第20話 涙に変えて

殺したくないと抵抗して、喚いていたのに

刃は首から離すことができない彼は今、何を思い、何を考えているのか。

どちらを選んでも後悔するときは、より後悔しない方を選べと

そう言われた事を思い出して、内心では頭を抱え、必死に数多の可能性を考えている。

どの道がどこに繋がるかなんて、

簡単に読みきれるものじゃないというのに。

その中からたった一つを選ばなければいけないなんてと、持ちかけた彼女を恨みながら。



             ********


「やるせねぇな・・・」

茶色の髪を持つブルートがぼそりと言った。

「女神さんもよく平気でいられたもんだ、まだまだガキっぽいのになぁ」

少女のように苛立ちを露にする、そんな人間味のあるあの人は

本当に神と呼ばれるものなのか。

不思議に思うほど親近感があった。

詳しくどんな人かなんて分からないが、それほど近寄りがたい人ではないと感じる。

それでも、あの金色の眼差しからは孤高としたものを感じて、

人では無いと言われれば納得してしまう。

「そっちはいたか?」

近くにいた金髪のザインに声をかけると

きょろきょろと辺りを見回していた顔をこちらに向けて。

「いなぇ、いそうにない」

くっと顔を歪ませる。

「そう言うなよ、女神さんはまだ諦めてねぇんだ」

よく気絶もせずにいられるものだと、感心してしまう。

この町は、人の死に不慣れな人間には酷な環境だろう。

ジェームス閣下の言うとおり、彼女は平和な世界から来たのだろうかと

冷静に指示を出している姿を見てからは疑いを持っていた。

「そうだな、よく諦めないでいられるもんだ」

ザインはどう思っているのか、声色から関心の色が

感じられるところを考えると、疑ってはいないようだ。

「・・・・そういう人なんだ。きっと」

あの神は、死体に対面しても顔をしかめただけだった。

視線を死体からそらさずに、じっと厳しい顔で見つづけて

逃げずに真正面から向き合っていく姿勢には好感を抱けた。

そんなことを考えながら言った言葉には、好感がにじみ出ていたのだろうか。

ザインが面白そうに見てくる。

なんだよ。と言いながら不機嫌な目線を送ると

彼はハハ、と小さく笑った。

「お前も神の魅力にやられたのか?」

「あ?どういう意味だよ」

ザインはクッと憎らしく笑う。

「あいつもそうだ」

離れた場所にいる仲間を顎で示す。

グラッツだった。

「神が意外と人間らしいって分かってから、妙に肩をもつんだ」

ブルートも小さく笑い出していた。

「あいつは女子供に甘いからな」

はは、と笑う。

人の少ない静かな世界での笑い声は、寂しさを増すように響いて

二つの笑みは、次第に元気をなくしていく。

「悪かったな」

二人の背後からグラッツの声がして、取り戻しかけていた静寂に冷たさが混じる。

「なんだ、立ち聞きしてたのか?」

ザインが笑いながら言う。

「趣味悪いねぇ」

「たまたま聞こえただけだ!!」

妙に気迫を感じる声で否定され、ザインに続いてブルートも笑った。

「それより女神さん見かけたか?見当たらないんだ」

「はは、本当に骨抜きだな」

ブルートが笑う。

「だろ?」

ザインも笑う。寂しい笑い声が耳に響いた。

誰も生きてはいないだろうと、もう諦めをつけるべきなのだと

長年の経験者達は気づいている。

だから笑って、落ちて行く気持ちを持ち上げる。

「うるせぇ、それでどうなんだ」

グラッツの平坦な顔が、真っ赤に染まっていて

それが面白く、二人は笑う。

それでも腹の底は冷えている。

「俺はみかけてねぇな。お前は?」

「いや、さっきまで見えてたんだけどな・・・」

ブルートが茶の髪を掻きながら答えた。

特別お付の兵士になっていたわけではないけれど、

女神は彼のそばから離れないように行動していた。

それには他の兵たちもうすうす感づいていて、彼に任せていたつもりだったが

今、ブルートの近くに彼女の姿は見当たらない。

「それって・・・・お前」

しん、と辺りが静まり返る。

どうしてと考えて、すぐに察しがついた。

「まさか」

「敵か!!?」

とっさに腰の得物に手をかけて、三人は三方を振り向くが

周りには見方以外何者の姿も見当たらない。

「探すぞ」

おう!とグラッツが答えた時

探し人の悲鳴が響き渡った。



            *


探していた敵と対峙して、ベリアルは鋭く敵を睨みつける。

しんと痛いほどに静まり返ったその場所にまでは、美羽の悲鳴は届かなかった。


敵はどうやら、スイラの騎士隊の登場に動揺しているらしく

今の場所に追い詰めるまで、少人数ずつ襲ってきた。

これなら倒すのは容易だと、順調に敵を斬っていく。

だがそれでも気がつくのは、相変わらず敵の様子がおかしいことだ。

スイラの侵攻してくるイバルラの小部隊はいつも、人の生気が無いように見える。

それでも隊長格の人間だけは、人らしく頭を使うから厄介で

ここまで追い詰めるのに少々手間がかかった。

そして敵と対峙して気がつくのは、やはり生気の感じられないことと

返り血を浴びた服を着ていること。

見ればベリアルの腹の中でぐつぐつと熱い何かが煮立ち、体中が殺気立つ。

敵は20ほどいるが、騎士の服装をした敵は3人だった。

容易に勝てるだろうと、頭は冷静に考える。

ベリアルの隊はスイラ国の騎士隊中、接近戦の戦闘力は最も高かった。

そのかわり、騎馬力のない魔術師はいないが

今向かい合っている敵は容易に捉えられると、経験から感じられた。

ベリアルが合図を出すと、部下の騎士達が動き出す。

一人、また一人と敵を地に伏せていき、ベリアルは敵の隊長と一対一で向き合った。

『捕らえろ』

と一日上司の女神に頼まれては、こいつを殺すわけにはいかないから

瀕死程度の傷を負わせて持ち帰った。

顔に張り付いた敵からの返り血を拭きつつ帰ってくると。

「隊長!!!」

一人の兵士が血相を変えて駆け寄ってくる。

ベリアルは相変わらずの無表情で平坦な顔の兵士を見る。

「どうした」

「女神様が・・・・」

嫌な予感を感じ取って、ベリアルは顔を渋くする。

「こっちです」

捕らえた敵の見張りの騎士だけを残し、他の騎士とベリアルはザインに連れられて走る。

辿り着いた場所には、茶髪の兵士に体を支えられながら

小さく屈んで座り込む女神の姿があった。

「神?」

とベリアルが呼びかけても、彼女は何の反応も示さない。

ただ、震える。

「女神殿、どうしました。女神殿」

無機質なベリアルの声から、今までには無かった焦るような感情が汲み取れて

騎士も兵士も不安を感じずにはいられない。

「無駄です」

と美羽を支えているブルートが言う。

「我々も呼びかけましたが、反応がありません」

「何があったのだ」

つとベリアルが彼を見た。

無機質な目がくると思っていたブルートは、

怒りと哀しみの感情を宿す瞳にぶつかって、堪らず目を逸らす。

「・・・分かりません」

「すいません。目を放している間に、こんなことに・・・・・」

言って、隣で座り込むザインが悔しげに唇を噛む。

周りの兵の、誰の顔にも後悔の色が見られて、ベリアルはそれ以上の問い詰めを諦めた。

「・・・とにかく、城へ連れて行くぞ」

「了解」

即答の声は後ろにいた騎士たちからで、彼らは素早く兵から美羽を受け取ると

さっさと馬車に運んでいく。

誰もが心配だった。

気絶するほど苦しんでいる姿を見ては、女神だから大丈夫だと思える者などいはしない。

今は何より、か弱い女性を助けるという思いしか

誰の心にも存在していなかった。

夜に輝く月の明かりが世界を明るく照らしていた。




             *****


美しい彫刻や細工の施された部屋。

他国からの迎賓室にも使用される客間で

担当の侍女が二人、深刻な顔でしんとした室内に立っていた。

夜を迎えた客間では、高い天井に付けられた月明かりに似た灯りが

二人の顔を照らし出している。

かちゃかちゃと、カレンがたてる陶器の音が

しん、とした空気のなかで寂しく響いていた。

「・・・きえろ」

小さな声がした。

侍女二人がはっとしてそちらを向いて、顔に期待の笑顔を溢れさせる。

「消えろ!!!」

先程と同じ女性の叫び声が響いた。

静かだった室内を震わせる声に、マリアはびくりと固まった。

しん、と再び静寂が室内に広がっていく。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここは・・?」

今度は落ち着いた女性の声がして、つづいて布の擦れる音がする。

はっとしたマリアが小走りでベッドへ寄っていく先では、目覚めた美羽が起き上がり

うつろな瞳で周りを見回していた。

彼女は走り寄ってくるマリアのことを見ると、

改めて自分がベットの中にいたことを認識した。

「・・夢?・・・・いや・・・・・・ある、まだ私の中に」

くっと苦しげに顔をゆがめる。

駆け寄ってきたマリアの後につづいて、水を持ったカレンが歩いてきている。

「女神様!お目覚めになられましたかっ」

明るいマリアの声が寂しい室内に放たれて、

少しだけしんと冷たい雰囲気が払拭された。

「・・・・・君は・・・・・・・たしか城にいた人・・・」

美羽がぼんやりとした顔でマリアを見つめる。

マリアはほっと息をついた。

「あぁよかった、心配したんですよ」

「たしか、マリア・・・・だったね。

 ねぇ・・・どうして私はここに居るの。お城・・・のようだけれど」

マリアはにっこりと安心させる笑みを見せて。

「女神様は遠征先でお倒れになられたのです。

騎士の方々が血相を変えてここまで抱えてきたのですよ。

あの無表情なベリアル様まで血相を悪くしていました。よほどご心配だったのでしょう」

「そう・・・・」

美羽が目覚めて安心したのか、嬉々と話すマリアの横から

カレンが水の入ったグラスを差し出すが

美羽はぼんやりとした顔のまま、動こうとしない。

「女神様、大分汗をかかれたようです。水分をお取りになってください」

「・・・・・・」

美羽はつとカレンの青い目を見て、礼も言わずにグラスを受け取り水を飲む。

城を出る前の、にこりと微笑んでありがとうと言っていた美羽との違いが

侍女たちに不安を募らせた。

マリアとカレンは不安な顔で見合わせた後、マリアが扉へ向けて足を出す。

「今ベリアル様を呼んできますね」

「待て、呼ばなくていい」

すかさず美羽が動きを止めた。

ぼんやりしているのかと思っていた二人は驚いて、

更に目を見て動けなくなる。無感情の、色のない目だ。

「あの・・・・でも」

「呼ぶな」

「・・・・・・・」

美羽はまた眉間に皺を寄せて険しい顔をする。

険しく、苦しい顔。

「二人も部屋を出て・・・一人にして」

マリアは居た堪れない気持ちできゅっと口を結んだ。

「女神様・・・・・」

「かしこまりました、しばらくは誰も入らないよう知らせておきます

 御用の際は、お手数ですが近くを通った侍女にお言い付けください」

カレンは実に冷静にそう言って、美羽から水の無くなったグラスを受け取ると。

一歩ベッドから足を下げて。

「マリア」

「・・はい」

「行きましょう」

この弱い神を、放っておきたくないとマリアは懇願の目でカレンを見た。

だが返ってきたものは揺るぎ無い、退出を促す瞳。

「・・・・・・はい」

マリアが一度だけベッドの方を振り返って、心配をする顔をしたまま歩いていった。

パタンと扉の閉まる音がすると、二人が出て行くのを見届けた金の瞳から

耐え切れないとばかりに涙がこぼれ、頬を伝い落ちる。

「・・・ぅ・・・・・・・・・・・」

溢れ出た涙はとまらなく、顔を手で覆っても掌を濡らすだけ。

(気持ち悪い・・・苦しい・・・・・)

美羽の体の中で、怨念という名の思いが渦巻いていた。

気絶したときよりかは楽になってはいるけれど、確実に

彼女の精神に大きな負担をもたらしている。

彼女は死者の憎しみを背負ったのだ。

現世に留まれば積もり積もって再び波乱を呼び起こしかねない、その激情を

その身に取り込んでいる。

「うぅ・・・・」

溢れた涙を受け止めるよう、顔を覆った掌は

すでに氾濫した湖と化している。

(勘弁してよ・・・・・・・消えてくれ)

止めどなく溢れてくる涙は、悲しいからではない

ましてや嬉しいからではもちろんない。

精神にかかった負荷を、ただ涙として流しだしているのだ。

しんと静まり返った室内に、ただ美羽のすすり泣く声だけが響いている。

その静寂の中に、不意にコンコンと扉をたたく音が響いた。

美羽が入室を促す声を出す前に、鍵の閉められていなかった扉は静かに

抵抗無く開かれた。

(マナーがなってないな・・・・まったく、批難するにも涙を拭かないと)

ごしごしと美羽が布団の端で涙を拭い取っている間に

ゆらりと扉の開いた隙間から入り込む男は、カツカツとベッドへ歩いてくる。

美羽は嫌々ながら口を開いた。

「・・・誰も入れないはずだが。なにを勝手に入っているんだ」

「・・・・・・・・」

返事が無いことが気に入らず、顔を見てやろうと

彼女は気だるげに顔を動かす。

さらさらと長い黒髪が流れ落ちて顔にかかり、黒のカーテンの隙間から

血の気の悪い端整な顔が入ってきた男を睨む。

「シラ」

目に入った姿を見て、美羽はほっと息をつく。

見慣れた姿に安心したのか、力ない笑みを顔に乗せて

白い上着を羽織る青年に呼びかける。

「どうしたの?」

「・・女神・・・・・」

彼女にとって最も心許せる、聞き慣れた男の声だった。

慣れるには時の足りない、城の者や戦場へ向かった者よりも

一番気心の知れた者。

耳に心地よく響く声が届くと、金の瞳が潤い

涙を堪えるように顔をしかめた。

(私、シラのこと信頼してるんだな・・・・・・あっちにいた友達みたいに

 存在を確認しただけで我慢できなくなってる)

知人の居ない異世界で、信じられる人に出会えたことが心を楽にして

再び小さな笑顔を咲かせた。

「どうしたの。シラ」

言って小首をかしげた影響で、長い黒髪がまた流れ落ちて顔にかかる。

軽く髪を掻き揚げてから、美羽はベッドの端へにじりよった。

(どうしたんだろう。まるで意地を張ってる子供みたいに動かない)

ベッドの端から膝先をたらして座る。

そして、表情が見えないくらいに離れた位置で立ち止まる青年を見て。

「おいで」

とやさしく呼びかけた。

それでも金の髪はゆれもしない。

仕方なく、疲れきった女性は足に力を込めて立ち上がる

「シラ・・・・疲れている人を、動かさないでくれないかな」

ふっと弱弱しく苦笑する美羽の前で

シラはシャンと音をたてて剣を抜き放った。

「・・・・え?」

シラは全くの無表情のまま、困惑して呆けた美羽に斬りかかる。

美羽はとっさによけたけれど、その脇腹からは大量の血が噴出して

たまらず背後に引き下がると、がくりと膝を折って背後に倒れこんだ。

(くっ・・・・足に力が入らない。疲れきってる・・・・・)

なんとか腕を使って上半身だけは起き上がらせて、美羽はじっとシラを見る。

以前は、紅い紅い瞳が綺麗だと思った。それが今は

血の色にしか見えない。

「シラ・・・・・・・・・」

わき腹を押さえる手に、生暖かい液体がまとわりつく。

傷は致命傷というほど深くはないが、このまま血を流せば危険である。

(ああ、やばい・・・・・意識が遠くなっていく)

朦朧としていく意識の中、彼女はピントすらも合わせずに前を見ていた。

ぼやけた世界の中には、金の髪が目立って見える。

(それにしても、シラも動かなくなったな・・・・・・・狙い時だろうに)

美羽は呆然と意識の中で体に力を込めた。何とか立ち上がろうと努力すると

ぴちゃり、と指先が赤の水溜りに触れる。

服まで濡らして液体に触るその感覚は、まるで水遊びをしているよう

現実との対比は違いがありすぎて、なぜか笑いたい気分にさせた。

「・・・シラ、あなたが・・・・・私を狙っている国の・・部下?」

目に力を込めて見上げると、少しだけピントがあって顔が見える。

綺麗な青年の顔は、無表情のまま人形のように動かない。

「私を殺す?」

口元にも変化は無い。

「は、ははは・・・・・・勝手に・・・しろ・・・・・・・」

ぴちゃり。とまた生まれた小さな音は、静かな部屋で異様に響き

赤に触れた手先から、心地の悪い熱がじんわり女の体を埋めていく。

今この時は、この場にいる誰の気持ちも何もがうつろな形。

シラを見上げる美羽の顔からも、感情というものが抜け落ちて

表情のない二人だけのこの部屋は、

綺麗な人形が劇をしている箱の中のようである。

(これは夢だろうか)

美羽はぼんやりと思う。

(体の中で渦巻く怨念も、斬りかかってきたシラも・・・・)

シラの瞳は無感情のままだ。

夕焼けの中で涙していた彼の目も、きょとんとした彼の目も

今は幻であったように思える。

(いや、いっそ家で寝付けなかったことから全部)




夢なら良いのに



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