第7話 秘密

 薬を飲み始めてからは倦怠感や喉の痛みも瞬く間に消え、寝込んだ二日後の朝には三十九度以上あった熱もほぼ平熱まで下がっていた。

 とはいえ、病み上がりは安静にした方が良いという会社の判断により今日も仕事を休むことになった。



 安静とは言ってもさすがに家事はやる他ない。今はベランダで洗濯物を干している。

 風邪で寝込んだこともあるが、昨日が雨だったことも大きい。その結果が山のようにたまった洗濯物だった。


 普段は毎日洗濯をするためカゴがいっぱいになること自体珍しい。今朝の洗濯機も久々に本気を出せる機会を得たかのように仕事に打ち込んでいた。

 洗濯機により洗われた衣類をひたすら干し続けてみて気づいたが、病み上がりとは思えぬほどに体が言うことを聞き、つい先日のものが嘘のように感じる。


 外気は秋を忘れたようにすっかり冬の匂いを漂わせる。


「ああ。もう今年も終わりか……」






 

 それは高校受験までの日数がもう間も無くという距離まで近づいていることを示唆している。

 夏のままだったなら、きっと今ごろは不安や心配で胃に穴が開く思いだったに違いない。夏のままだったのなら。


 今の私にはあの時ほどの不安を抱える必要はない。

 新学期に学校で受けた模試では、夏休みの努力の成果がしっかりと点数に反映されていた。

 担任の大西おおにし先生との面談でも、このまま順調にいけば志望校合格も十分可能なほどに学力が上がっていると聞いてひと安心したものだ。

 

 実際あの面談以降も志望校合格のために、裕輔くんは勉強に精を出し続けている。運動部が部活引退後にその持ち前の集中力で成績を急激に上げてくる、をまさに体現していた。


 これなら合格できる。そう思うと、病み上がりだったことなど忘れてその場で飛び跳ねるぐらい、自分のことのように心が踊った。


 カゴの底に手が当たる。あれこれ考えるうち、大量にあった洗濯物は全てベランダに陳列されていた。






「ただいまー」


 玄関の扉が開く音とともに声が聞こえた。


 その声で覚醒する。時計を確認すると一時間ほど過ぎていた。

 あの後、居間を掃除してから昼ご飯を食べたところでうたた寝してしまったらしい。


「おかえり」


 今日は学校の用事で短縮授業になっているため普段よりも帰りが早い。


「あれ、兄ちゃんどこか出かけたの?」


 居間にやってきた夏樹くんが発した言葉はそれだった。


「え? どうして?」


「今日は兄ちゃんの方が帰り早いのに靴がなかったから」


 玄関に行き確認する。本当だ。裕輔くんの靴がそこにはなかった。


 しかしどうだろう。あの裕輔くんが寝てる私に何も告げずに出かけるとは思えない。いや、病み上がりのことを考えれば寝かせたままという可能性もあるのか……


「部屋に兄ちゃんのバッグなかったからまだ帰ってきてないかも」


 二階から降りてきた夏樹くんにそう言われ、少しばかり不安になる。

 裕輔くんの下校時刻からはすでに一時間以上が経過していた。


 この時期に外で友達と寄り道するような子ではない。志望校合格のために日々努力していたことを私は知っている。


 まさか何かの事件に巻き込まれて……

 嫌な考えが頭の中を埋め尽くすように次々と顔を出す。

 どうしよう。警察に電話した方がいいのかな。でも実際に起きたのかどうかわからないし……




 玄関の扉が開く。

 そこから見慣れた姿が現れた。


「え。なんで二人で玄関にいんの?」


 なんてことない顔をした、いつも通りの裕輔くんがそこにいた。

 頭に浮かんだ考えが全て払拭され真っ白になる。


「兄ちゃんどこ行ってたの?」


「ん。まあ、ちょっとね」


 裕輔くんはそれだけ言うと、これ以上は聞くなという雰囲気を漂わせながらそのまま二階の部屋へと行ってしまった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る