第19話 賭けと目覚め

賭けだった。

負ければ死に勝てば生き延びる。

危険な賭けに、彼女は手を出したのだ。

それでも、シラの混乱する瞳を見据える金の瞳に不安の色はないようだ。

勝ちを信じて揺るがない、強い自信がそこには存在していた。



                ***


「約束だからね」

「うん、約束する」


他の何ものにも変えられない友達だから

でもたまには何か自慢したくて、嘘をついたこともあるけど

とても大切な友達だから、家族を失ったあたしにとって

育ててくれたおばあちゃんと同じか、それよりももっと

大切な人だから

残してなんて逃げられないの。

「リリ・・・・はやく逃げないと」

騎士様達が居なくなって、町が元の刺激の無い町に戻ってから時間がたってから

夕暮れの来た頃、突然町に逃げろという男の人の声が響いた。

おばあちゃんは町の大人たちに連れられて、離れにある隠れ家へ逃げたはずだけれど

その人たちの中にリリとリリの家族は居なかった。

町はずれに家があるから、騒ぎに気づいていないのかも知れない。

「リリッ!」

力いっぱい扉を開けた。

でもリリの家に、リリは居なかった。

「おばさん、おじさん・・・」

ただ、リリのお母さんが倒れているそばで、リリのお父さんが倒れていた。

二人とも赤い水たまりの中に倒れていた。

血が、もう見慣れたはずの血が、また恐くなった。

「リリ・・・・・・リリはっ?」

いない。この家のどこにもいない。

おばさんたちが逃がしたのかな、それじゃあまだ近くにいるかもしれない。

きっとどこかに縮こまって震えているんだわ。

リリ、今行くから

「一緒に逃げるんだからね。悪い人たちに見つかっちゃ駄目だからね」



      *


「そんな・・・・・・・」

呟いた声は静かだった。

その静かな声が苦労なく耳に入ってくる程に、辺りは静まり返っていた。

「間に合わなかった・・・・・・」

そこはすでに町とも呼び難い。

辺りには斬られて血を流す人々が、点々と転がっていた。

血を浴びたレンガ造りの家々は、音を無くして気味の悪い静寂を生み出している。

火の在るところを見ると、魔術師が居た可能性も出てきていた。

生命を失った町には血臭が漂い、眩暈を誘う。

「遅かったか・・・・・・くそっ」

唇を青く染めながら、黒い髪の女性は悪態をついた。

体面など気にしている場合ではない。

「・・・・・・・・・・・・・・」

隣にいるベリアルも、健康的な肌色とはうって変わって血色が悪くなっていた。

表情は変わっていなくとも、その心は確実に変化を起こしている。

後に続いた騎士や兵たちも、一言悪態をつくか嘆くかした後は無言で立ちすくんでいた。

戦闘を生業とするものたちにとって、潰えた町の一つや二つ珍しいものではないけれど

スイラは他国に比べて戦を避ける国だ、惨劇を見慣れるほど戦を乗り越えてはいない。

だが何よりも、血に酔うような争い好きがここにはいない事が、何よりも沈黙の理由であろう。

それとはまた別に、町の中に入ってからというもの、

美羽は寒気に耐えなければいけなくなった。

血臭が原因なのか、それとも他の何かが原因かなのかはわかっていないが

寒気を感じて顔が蒼くなる。

だがその原因を考えるよりも先に、なにやら固まって動かなくなったベリアルの代わりとなって

美羽が兵士と騎士たちに指示を出し始めた。

「騎士は敵を見つけ次第捕らえろ。無理なら殺してもかまわない。

 兵は生き残りが居ないか探せ」

皆に視線を送り、理解している事を確認するとひとつ頷き。

「頼むよ」

凛とした声が、淋しい町に響いた。

「了解」

ひとつ返事で騎士と兵士は二つに別れ、皆が足早に動き出す。

そんな中、ベリアルだけが固まっていた。

「・・れは・・・・・・・」

(これは?)

呟きは美羽が聞き取っていた。

つと動かない彼を見ると、赤銅色の男は動くという行為を忘れ去っているようだ。

「ベリアル、大丈夫か」

はっとして彼は目を瞬かせる。

次いで数瞬の間、今の状況を思い出すように周りへ首を動かすと

下から金の輝きが二つ、彼を見上げていることに気がついた。

「・・・・・・・い、え、問題ありません」

強がっては見たものの、見透かされているのは明らかだった。

「・・・・無理はしないように、頼みますよ」

彼女の気づかいは嬉しかったが、だからといって礼を言う気にはならなかった。

「部下達は・・・」

「騎士は敵を探しに行った。兵は生き残り探しだ」

ベリアルは頷くと、顔を引き締めて動き出す。

「私も敵を探しに行きます。貴女は兵たちの近くに居てください」

「ああ。無理はするなよ」

「御意」

無表情を装って、無感情な声で返事をした。

それでも隠せない動揺がある。

彼は辛い過去を思い出してしまった。

過去の失敗による惨劇の様子と、この町の状態は類似している。

それでもなんとか意識を現在に集中させ、騎士を引き連れて馬を走らせた。

敵はおそらくイバルラ軍。

それもいつもの雑魚だろうと、予想はついていた。

だが追いかける彼の心情はいつものものではなく

安定しない心からふつふつと、何かの感情が抑えきれずに沸いてきていた。



          *


閉まっている扉を力ずくで開き、大量の血を見て眩暈を覚える。

「・・・・・・・いない」

ベリアルと離れてからというもの、美羽も町中の捜索をしている。

生き残りが見つからなく、内心ではがっかりしながら背後を振り返ると、数人の兵士が居た。

「見つかったか?」

皆そろって首を横に振る。

「駄目です。みんな殺されてます」

内の一人、金の髪を揺らす男が皆の言葉を代言した。

兵の一人が、彼の言葉を聞いて顔を反らした。

この様な惨劇の現場で、いるかも分からない生者を探すのは辛いものだろう。

「すまない。がんばってくれ」

「はい」

悲しげに、申し訳なさそうに頼みながらも

目から希望というものを無くさない彼女の言葉は、唯一の希望であった。

「どうしてこんな事を・・・・・・」

皆が散り散りになると、美羽はしんと静まり返った中で呟く。

「・・・何がしたいんだ・・?」

目的が分からなかった。

全面的に攻め入ってきたのでもないのだから、

これでは、ただスイラを衰退させることにしか繋がらない。

たとえ後で戦を仕掛けるつもりなのだとしても、自分達も兵を減らすことに変わりはない。

結局どちらにとってもいいことが無いのだ。

考えるほどに訳が分からなくなった。

理由がないと、この惨劇が生まれたことを認めたくなかった。

「ふぅ」

一つ息をする。

冷静さを欠けば、良い成果は上がらないことを彼女は理解している。

「私までまいってどうする・・・・」

息を整えて脈を整え、逆巻く気持ちを落ち着かせる。

「誰かーいませんかー」

でも分かっていた。何故か、どういうわけか、彼女には人の気配が分かった。

そのせいで、共に来た兵以外にこの付近に人が居ないことを感付いている。

(違う。あり得ない)

その感覚を振り払うように、首を数度振るった。

(はっきりと、人の気配だなんて感じ分けられたためしなんて・・・無い、

無いんだから・・・・・気のせいだ)

ぐっと、顔に力を込める。

「誰かいませんか!いたら返事をしてくださーい!」

叫ぶが、返事は無かった。

背後でお付きの兵士が家の中に首を突っ込んでいる。

人がいると言う声は聞こえなかった。

叫ぶ。

「誰か、いませんかーっ」

兵たちから見えなくならないよう、注意をしながら彼女は町の中を進んでいく。

道には所々で死体が重なり倒れている。

庇うようにして倒れる人の、下になっている人は

もしかしたら生きているのではないかと、一抹の期待と共に

下敷きになっている人の脈をとっては、溜め息をつくのだ。

また今も、脈をとった腕をこてんと降ろす。

眉をひそめた彼女は、辺りを見渡して変化が無いか再び状況を確認する。

少し離れたところに、茶髪の兵士が見えた。

そしてその逆側に、町の隅といえる場所が目に入る。

変化は無いが、無いということはそこを誰も見ていないということだ。

それに、と思う。

(あそこ、なにか変だ)

目には何も映っていない。

町の隅にあるその場所には、町中に転がる死体も見当たらなかった。

死体が無いのは外れの方だからかと、その事には納得するが

だがそれとはまた違う意味で、その場所は彼女に違和感を与えていた。

「・・・行ってみるか」

兵から見えなくなってしまうけれど、少しだけなら問題ないだろうと。

そして彼女には、敵が潜んでいても逃げるくらいはできるという自信もあった。

美羽は日本に居た頃、部活で武道を色々かじってきていた。

そこそこ戦える自信があったのだ。

「・・・・・・・・・・・変わりないな」

行き着いた町のはずれは、特別注視するようなものも無かった。

違うところと言えば中心部より死体が少ないくらいか。


許・・・さな・・い・・・ゆ・・・るさ・・ない・・・・


女の子の声が耳の奥深くに響く。

「声っ!」

恨みがましい、嫌な響きが、まるで脳に直接聞こえているかのようだ。

「っどこ!?」


許・・さない・・・・許さ・・な・い・・・・


「どこに居るの。出ておいで、敵はもういないから」

声は出所が分からなかった。

周辺には変わらず死体しか見当たらない。


  いやよ、どうして・・・・・リリ・・・・・・リリ・・死なないで


声の主を探して周りを見回す。

「大丈夫だよ。必ず助けると約束するから、だから出ておいで」

壁にもたれ掛かるようにして、おさげの女の子が一人血を流して息絶えていた。

その足元に縋りつくようにして、髪色の違うおさげの女の子が倒れている。

こちらは顔が見えないので、生死は判別がつかない。

(まさか)

近づいていって血塗れた肩口に手を添え、そっと抱き上げた。

その少女は血泥にまみれ、涙で顔を濡らしたまま息絶えている。


まも・・・・る・・・・・?・・・・・・


声は尚も続ける。

聞こえるたびに寒気が走った。


うそつきっ助けてなんてくれなかったじゃない!


(過去形?・・・・・・まさか亡者?)

髪が風に乗ってなびいていた。ねちこい風が頬を撫でていく。


あんたなんか・・・・嫌いっ


声と共に、ひときわ強い風が吹き当たってくる。

「くっ・・・・」

いつの間にか、頬に傷がついていた。

美羽の周囲に凶器となるようなものは存在していないというのに

頬だけでなく、服も所々小さく傷がつていた。

(これは、まさかカマイタチか?)

また頬に傷がついた。

じんと痛む頬の傷は、切れ味のいい刃物の傷跡のように

切れた瞬間は痛みが無い。後から痛みが襲ってくる。


死んじゃえっ皆死んじゃったんだから、あんたも死んじゃえっ


「くそっやっぱり死んでるのか」

顔を守るように手を上げると、手が小さな傷をつくっていく。

(ちまちまちまちまとみみっちく痛いっつの

こなったら死者に利きそうな言葉でも言えば、もしかしたら・・・・・)

そうは思ったが、彼女はオカルトな知識に弱かった。

「・・・・・・・・・・・・・怒りを納めよ、彷徨いし者」


死んじゃえ


「フッ・・・・・」

美羽は薄く笑む。利きやしない、と苦笑した。

だが相手は容赦を加えてはくれない。

目に見えない刃となった風は、容赦なく吹きつけて美羽を襲う。

長い黒髪が切られ、風に乗っては舞っていた。

(何か聞いたことのあるものは・・えーっと・・・りんぴょうと、しゃ、あ、しゃ・・・・・)

それ以上は思い出せない。

無知な自分を叱咤しながら、せめてと繰り返す。

「・・・・・・怒りを納めよ・・」

半ば諦めの気持ちを持ち始めたときだった。

自分の中に何か、力を感じたのだ。

(これは・・・・?)

それはとてつもなく大きなもののように感じた。

これを使えれば、これを引き出せれば何かができるかもしれない。

(何だ・・これは)

それは、杖で操る魔力よりも、さらに強力な存在感を放っている。

だが美羽には、この感覚が昔に覚えがあった気がするのである。

気がしただけで、しかし思い出すことはできなかったが

ただ今この状態で感じ取れたことに、意味があると思った。

(賭けてみるか)

頬から血が流れているけれど、それでも少しだけ楽しく感じた。

未知への探究心が、気を高潮させていた。


許さな――


力を引き出したのと共に、声が聞こえなくなる。

「よしっ」

妙な気配もしなくなっていた。

これがこの力の使い道と思うが、他にも使い道がありそうな気がしていた。

「よかっ、た・・・・・?」

何かが、強い何かの感情が、彼女の中に入ってきていた。

「ゆるさない・・・・・」

はっとして美羽は口を押さえた。

今自分の口から、違う人の言葉が出てきた。

さらに気味が悪くなる。

「何が起きてるんだ・・・」

強い憎しみの感情が美羽の中に入ってきていた。

人の憎悪が体の中で渦を巻き不快にしている。

本来美羽は、霊というものが苦手なのだ。

なのに、今、体で霊を感じている。少女の霊の感情を、美羽が取り込んでいるかのように。

だがそれなら、美羽が全ての恨みを取り込んで

少女から恨みを吸い尽くしたら

少女は未練をなくして成仏できるのではないかと、

馬鹿みたいにまた人のことを思い、うすらと笑んだ。

(それはいいんだけど・・・・ね)

いつの間にか、徐々に霊の念が目に見えるようにまでなっていた。

今見えている寒気を催す渦巻きの中に、一人の少女の姿があった。

「君が声の主かな」

髪をおさげにした少女は、先程脈を取った少女だ。

その死に顔を思い出して哀しくなる。

ただ哀しみに明け暮れている顔であった少女が

今は人の憎悪を絵にしたように、周囲に暗い風をつくって浮いている。

だがそれでも、風はもう美羽の体を傷つけることが無かった。

その代わりに、少女とともに渦を巻きながら美羽の方へ向かう。

「うわっ・・・・ぐ」

まがまがしい怨念のような黒い影は、美羽にぶつかると消えていく。

(気持ち悪い・・・憎悪が、入って・・・嫌、これはいや、だ・・・・くっ)

まるで、やはり彼女の中に取り込まれているかのようだ。

人の怨念を直接に受け取っているのだ、当然美羽は苦しかった。

苦しくてつい瞼を閉じていたが、それでも光を求めて目を開けた。

開けた視界の中で分かったのは、黒い影が町中にあることだ。

「あれ、は」

そのすべてが美羽に向かって流れてきている。

(冗談でしょう・・・?)

影を取り入れていくごとに、次第に意識が曖昧になっていった。

視界が闇に包まれたかと思うと

美羽は青い空の下にいた。

目の前におさげの女の子がいる。

『約束だからね。今度騎士様たちが来たら、

一緒に差し入れに行くのよ?ヌケガケは許さないんだから』

そう言って、少女はくすりと笑う。

別段美しい子ではないけれど、陽気に笑う姿がかわいらしい。

心をほっとさせる、素朴な笑顔だ。

『約束だからね』

『うん、約束する』 

対する美羽も笑って言う。

この少女といるだけで、しあわせを感じた。

ずっとにこにこ笑っていた少女は、突然

そのやけた肌色の頬に赤い血をはりつけて、笑顔のままぼやけて消えていった。

「え?」

何が起きているのかわからなくて、美羽は混乱するまま手を伸ばす。

「リリ?・・・リリッ!!」

伸ばした先には、木の壁にもたれ掛かるようにして倒れている少女がいた。

そのまま少女の頬に手を添えて、リリ、リリと呼びかける。

辺りは夕焼けに染まっていた。

「リリッ!!?」

『リリ、リリ』と叫ぶ声が美羽の頭の中で木霊する。

心が痛く締め付けられ、腹から逆流してきた血が顔に上ると、涙となって流れていった。

「りり・・・・・・」

呟いた声は、美羽の声であり、そうでない。

目の前にいる少女は、いつまでも動きを見せなかった。

『リリ・・・・・・』

日に焼けた健康的な肌に、赤い鮮血がついている。

夕焼けの中の赤い血が、目の前で鮮やかに写っていた。

「・・・・・・・・・・・・・・リリ?」

美羽ははっとして我に返った。

周囲は暗闇に包まれ、夕焼けの時はすでに過ぎている。

「今のは・・・・・幻か」

ずっと立ったままであった自分の体を眺めて、体を見ていた視線を

辺りを見渡すように送ってみると、壁にもたれる少女が一人と

その体に縋る少女が一人いる。


「う・・・」

また何かの思いが溢れてきた。

思いは美羽の意識をまたどこかに飛ばす。


どうして?


どうして?


リリはあたしと一緒に逃げるのよ。こんな、こんなの・・・・・

「うそよ。イヤ、イヤ、リリ、リリ・・・・」

どうして?

こんな町外れで、リリが殺されなきゃいけないのよっ

ここならまだ、悪い人たちも来てないんじゃないの?

ねぇ、どうして、おばあちゃん。

リリは大丈夫だって、町外れだからまだ大丈夫だって、言ったのに。

どうして動かないの。まだあったかいのに、あったかいんだから生きてていいじゃないのっ

りり、いやよ。死なないで、死なないで。いや、いや

ああ、ああリリ、リリ・・・・・・・・・・・

どうして動いてくれないの?・・・・・・・

「いやぁーーーーっ」

「まだ居たのか」

!!!!誰?

「緑の、軍服・・・・・・」

イバルラ軍!!!お父さんとお母さんの仇

「あんたがリリをっ!!?」

「悪いな譲ちゃん」

赤い髪の男の顔は、すぐに見えなくなった。目の前にあるのは怪しく光る鋼。

あたしまで殺すの?

「・・・・・・これで最後か」

最後に見えたのは、落ちていく自分の手と、最後かと呟いた男の感情のない顔。

お前を許さない。

こんなの絶対許さない。

許さない、許さない。

認めないっ・・・




「くっ・・・・」

気がつくと、目の前にあるのは夜空だけだった。

星と月が闇の中に光を流し込んでいる。

「・・・・・・・・まぼろし、か」

なだれ込んでくる感情が、美羽に幻想を見せていた。

空を見ていた顔を下に動かすと、ずっと変わらず少女の死体が二つある。

さっきまでと違うのは

壁に背もたれるおさげ髪の死体の前に

しゃがみ込んで泣いている少女が、うすらと見えること。

「・・・・・・・・今のは君の・・・・記憶?」

呟くと、少女の体が微かな動きを見せた。

(正解、だな)

少女はまだ泣いている。

けれど認めないと叫んでいた時の、恨みのこもった気配がなくなっているのが不思議であった。

「認めたくないのは分かるけど、リリと、そしてあなたはもう・・・・」

『もういいの・・・・・・・いいの』

声は最初に聞こえたものと同じだったが

こもる感情が違かった。

『あんたのせいで怒りが消えちゃったから、あたしもリリのところに行くんだ』

リリの遺体に縋っていた少女が振り返る。

少女の細い肩から脇腹にかけて、血が一直線に太い一文字を描いている。

霊になっても消えることなく、少女の服に、記憶に染み付いた赤い血が痛々しい。

「・・・・・・・・・・・・」

『あんたのせいで、あたしは成仏するの。ごめんなさいくらい言ってほしいなぁ』

そう言って悪戯な笑みを見せる。その表情から憎悪の思いは窺い知れない。

少し楽しそうな少女につられて美羽も笑う。

「ごめんね」

そう言い終わる前に、少女の姿は薄れていった。

束の間の夢のよう、消えた後に少女の名残はなくなるが、完全に消えるまでずっと

少女の悪戯な笑顔は引くことが無かった。

そして姿が無くなってからも、笑顔は美羽の脳裏に張り付いて、まるで目の前にいるかのよう。

「ごめんね・・・・」

くすと笑い、目元を手で覆い隠す。

眉間がひそめられているけれど、口元は笑っている。

目元を覆った手のひらが、温かな水気を感じていた。。

「・・・・・・・・」

沈黙する彼女の代わりに、耳には遠くから聞こえる兵士の話し声が入ってきていた。

その内容は聞き取れないけれど、小さく聞こえるその声が

この場の静けさを強調させていた。

『どうして?』

「・・・・・・・・?」

高い女性の声が、耳を越えて脳で直接聞き取った。

「何?」

目を隠していた手を離すと、目の前には見知らぬ顔がある。

うわ、と身を引こうとした美羽の意思は

けれど体を動かすことが無い。

どうして、どうして、と女性が泣きながら美羽にすがり付いてくるのを

なすすべも無く、ただ眺めていた。

『どうして、どうしてっ・・・・』

更に何事か言おうと女性が口を開いたとき

その人はずるりと、美羽の体を伝いながら下に落ちていった。

落ちていく女性を見ていると、その瞳に憎悪が宿っていたことに気がついた。

「・・・・・・・・・・・」

それでも美羽は、恐れも罪の意識も感じないのだ。

ただ、殺す相手。という意識が蘇り、落ちていく女性に止めを刺した。

突き刺した剣は、彼女に届かなかった部分も血に濡れている。

『だああぁぁぁああっ!!』

背後から声を聞き取った。

振り返ったときには体の中を何かが貫いていて、

それに気がついた瞬間には、自分の体が爆発していた。

爆発する瞬間も、どうして爆発するのか美羽には分からなかったが、

代わりに分かったことは、さっきまでと違って美羽の意思が残っているということと

今自分の中に居るものは、敵の霊だということだ。

それはとても、意思の弱い霊のようであった。

次に視界が闇に包まれたかと思うと、いつの間にか体が建物の中にあった。

目の前に、雑に血をふき取られた剣が振り落ちてくる。

〈うわっ!〉

振り落とされてくる刃が、彼女の肩を裂いた後は

視界が暗くなっていくより先に、目の前に緑の軍服が見えた。

『俺の家族が死んじまった!』

毒々しい、男の声が聞こえた。

憎しみに囚われる、醜い部分の感情に支配された男の声だ。

『てめぇらが俺の家族を殺しやがったんだ!』

そして美羽は腕を振り上げた。

実際に動いてはいなかったが、意識の中で彼女は腕を振り上げた。

そして上げた拳を敵にぶつける前に、頭で男の声が叫ぶ。

『てめぇらの、せいで』

最後にそう履き捨てて、男の声は美羽の中から消えていった。

そしてまた、何かが美羽の中に入ってくる。

「やめろっ!」

彼女は現実で精一杯叫んだ。

だが入ってくる意識の流れは止まらない。

『もうすぐ子供が生まれるのにっ』

「子供が生まっ・ちが・・・違う、私じゃない、これはちがう!・・・やめろ・・やめてくれ」

頭を抱えて膝をつく。

彼女の隣には、ずっと変わらずおさげの少女が二人ある。

「あ・・ぁ゛ぁ、・・・やめろ・・・・・・いや・・・」

見開いた金の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れ落ちてきた。

彼女の精神が、入り込む激しい感情の渦に耐え切れなくなっている。

どさりと肩を擦って横倒れた。

「う、く・・・・はぁはぁ」

呻きながら土を擦り、立ち上がろうとあがくと、額を地面にあてただけで限界であった。

髪の中に手を差し入れて頭を掴む。

髪は乱れて頬や額に土を付着させ、ぜいぜいと呼吸を繰り返している。

「もう十分・・・・・・・でしょぅ」

頭を抱える指先に力がこもっていた。

爪をたてて頭部の皮膚を破ったのか、血が額にまで流れてきている。

髪の合間にも溢れた血が入り込み、頭を温め、不快な熱が気分を更に悪くする。

「あ゛・・く・・・・・・ぅうあ゛ぁ゛あぁぁぁぁぁぁっ」

何かを見たくないかのように、瞼に皺がよるほど力いっぱいに目を閉じ、絶叫する。

そして逃げるように意識を手放した。    




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