るべき策士だよ!
まぁ、実際のところ本人は何も企んではいないと思うけれど、天然でこういう事する所があるから、部員の人も結構大変だと思う。なので、こう願わずにはいられない。
どうか、図書部の人達が耐性持ちでありますように。
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