第15話 ベリアル

「・・・・・・・・・・シラ」

答えは無かった。

まるで目の前の者は物なのだと思い込んでいるかのように、

瞳からも何からも感情という色が抜け落ちている。

「・・・好きになさい。それがあなたの願いなら

私は、あなたの為に死んでも良い。あなたの為になるのなら殺されても良い」

半ば投げやりな声色で、彼女は最後に紅い瞳を求めて見上げる。

見上げて、意表をつかれたように青年が眉を動かした。

紅の円が動揺にゆれる。

「――――――やめろ!!」

我に戻ったかのよう、立ち竦んでいた男が叫ぶ。

見上げる彼女は、別段何の感慨も見せずに

ただ見上げていた。

「やめろやめろやめろやめろやめろやめろ」

叫び声は、次第に悲鳴に近い声へと変わり、

彼は頭を抱えて数歩後方へ下がる。



                ***


金の髪の青年は、王の下を離れると

自室にこもってベッドに倒れこんでいた。

ツライ。と頭が弱音を吐く。

(まるで別人じゃないか)

連れていた女性のことを思い出していた。

共に旅をしてる時に、時には恥ずかしげに頬を染め、動揺し

少女にさえ見えた彼女が

玉座の間では威圧感をもつ偉人に見えた。

二つの異質さが、寒気として青年を苦しめ戸惑わせ

敵わない相手だと、無意識が恐怖を起こす。

「さすがは神・・・・・か」

ははと、乾いた笑いが寂しく室内に響いた。

人ならざる彼女の一面が、きっと恐ろしいだけだと

無理に自分に言い聞かせる。

(・・・・あれを殺すのか・・・・・・・俺が)

浮き出てきた恐怖を振り払わなければ

引け目の思いを振り払わなければ

叶わない行い。

嫌だと思っても、彼は抗う方法を知らない。

(やらなければ、また奪われる)

ははと、再び乾いた笑いが室内に響いた。

やるしかないのだ。と

たとえ彼女に惹かれている自分がいても。と

不意に、コンコンと

落ちた空気を払拭するように、扉を叩く音が響く。

青年はうつろな瞳を扉に向けて、しぶしぶ声を絞り出した。

「・・・・・・・なんでしょうか」

「お手紙をお持ち致しました」

侍女のようだ。

「いつもの所に置いてください。後で読みます」

そう言って、今度は眠りにつこうと布団を掴む。

「緊急だと書いてありますが・・・」

おどおどした声に、ひとつ溜め息を吐いて上体を持ち上げた。

手で軽く、乱れた髪を梳く。

「分かりました。入って下さい」

重い体を動かして、足に力を込めて立ち上がる。

まだ髪が少し乱れているが、それはそれで美しかった。

「失礼いたしま、す・・・あ、こちらでございます」

入ってきた侍女は見慣れない娘だった。

新人か、と頭の端で考えて。彼は薄く頬を朱に染める侍女へ近寄っていく。

だるそうに目を細めたまま、微笑んで礼を言い手紙を受け取る。

微笑んだときに彼女が頬を真っ赤にしたが、見慣れた姿に特別何も思いはしなかった。

侍女とはそういうものだと思っていた。

顔を赤くした侍女が一礼をして部屋を出て行くと、

ベットに腰かけ、手紙の封を開ける。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

右へ左へ視線が文字を追っていくにつれ、表情が強張っていく。

綺麗に眉間に皺を寄せると、

緊急の赤文字が書いてある手紙を懐にしまい

ひとつ、疲れたように溜め息を落とした。




翌日の朝


スイラ国は激動の中にあった。

神が来たと喜んでいれば、新たな情報が舞い込んでくる。

「イバルラ軍を国境で見かけただと!?」

左大臣ジェームスは声を荒げ伝達者に迫る。

気の弱い伝達者もとい国境警備兵は、身を小さく縮こめた。

「は、はい。確かに緑の軍服を着た者たちが、森の中をスイラ国付近へ向かっていたのを見かけたと・・・・

町のきこりが言っておりました」

ジェームスは強面の顔を渋める。

小さい目は緩みを見せず、感情が読めない。

睨みつけられた伝達者に冷や汗をかかると、彼は己の席へ戻っていった。

「戦の準備をせねばいけませんね。

 ちょうど今は女神殿が参られたことで騎士たち兵たちの士気も上がっています。

 簡単に追い返せるでしょう」

言うはジェームスに付き従う第三騎士隊隊長のベリアル・セイレン。

切れ長の瞳を鋭く光らせ、薄い唇が言葉を紡ぐ。

騎士らしく鍛え上げられた彼の見姿は、正に美丈夫の言葉がふさわしい。

尚、騎士隊には顔が良くなければ入れないという決まりがある。

よって必然的に騎士は皆見目麗しく、御婦人たちからの人気は高い。

当然その制度が故で入隊できなかった者も存在する。

その最たる例が左大臣ジェームスだということは、城内で暗黙のうちの禁句となっていた。

「そうだな。一番近くにいるのはどの部隊だ」

とん、と浸透する音をたて、深い茶色の机に手をつく。

「第五騎士隊が隣町に遠征中です」

静かな部下の声を耳に入れながら、革張りの椅子に腰かける。

「たしかフリアの隊だったな。あの隊なら問題なく完遂できるだろう。

彼女に出動するよう連絡しておけ」

「了解」

全く表情を変えず、端的にすぱりと了承する。

「しかし前回の侵略からまだ10日程度しかたっていないというのに・・・・・

 だんだんと侵略してくる期間が早くなってきているな。

 そろそろ本格的に仕掛けてくるかもしれん。気を引き締めてかかるようにも伝えておけ」

「了解」

それから。と低い低い声がしんとした室内で三人の耳に入る。

一人青い顔をしている伝達者は、居心地悪そうに白い石床を見つめつづけていた。

「女神殿にも連絡を。あの者も戦場を知っておく必要があるだろう。

何も知らない、異世界の女だからな」

ジェームスの黒い瞳には見下している色がみえる。

己よりも優れた軍の指導者はいない。と自負し他者を軽視している証であり、

己に絶対の自信を持っている証でもあった。

彼にとって女神は「ただ特別な力を持つだけの女」だった。

「了解」

上司の裏の心に気づいているのかいないのか、表情を変えずにベリアルは体の向きを変える。

荘厳な扉を開いたとき、横目で顔を床に向ける男の頭へ視線を投げる。

「お前も用が済んだのなら来い」

伝達者は恐怖する小動物のようにびくりと肩を揺らすと、

救いを求めるような視線を赤茶の瞳に向ける。

絶対零度の色のない瞳に行き当たり、慌てて「はい。」と空元気な返事を返すと

慌てて起き上がり赤茶の髪を見ながら部屋を後にした。 

やっぱり自分には田舎の警備兵が性に合っていると考えながら、はたはたと廊下を進んでいった。


                    ***

「レオン。こっちにおいで」

神の部屋ではレオンがハイハイをできるようになったことで、

育ての親がうれしそうに手を叩いて子供を呼んでいた。

一緒になって客間の担当の一人であるマリアが、共にレオンを呼ぶ声を上げている。

「レオン様ーこっちですよー」

カラカラ、と魅力的な音が鳴る子供の遊具を鳴らしながら

小さく屈んで子供の興味を誘う。

「レオン、おいでー」

美羽がレオン。と優しく更に呼ぶと、

呼ばれた赤ん坊はだぁだぁと彼女の元へ向かってゆく。

「いい子ね、よくできました」

辿り着いた子供を春風のようにそっとやさしく抱き上げ、笑顔を向ける。

髪を乱さぬように、やんわり頭を撫でる。

「あーあ、やっぱり女神様にはかないませんね」

マリアは好意的な苦笑を向け、美羽がふふふと笑う。

一人お茶淹れの脇に待機するカレンは、はほほえましい光景に目を細めていた。

玉座の間での美羽と、そこを出てからの彼女の違いには

カレンも驚きをもって感慨深く見守っていたが、すでに慣れていた。

普段はふらふらと軟派男をしているスイラの第二王子も

彼女と同じく時折すさまじい威光を放つ。そのおかげか、

彼女には見慣れたもののように感じられた。

穏やかな時の流れる中に、コンコンと

無機質で虚しげの呼び出し音が室内に響く。

「はい」

と、頬を緩めていた金の瞳の持ち主が堅く返事をする。

「第三騎士隊隊長のベリアルです。女神殿にお知らせがあり参りました」

扉の先から低く名乗る声が届き、金の瞳はそこに宿していた色を変える。

彼女の変貌に、第二王子で見慣れているはずのカレンもうすら寒いものを感じ

体の前で重ねた手をぎゅっと握って身体を緊張させる。

「入って下さい」

促す声に続き、失礼致します。との声と共に静かに扉が開いた。

カッカッと軍靴を鳴らして進み出て、ベリアルは美羽から三・四歩離れた場所で

優雅に片膝をつき頭を垂れ、言葉を紡ぐ。

「イバルラ国との国境付近で近々紛争が起こります。

 女神殿も一度戦をお目になられたほうがよいとの、ジェームス閣下のお言葉により

 女神殿さえよろしければ共に来ていただきたく、参上いたしました」

色のない低い声には、色のない高めの声が返る。

「なるほど」

美羽の背には、外から差し込む夕焼け前最後の陽気があたり、

入り込む窓の開いた隙間から、青い空と共に去っていく鳥の鳴き声が入ってくる。

きゃあきゃあと楽しそうに叫ぶ子供の声も入ってきていた。

先程とは違い場違いな音は、ベリアルと美羽の作る空気に気圧されて

カレンの感じた寒気を拭うことは出来なかった。

「分かりました。行きましょう。連れて行って下さい」

「御意」

カレンの青い瞳が動きを見せて、同伴のマリアを視界に捕らえた。

彼女もまた緊張した面持ちで待機している。

感じているものは同じだろう。

「それから」

ふっと美羽は表情を崩し

同時に冷たく堅い空気も穏やかに崩す。

「もう少し砕けた言い方をしてもらえると、ありがたいのですが」

ベリアルは至極平静に返した。

「御意。以後気をつけます」

堅苦しい声色に、美羽は綺麗に笑って対応する。

「それと、話をするときは顔を上げてほしい。聞き取りにくいんです」

「御意」

と、顔を上げる。

現れた髪と同じ色の瞳と焼けた肌色の顔は、まるで人形のようであった。

良い意味でも、悪い意味でも、

「あなたは・・・・・」

何事か言おうと、美羽が言葉を発するが

濁して頭を数度振る。

「馬で行くのですよね?準備が整い次第厩舎に行きます、

 そちらも出発の準備をしていておいてください」

「御意」




ベリアルが部屋を去っていくと、美羽は振り返ってカレンを見る。

「過去に何があったのです?あれは変です」

すっぱり変だと言い切る彼女に、カレンが答えを返そうと口を開く。

「やっぱり気づきました?

 実はですねぇ、以前ベリアル様任務に失敗したことがありまして、

 その事があってから感情を隠すようになられたそうですよ」

答えたのはカレンではなかった。

彼女は半端に開いた口を閉じて出所を振り向く。

マリアが嬉々として口を動かしている。先ほどの緊張は消えているようだった。

「失敗?」

言って美羽は眉を顰める。

マリアは頬を更に高潮させた。

「はい!なんでも命令に背いた行動をとったとか。

そのせいで、当時ベリアル様が属していた隊は壊滅状態に

なってしまったそうです。お可哀想に」

「そう・・・・」

彼女は眉間に皺を寄せると、脳内を占める哀れむ思いを振り払うように

首を数度横に振り、話を終わらせた。

「とにかく今は出かける準備だ。

実は私、何を用意すれば良いかよく分からないんですよ。

二人は分かりますか」

恥ずかしげに笑う姿には、好意的な思いを持たせる。

「はい。行程の間やあちらで必要なものは、ベリアル閣下が準備なさると思います。

 女神様はお着替えになられればそれでよろしいかと」

さらりとカレンが答える。

美羽は頷き、いつの間にかマリアが取り出していた服を受け取り

「着替えたら厩舎に向かいます。でも行き方が分からないので

 どちらか1人、部屋の外に待機していただけませんか」 

「では私が」

カレンであった。

マリアは言い逃した口を閉じると、頬を膨らます。

彼女は大分この女神を気に入ったようであった。

「お願いします」

言って美羽はマリアに向き直り、綺麗に微笑んだ。

「確かマリア、でしたね。あなたはレオンの面倒を見ていて下さいませんか。

 遠征がどれほどかかるか分かりませんし、連れて行くわけにもいきませんから」

聞いて、マリアは嬉々として

「イバルラとの国境でしたら、馬車では半日ほどで御着きになられますよ!」

美羽が微笑ましげに笑みに深みをつける。

「そうか。ありがとう。レオンをお願いね」

「任せて下さい!」

必要以上に張り切る姿に、美羽は若干心配になる。

だがカレンもついていることだし。と、思いを表すのは苦笑の形だけに留めた。

目線を移してカレンと目の合った瞬間、二人は同じ思いを感じ取って意気投合した。


美羽の足元に置かれていたレオンが、城で用意されたラフな普段着を着る美羽の、

その裾を掴んで玩んでいる。

一人遊びの素質を感じる姿であった。


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