第22話 別れ…(序章の終わり)

血が滴り落ちる。

鏡のように磨かれていた鋼の刃から、赤い滴がぽつぽつと落ちていく。

「美羽・・・・・・・・・・すまない」

シラの整った顔が今は悲痛に歪み、紅い瞳には更に鮮やかな紅い血が映りこんで

それでも揺らがない視線が彼の決意を表しているようだ。

「美羽・・・・・・さん」

返事の返らないことが、当然のことなのに悲しかった。

動かなくなった神族は首筋から止まることなく血を流し

自分の足元に倒れている。ずっとその情景を思い描いてきたはずなのに

後悔しないようにと、再び選んだはずなのに、悪夢のように感じるのは何故だろう。

「・・・・・みう」

あなたを失いたくなかった。

できることなら殺したくなかった。

「後悔は、しませんよ」

現れた神族があなたでさえなければ

もっと楽に終えられたのだろうか。

「・・・・・・・・・・っ」

もう動くわけがないのに目が離れない。

全身の血が絶望に冷たくなっている気がする。

俺がやったんだ。

彼女を、希望となる神を殺した。

きっと多くの希望も潰した。

それでも、これが俺の望む結果だから後悔はしない。

きっと後悔なんてしない。

「でも・・・・ツライです」

俺はあなたを愛してしまったから。

だから泣きたいんだ。

後悔しているのではない。

俺は、選択を間違ってはいない。

「言い訳に、なってしまいますが」

死者に言い訳してどうなるわけでもないというのに。

「・・・・・・始めの一撃は私の意思ではありませんでした」

それだけが、せめてもの言い訳。

「奴に洗脳されたのか・・・・覚えていません、意識が朦朧としていて。

でも、あなたの言葉で意識を取り戻しました」

あなたを守ると誓った意思なんて、奴に簡単に砕かれてしまった。

結局は奴の力が関わらなくても、弱い意思なんて消えてしまったが。

つまりはその程度の想い、その程度の恋だということだろう。

その程度の気持ちなのだ。

「ありがとうございます」

それでもこの言葉は、生きている間に伝えたかった。

「おかげで後悔しないように、自分で選択することができました」

動きはしないあなたを見ても、反応しないというのに。

「こうするしか・・・ないんです」

動かないあなたが、どうしてこんなにも嫌だと思うんだ。

どうしてこんなにも苦しい。

「これが、これが一番後悔しない結果なんだ」

俺は選択を間違ってはいない。

間違ってなんて、いないんだ。




しん、と静まり返った空気が寂しさを深めている。

雲の晴れた空で光る月が

犯した罪を示すように、闇を払って世界を照らしていた。

「残念だ」

凛とした声が響いた。

「え?」

「それが君の選んだ答えなら、仕方がないね」

凛とした女性の声だ。

むくりと死体が起き上がる。

「!!」

「あなたを敵とみなします」

血の気のない蒼白の顔が、不敵な笑みを浮かべている。

青年はただ目を見開いて動けなかった。

ぽかんと口を開いた姿を見て、美羽がクッと喉で笑っている。

「・・・・・どうして」

「生きているのか?」

「っ!」

ふふふと彼女は笑う。

いつの間にやら、彼女の首から流れる血が止まっていた。

血は止まっていても、顔に血の気は戻ってなく蒼いままだ。

「ふふ、賭けに勝ったから生きてるの」

不明な言葉が余計にシラを混乱させた。

「どうして、生きているのですか」

「私が誰か忘れたの?」

美羽が薄く笑う。

「『神』がどれほどの力を持っているのか、予言は教えてくれなかったみたいだね。

 それが二つ目の賭けだった。一つ目の賭けはあっけなく負けてしまったから、

 少し心配だったけど」

くっくっと喉を鳴らして笑う。

シラはもう驚きと混乱を超えて呆然として。

「神のちから・・・ですか・・・・・・・・・・・・・」

美羽はふっと笑って一蹴する。

「残念だよ、シラ」

美羽の顔から笑みが引いた。

「私は選ばれなかったんだな。残念だ」

残念だと首を振る。

「でもうらやましいとも思うよ。

君には友達を殺してまで守りたいと思う何かがあるってことだからね。

 それとも友達だと思っていたのは私だけかな」

頬に血と髪を貼り付けたまま首を傾げた。

シラはまだ呆然としていて、意識があるのかも判らない。

美羽はつまらなそうに顔をしかめ、言葉を紡ぐ。

シラを追い詰める罪悪感はないようだ。

「生きたいか」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「シラ」

幾分か問い詰める響きがこもっていた。

名を呼ぶ声に反応してか、視線の定まらなかったシラの瞳が

しっかりと金の瞳を見据えて。

「殺してください。・・・・あなたに殺されるのなら、本望です」

気力の抜けた声は本心のようであり

なげやりにも聞こえる。

「ふふ」

美羽は笑う。狂ったようで、悲しい笑い。

ただ静寂に木霊する笑い。

「私は・・・・あなたを斬りました。あなたを殺すと決めたから」

次第に意識を取り戻し始めたのか、シラは淡々と語る。

「ふふ、後悔はしていない?」

「・・・・はい」

紅い瞳には陰りが宿っていた。

美羽にはそれが面白い。

「ふふふ、そう。キミは死にたいんだね」

シラは頷く。

「では、さよなら。シラ」

再び美羽の顔から笑みが引く。

目から顔から感情の色を消して、手には目に見えるほどの魔力を渦巻かせる。

いつの間にこれ程まで魔力を操れるようになったのか、

シラはぼんやりとした意識の中で考えていた。

ぼんやりしている頭に、最後を告げる声が響く。

「さようなら」

これで終わるのかと思うとすこし気が楽になって、

シラは自嘲に笑んだ。

目を閉じると、視界には闇だけが広がっている。

死ねばこの闇さえも見えなくなるのかと思うと、

少しだけ怖かった。

「何でだろう?」

笑いながら言う声がした。

美羽の声だ。

「殺せない」

あはははと笑うから、シラも不思議に思って目を開けた。

見ると金の瞳は笑いに細まり、涙に潤んでいる。

「胸のあたりが苦しいんだ」

ねぇ、と語りかけるようにシラを仰ぎ見る。

「このあたりがやめろと言っているんだ、何なんだろうね、これ」

ぐっと握った拳を胸に当てて笑っているのに、目は泣きそうに潤ませている。

その悲しい姿はシラに涙を伝染させた。

「前にも、こんな風に苦しくなった時がある気がする。いつだったか、覚えてないな」

美羽は体を反転させて、部屋の中を歩きだした。

顔には少し血の気が戻ってきている。

「いつだっけ。中学のときか、小学だった気もするし・・・・・」

呟く彼女に、シラは何もできなかった。

「あぁ、そうか」

歩いていた足を止めて、くすくす笑う。

口にあてている手が血で赤く、それだけが数分前の景色の名残だった。

「なるほど」

美羽は笑みを引き、冷静な眼差しで呟く。

「だからか」

声は低く、落ち着いている。

さっきまでとは別人だ。

「美羽・・・?」

シラの声がして、彼女は思い出したように彼を見た。

そしてまた笑う。

「はは、壊れてるかも」

少し悲しそうな笑顔が、シラの胸を締め付ける。

「まぁ仕方ないよね。それだけのことがあったもの」

ふっと苦笑して肩をすくめる。

「・・・・・・・・美羽・・・すまない。俺のせいだ俺が」

「違うよ」

くすくすと笑って言葉を遮った。

「確かに原因のひとつだけどね。それよりあっちの方がきつかったから

 ほぼそっちのせいだよ。君は悪くない・・・・・・あまり、ね」

シラは顔を背けた。

動かした視線の先にはお茶を淹れる容器がある。

「ごめん・・・・」

「気にするなよ。今更どうしようもない」

茶を入れる容器の隣に、水差しとグラスが置かれている。

「じゃあな、いつかまた会おう」

「え」

シラが美羽を振り向くと、彼女は手に魔力を纏っていた。

白い魔力は密度の高さを表していると、そんな話を聞いたのを思い出す。

「レオンに何かしたら、さすがに殺すよ」

そう言うと、薄く笑いながら彼女は魔力に身を包まれ、消えていく。

「美羽!?・・・・」

いつかまた、ということは

それはここを離れるという意味だろうか

スイラを離れるという意味だろうか

「駄目だ!!」

全力で魔力のある場所へ駆け寄る。

「今他国に行っては危険だ!!!!」

白いもやを手で払っても、そこに彼女の姿はない。

気配すらも感じられない。

「美羽っ!!!!!」

あるのは目の前に漂う魔力の片鱗のみ。

「っ・・・・」

シラは目の前に漂う魔力の残りかすを掴むが、何も変化は起きなかった。

顔を悲しく歪ませて、視界を拒否するように目を閉じる。

感触のない白い魔力を握り締めると、魔力は霧散して消えていった。


月明かりの強い夜だった。







【乱章へつづく】

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