第21話 願う夢の終わりまで

「うっ・・・」


ごほっ、と女は咳き込んで、手で口元を押さえ込む。


咳が治まって見た掌は、紅い血で濡れていた。


(・・・・・・胃を、やられたか・・・)


ぴちゃり、と音をたてて血だまりの中に手を落とした。


水気を含んだ絨毯の毛が手に触れ、今にも血の中に埋もれそうだ。


(シラ・・・・・君だけは疑いたくなかったのにな。綺麗な、まっすぐな目をした君だけは)


血色の悪くなっていく顔は呆然としていて、


血が下がっていくごとに、人から遠ざかっているかのよう。


「・・・・・・なぜ?・・・・・・・・・シラ・・・・・シラ、どうしてあなたが・・・」


ごほっ、と一度血を吐いて、こんなことを?と音の出ない口が言葉を紡ぐ。


息苦しさと下がっていく血の流れのせいで、目の近くの穴からも透明な血が流れ出て。


赤が点々とつく蒼白の顔の中を、つと涙が降りていく。


頭から血が落ちて消え、彼女は思考を続けるのが困難になっていった。


(・・・・・・・・)


こほっ、と食堂を逆流してきた血が外気に晒される。


口を押さえる左手は、血だまりの中でよわよわしく拳を握る右手に負けぬほど


赤く赤く濡れていく。


「・・・・・・・・・・シラ」


再び上を向いて出された言葉は、青年の言葉を促すものだが


彼が言葉を出すことはなく、ただ少し、眉間に皺がよる。


血にを失い地に濡れる女は一度フッと鼻で笑い、まっすぐ紅い瞳を見返して


吐き捨てた。


「好きになさい、それがあなたの願いなら。私は、あなたの為に死んでも良い。


 あなたの為になるのなら殺されても良い」


言い終えると同時に胸まで競り上がってきた血は、何とか中で押し留める。


紅い瞳に据えられた金の瞳は、輝きを失わずに青年を見返し続ける。


返り血に彩られる白い服の襟が、小刻みに震える顔にあわせて震え出す。


カラン、と絨毯のない石の床に剣が落ちた。


「――――――やめろっ」


突然我に戻ったように、叫ぶ声が響く。


密閉された室内の音は外に漏れることなく、人を呼び寄せることもない。


「やめろっやめろやめろやめろやめろやめろ」


次第に悲鳴のような声となり、


形の良い大きな目から、涙が滝のように零れ落ちる。


「やめ、ろ、やめろ、やめろ」


「シラ」


美羽が名を呼ぶと言葉が治まり、代わりにさっきまで剣を持っていた手で頭を抱えた。


うあうあ、と呻いては膝をつき、涙を流す。


「・・・・・・・オレは・・・オレは」


「私に、死んでほしいのね」


異様に静かな声は、混乱する頭の意識深くに入り込む。


「ちがうっ!!」


「うそ」


涙が引いていく顔で、必死に言葉を紡ぐ。


「違う、違うんだ・・・俺じゃない。私は殺したくない」


その言葉は、すこしだけ喜びの混じる微笑みを生んだ。


「俺は殺したくなんかない、あなたを、あなたを殺すなんて!でも、


 やらなければ、やらなければいけないんだ。やらなければ―――――――――」


シラは暗示のように言葉を吐き、落ちた剣を拾おうとする。


しかし手が震えてカランと音をたてて落ちてしまう。


何度も、何度も、何度も


ただただ同じ動作を繰り返す。


「シラ・・・・・・・」


美羽からはすでに、希望を持つ心は消えていた。


ただ哀しげに、感情のない目で、ひとりぼっちで呟く。


声が届いたシラの体は、麻酔を打たれた象のよう、怯えたまま固まり停止する。


怯える姿を見て、美羽は微かに苦笑した。


答えの見えない困難に震えているのか、停止していられないシラの手に


そっと、血塗れた手が重ねられた。


血でぬめる冷たい手は青年のものより小さく、包み込むことは不可能だったが


それでも力は得物に伝わり、剣は床を離れる。


シラと美羽の間に剣が保たれたまま、四つの足が立ち上がり、吊られる形で起き上がった青年は


瞳をきょろきょろと所在無く動かし、瞼を瞬かせる。


金の瞳は感情を乗せず、シラの動く目に据えられて、無表情のまま血の下がった首筋に刃を当てる。


ドクン、と青年の心臓が脈打った。


(・・・・・・・・・・)


数瞬にも満たない時が、停まったように永かった。


見捨てられた子供のように、呆然とする青年の正面で


薄く、極僅かに美羽が笑う。


期待も絶望も宿らない、悲しいほどひたすらに笑っただけの瞳は。


幻であったかのよう、一瞬の内に消え入った。


それでも、シラは見落とさずに脳裏に貼り付けて、たった一日前の記憶を蘇らせた。


(後悔しない道・・・・・・・・俺は何がしたいんだ。何を望んでいるんだ)


時が流れ行く


ゆれていた紅い瞳が、決意の色に染まった。


金の瞳が驚きに見開き、血飛沫が上がる。


そして悲しげに黒い眉を寄せて、輝きの金色は下へ下へと落ちていく。


金色の円には装飾の美しい服の止め具が、次いで白い布に染み付いた鮮やかな赤色が映り込み。


白い布を映す頃、瞳は瞼の影となりに行く。


力を無くした体は、糸の切れた操り人形のよう、血だまりの中で崩れていった。


頭が床にぶつかる衝撃で、晒された蒼い顔から目に溜まっていた涙がぱらぱらと飛び散り


残った涙はこめかみを伝って耳まで届いた。






ぼんやり浮かぶ淡い金色の円は、青年の影の中へ薄い明かりを差し込める。


さっきまではあった同じ輝きを持つ二つの円は、瞼の下に隠れていて、どうしたものかと


心配した月は光を強める。


差し込む光の中、二つの円の持ち主は薄くしずかに微笑んでいた。


穏やかではないけれど、微笑んでいる姿をみつけて月はほっと息をつく。


月の息は冷たい空気の中で雲となり、月光を淡く弱くする。


淡い月明かりの下、照らし出される美羽のカラダは匠の造った人形のよう


形良く静かに崩れている。









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