第13話 紅の旅
雲が光を遮って、部屋の中には月明かりが届かない。
代わりに、月明かりに似た光が天井からぼんやり垂れ下がり
室内を寂しく照らし出す。
血がついた両刃の剣は、てらてらと寂しい光を反射しながら
ぽたん ぽたん と赤い滴を白の石床に落とし広める。
濡らす赤が、女の青白い顔の上にも少量飛びついていて、怪しく映えていた。
彼女の顔と同じ高さで、刃がてらてらと光を反射する。
血塗れる人は目の前にいる加害者に、搾り出した声で問うが、返事は返らない。
紅い瞳の彼はただ、感情のない目でみつめ返しているだけだ。
僅かに開いた雲の隙間から、漏れ出てきた月の光が彼の瞳に差し込んだ。
差し込む細い明かりは、水面の光のようにゆらゆら安定なく揺れている。
まるで、彼の心を反映しているかのように、光は不安定に輝くと
静かに消え去っていった。
***
「まったく、どっちに行けばいいんだか」
頭の上には、まだ青い空が広がっていた。
しかし行き先を尋ねる道の先は、
水底に溜まった赤い絵の具のように、赤色が地上の空を縁取っている。
辺りはもう、夕焼けに染まり始めていた。
「危ないとは思ったんだよねぇ」
顔の横から黒い髪の中に指を差し入れ、頭を抱えるように掻き上げる。
彼女は負け惜しみの如く呟くと、
呟いた自分を嘲笑するように、フッと小さな息を吐き、薄く微笑んだ。
いらないものを振り払うように、数度頭を振るうと
微笑に不敵という名の表情を足す。
腕の中で眠る託しそこねた赤子が、
眠りながらも「くしゅっ」と顔をしかめてくしゃみをする。
長い黒髪の流れていた肩掛けが、そっと赤子を包み込んだ。
*
月が太陽の明かりに負け始めた朝。
予定通り予言師と異界人は宿を発ち、一路スイラの王都サリアを目指して旅を続けた。
先に相談した通り、二人は状況に応じて二手に分かれつつ進んでいく。
二手に分かれるたびに、眠るレオンを何度か託し託されしていると、
二人、共に渡し渡されることが面倒になっていった。
より面倒になっていた美羽の御陰で、だんだんとシラが託される回数の減っていく中
問題は起きた。
「シラ!速い!!」
木々の合間を高速で飛びながら、前方にしばらく「空き」が在ることを確認すると
ちらりと林の外へ首を動かす。
次々に過ぎ去っていく木々の幹が、衝突する危機を伴いながら、視界を支配しているが。
美羽はかろうじて、林を越えた先に金の頭を見つけることができた。
見えた瞬間に、幹が鼻の前すれすれを過ぎ去って、
次には、見えない前方が影に埋る。
ぞくりと寒気を覚え、腕の中の子供を守る為に、小さな頭を抱えると、
確認するように顔を前方に戻しつつ、進む方向を横にずらして速度を落とした。
顔が前方を向いたときには、すぐ横に大きな影が存在しており
過ぎ去った危機に背筋が凍る。
二手に分かれて進む計画は、良案とは呼べない結果となった。
落ちた速度を上げながら、美羽は小さく舌打ちをする。
緑深い林を進む彼女は、突如速度を上げ始めたシラについていくことはまず不可能であった。
止まるようにと呼びかけたが、彼の速度は変わらない。
それどころか、さらに速度は増していく。
「聞こえないのか!?」
視界の端で「動いているもの」としてだけ認識していた連れは、
色がはっきり分かるほど、徐々に前方へと移動している。
(何なんだよっ、一体あいつはどうしたんだ)
彼女には見えなかっただろう。
青年は苦しげに顔を歪めて走っていた。
顔に当たる、寒いほどの風をものともせずに、
ただ彼女を残していくことだけを考えて、ひたすらに速度を上げていた。
(駄目だ、置いていかれる。でも林を出て追いつこうにも、
出るためには速度を落とさないといけない。そのうちに見失ってしまう
飛びながらでは、危険性が高すぎる。こちらにはレオンも居るんだ)
希望の神が行方不明になったと報告すれば、きっと彼は美羽を殺さずにすむ。と
美羽の未来をかけた行動だった。
「止まりなさい!!」
彼女の振り絞る声が耳に届いても、決して彼には届かない。
ちらりと、美羽が気づけないほど微かにシラが林を見た。
幹の影と隙間の光で、時折ぱらぱらと白い服の姿が浮かび上がっている。
木漏れ日の中を進む彼女の姿は、息を呑むほど神秘的な光景だった。
(やはり貴女は、神なのですね・・・・・・・・・)
遠い存在のように感じ、心がちくりと痛んだ。
取り残された後の、彼女の未来を危惧して更に心がずきりと痛む。
(許してくれ)
さっと視線を外し、前方を見る。
憂いの思いは、心深くに押し込めた。
彼の思いに気づけるはずもない女性は、怒りを露にして飛び続けている。
(優男のくせに、無視するとは良い度胸だ)
視界を邪魔するサングラスを外し、現れている金の瞳は
怒りの感情で細くなり、口の端は片方だけが不自然につりあがっている。
「聞けっ!!」
異常に気づき、声をかけたところで
美羽を置いていくことを、ただそれだけを一心に走り続ける彼が、止まるはずもない。
「おい!シラっ」
ついに、彼女は砂色の後姿を見失った。
*
(外に出るしかない、か)
連れの姿を見失い、立ち止まった彼女は疲れきった顔で林を歩く。
頭上にある木々の合間から射し入る明かりは、まだ赤みを帯びてはいない。
だが、幹の合間から溢れてくる、太陽の強烈な光が目の奥を刺激する。
夜が近いことを悟らざるをえない色を見て、彼女はまず町を探すことを優先した。
まったく、シラは一体何がしたいんだ。と
彼女は内心で愚痴る、踏みしめる足元の草は、大きな音をたてていた。
あれは明らかに無視していたよ。当たり所の無い寂しさと怒りに似た感情は、
足元の草木に当てた。
ぱきっ、と枝の折れる音がした。
どうせ捨てるなら、何故サバイバル中の私を拾いに来たりしたんだろうね。
ざくっ、とたくさんの落ち枝を踏みしめる。
今は迎えに来てくれた時と、状況が変わったのかも知れない、とも思うけれど、
状況が変わったことを知れるほど、シラが誰かと連絡を取っている様子はなかった。
携帯があるなら話は別だけれど、そんなものここにあるとは思えない。
なら何だ?捨てられるほど嫌われることをした覚えはない。
今の私は、全く知らない異文化の中に居る訳だから、
してはいけないことをしていた可能性はあるが、何かをしていて止められたことも、
怪訝な顔をされたことも無かった。その可能性は低いだろう。
思い起こしてみれば、迎えに来てくれたときから妙な感じではあった。
優しすぎて、何でも背負おうとしそうなシラの事だ。もしかしたら
私を迎え入れるべきか否か、決心できていないまま、とりあえず私を迎えに来たけれど
迎えるべきでない、という方に考えが行き着いたのか?
予言師って発言力があるみたいだから、
彼に何事かを決める権利があるかもしれない。
だとしたら、追いついたら追いついたで、面倒な問題が待っていそうだな。
(・・・・・駄目だ)
最後の予想が一番ありえそうな気もするけれど、どれも確信が持てない。
全くもって情報が足りな過ぎる。
厭な意識が脳内を占めたときに、厭な意識を振り捨てるように頭を振る癖が、また出た。
すっきりしない脳が少し楽になると、頭上から カァカァ という鳴き声が聞こえる。
聞き慣れた音に反応して、見上げてみると
もの寂しくなる声で鳴きながら、夕焼けに侵食される青い空の中を
カラスのような体つきの、真っ白い鳥が飛び去っていった。
白い鳥は夕焼けの色に染め上がり、淡い色のだいだい色になっていて美しかった。
白だと気づけたのも、かろうじて橙色に染まっていない鳥がいたからというほど
夕焼け色の鳥は美しかった。
(あれは、カラス?・・・・・・・へぇ・・・
黒いカラスも、たまに一羽だけ観察していると美しいと思うけれど
白いカラスならぞろぞろいても綺麗そうだな)
トキが空を飛んでいたら、こんな光景なのだろうか。と
トキの群れを見たことのない彼女は思う。
彼女の生まれた時分には、既に日本の空からトキの群れは姿を消していた。
今はいない鳥を思うと、今は居ない人の、印象的な言葉を思い出す。
『あなたは、神族と呼ばれる存在です』
(私が「神の種族」ねぇ・・・・・・・・)
夕焼けの中、彼女は自嘲する笑みを浮かべ、肩をすくめた。
(バカバカしいけれど、利用できそうだ)
温かみのある橙色を横から浴びながら、夕日色に染まる顔がくすりと笑んだ。
腕の中の赤子は、いつものようにすやすやと寝息を立てていた。
舗装されていない土の道は、歩くと大地の存在感を与えてくる。
その存在感が、悲しいまでに日本に居たときと変わらなくて
彼女は安心感と共に歩を進めた。
足早に、追い風に押されているかの如く進み先を急ぐ。
飛ぶことに疲れていた。
刺さるような、冷たい風を受け続けた頬が冷えていて、手で暖めながら道を歩く。
「で、なんで二つに分かれているかな」
道をひたすらに進んではみたものの、分かれ道に行き当たる。
さらさらと、疲れたように数回、横に振られた頭に従って髪がゆれた。
「まったく、どっちに行けばいいんだか」
そのときには既に、青い空は殆ど無くなってきていた。
このままじゃやばい、と彼女は思う。
また野宿になってしまう。と、心内で溜め息する。
「危ないとは思ったんだよねぇ」
だんだん速くなっていくんだもの。
でも、ああなる前から前兆はあった。
あいつはなんだか悩んでいるような、決心しかねているような表情をしていて
気になっていたけれど、さすがにこうなるとは思わなかったよ。
この現状を回避できなかったのは、読みきれなかった私のミスだ。
二度とこんなことにならないよう、以後気をつけよう。
「くしゅっ」
あら、レオンったら可愛いくしゃみしちゃって。
寒くなってきたからね。
腕のなかで寝ながらくしゃみをする、器用な子供に頬が弛む。
シラに託すのが面倒で抱きながら飛んでみよう、と
試みてみた結果の産物だ。
風邪を引く前に、暖かい場所に連れて行かないと・・・・・・・・・自分も寒いし。
どうせならレオンだけでも連れて行ってほしかったな。
いや、それじゃむしろ心配になるか。
・・・・・・今更何を言っても変わらない、と。
無駄な思考は止めだ。
仕方が無い、出来ることをやってみよう。
「飛ぶか」
*
スイラ国の王都サリア
そこは厚い壁に囲まれた、スイラ国のほぼ中央にある美しい都市である。
上空にあった青い空は、とうの昔に姿を消して
空の上方は闇に染まっていた。
それでも地上近くでは、まだ夕日の明かりが燻っている。
夕日の色に染まる都市の中枢は、通称「赤い城」と呼ばれる王の居城。
夕焼け時の光の当たり方が、最も美しく城を魅せるといわれる王城に
一つの影が入っていった。
ゆっくりと進んできた影は、むしろ遅すぎるくらいの速度で
二つ目の壁となる、城壁の正門に辿り着く。
影が正門に辿り着くと、門番が敬礼をし扉が開いた。
そのまま更に城に入る二つ目の扉をくぐり、
最も豪華で、最も広い『玉座の間』へと進んでいく。
外から入り込んだ夕焼けが、巨大な白い扉を暖かな色に染め上げていた。
夕焼けを浴びる扉を開くと、暖かな光がすう、と中に入り込み
室内の明かりが強くなる。
「陛下、シラ・ラフィート只今戻りました」
広い空間に、微かなノイズのある若い男の声が響く。
扉が閉まり、入ってきたときと同じように光が消えていくと
静かな空間は、僅かな緊張を含んだまま静寂が過ぎていく。
扉は僅かに隙間が空いていて、か細い光が入り込んでいた。
「おぉシラ、よくぞ戻った。それで希望の神は?」
威厳というものを誇示しない王は、その代わりに空気を和ませる人だった。
彼の言葉は、緊張の走る空間に穏やかな空気を流しこむ。
だが即座に現れた『神』にまつわる話で、緊張は消えることなく留まった。
「申し訳ございません。逃げられました」
期待に溢れる王を見て、シラは少し申し訳なさそうに答える。
ざわりと玉座の間にいる人々が、静かに騒ぎを広めた。
王が言葉を続けようと口を開いたとき、
再び、扉の開く音がした。
入り込んだ夕の光が逆光となり、人の影が映し出される。
「誰が逃げたと?」
嘲笑うような、微かな怒りの混じる女性の声が響いた。
背筋を逆撫でされた感覚に襲われて、シラは血の気の引いた顔を動かした。
「美羽、さん・・・・・」
呆然とした声に反応して、逆光の中の人はくすりと微笑んだ。
「あなたが気づかないから、道に迷うところでしたよ」
すぅっと光が引いていく。
扉が再び閉まった後に残ったものは、黒い髪の女性だった。
双眸が金色に輝いている。
入ってきた扉を離れ、悠然とした足取りでシラの隣へと進み出る。
ざわり、と再び静かに騒ぎが起きて、トンッと床を叩く高い音が響いた。
音を合図に、室内は再び静寂に包まれる。
玉座の一段下、大臣が立つことを許される場所に二つの人が居る。
うちの一人、王の右側に立つ老人が杖を握っていた。
音を鳴らしたらしき老人を見て、金の瞳の女性は口元の笑みを深くした。
微笑んだまま、王に対面する畏敬も、愚かな愚計も感じない自然な足取りで
彼女は先客である青年の隣まで辿り着く。
簡単に消えてはくれないのか。と思ったシラの意識は、
続けて見たくない未来を思い描いた。
眉間に皺を寄せると、未来を変えることは出来ないものかと、脳内で様々な方策を思案する。
横から入ってくる声は、片方の耳から反対側の耳へ通り抜けていた。
「お初にお目にかかります、わたくしは名を 鈴木 美羽 と申します。
シラの言葉が正しければ、陛下の知るところの『希望の神』です」
王へ不遜のないように、けれど堂々と言い放ち、
彼女は優雅にスイラ国の王へ一礼する。
滑らかな動きの姿には、見る者を納得させる品と威光があった。
不敵に微笑む彼女の、完璧に整った顔立ちと神族を現す金の瞳が相俟って
見る者すべてを魅了した。
彼女はただ微笑むだけで、皆の視線を釘付けにし、
ふと、彼女の気配に我に返ったシラの
細身の背に汗を掻かせた。
「陛下、率直に申し上げます。
私はこちらの予言師、シラ・ラフィートに、この世界が今戦乱の只中にあると聞き、
己にできることがないかを考えました。
結果、このスイラ国を拠点に、戦乱を鎮めるというものに至りました」
しん、と空気が締められて、息を呑むように人々は沈黙を守る。
「しかし、戦乱を鎮めるには、他国との関わりのある役職につく必要がございます。
どうか我が願いを聞き入れ、私をこのスイラの軍師または外交官とし
共に世界を平和へと導いていただきたい」
静寂・・・・
場にいる誰もが言葉を発しなかった。
スイラ国王、左大臣、右大臣、騎士隊長、騎士隊員、官吏、召使い・・・
その場に居合わせた者たちが、皆一様に息を止めた。
『自国は神と共に英雄となるよう誘われている。さらに神は自国の配下に入る』と
皆が解釈するまで、そう時間は必要とならなかった。
たとえ、その思考が美羽に導かれたものだとしても、疑う者はいないだろう。
目の前に最上級の御馳走を差し出されて、手を出さない人間などそうはいない。
神の顔にはすでに微笑みはなく、彼女の持つ威厳のみが残されていた。
皆の考えがまとまってきているのを見て取ると、彼女は静寂を破り言葉を紡ぐ。
「共に世界を救う英雄となろう」
曖昧だった皆の考えが、はっきり映し出されたときだった。
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