第4話 羽を広げて

あの女性と出会ったことが、私の運命の廻りを早めたのかもしれない。

もし出会っていなかったら今ごろ私はどうなっていたのだろう、

今だに森をさ迷い続けているかもしれない。

今でもあの女性がどんな人生を歩んでいたかはよくわからない、でも

子供をとても愛していたことだけは自信を持って言い切れる。

明確な理由なんて無いけれど

最後のあのまなざしはとても優しかったから。きっと子供の幸せを祈っていたのだと思うから。



               ***



その村は、いつも穏かな時が流れていた。

町を離れ逃げてきた私を村の人たちは暖かく迎え入れてくれた。

おじいさんとおばあさんは深く理由を聞いたりせずに部屋を貸してくれた、そのやさしさが嬉しかった。

最初見知らぬ人から「おはよう」と言われた時は驚いたけれど、「知らない人であろうと挨拶をすのは当然のこと」と、にこやかに教えてくれた。

始めは人に合うたびに声を出さなくちゃいけなくて大変だな、と思っていたけれど

只一言言葉を交わしただけなのに、たくさんの人と繋がっていることが実感できて

次第に挨拶することが楽しくなっていった。

今では見知らぬ村人に会うことはない。


村の住民は少ないから、都会からやってきた私の噂はあっいう間に広がったみたいで

来た翌日には村唯一の子供であるミーナとジルが「都会の話を聞かせて」と

部屋に居つきあれこれと聞いてきた。「いつかこの子と3人で遊ぶんだ」と楽しそうに言ってくれて、

早くも友達のできたわが子が嬉しかった。

「ね?都会は道が全部石だって本当?!」

ミーナがキラキラと瞳を輝かせて聞いてきた、ジルは興味深そうにこちらを窺っている。

子供の純粋な眼差しが綺麗でかわいくて、ついつい頬が緩んでしまう。

「えぇ、敷石が隙間なく敷かれていて、歩くとこつこつ音がするのよ」

私にとっては些細なことでも二人は目を笑顔を向け合い喜び合う、そして

あれはこれはとまだまだ質問攻めが続くのだ。

「石が敷かれているなんて、ごろごろして歩きにくくないの?」

「石を平らになるように敷かれているから道のでこぼこがなくなるの、だから平らで歩きやすいのよ」

へぇーと、感心しているのもつかの間で、すぐに新たな疑問が飛んでくる。子供の疑問は尽きないのだろうか

「貴族って見たことある?」

「海って水がしょっぱいって本当?」

「どうしてここには騎士がきてくれないの?」

一つ一つの質問に答えるのは大変だったけれど、二人の笑顔がそれを忘れさせてくれる。

「あのね、おっとうが都会には牛がいねぇってんだ。それって本当?じゃぁ牛乳飲まないの?」

この質問は正直困った。物品流通に詳しいわけではないから漠然としか答えられそうにない。

「えーーと、そうねぇ・・・・・」

それでも二人は今か今かと待ち焦がれている。その姿が餌待ちの雛を思い出させて

噴き出すのを止められなかった。私がくすくす笑っていると二人はきょとんとして顔を向け合い、首を傾げる。

「どうしたの?」

二人の声が見事に重なって、笑いに拍車をかける。

「ふふふ、なんでもないの。ちょっと、二人が雛に見えちゃって・・・・」

しまった、つい思ったままを答えてしまった。あちらにいた頃は相手を怒らせないようにと

失礼なことは言わないようにしていたのに。穏やかな雰囲気に流されて

そんなこと全然考えていなかったから、簡単に本音が出てきていた。怒るだろうか、嫌われてしまうだろうか。

私の心の内を知る由もない子供達は、再び顔を向け合った後

「ひどーい、私もう大人よ!雛じゃないの」

とミーナが頬を膨れさせて抗議する

「ミーナが大人???」

ジルが驚きの声を上げた。

「どういう意味よ!?」

「だって、オレより2つも年下じゃん。それにこの前、蛇見て悲鳴上げてたし」

「大人だって蛇は苦手なのよ!」

「え~うちのおっかあ蛇素手で捕まえるよ」

「本当!?おばちゃんすごい!!」

「でもおっとうは蛇見つけるとおっかあ呼びに行くんだ。蛇苦手なんだって」

「おじちゃんかっこ悪い。マリアさんも蛇って苦手?」

「え?え、えぇ。苦手だわ」

「ほら~大人だって蛇は苦手なのよ、おばちゃんがすごいだけ。私は大人よ」

「マリアさんは良いの。でもミーナはまだ子供だろー」

「何でよ!」・・・・・・・・・・

突然話を振られてちょっと反応に困ってしまった。怒るにしても、敵意は持たないようだ。

幼さゆえなのだろうか?ううん。この村の人は皆そう、この程度で嫌いだ好きだと騒いだりしない。

それが都会で相手の裏を読みあう、息苦しい生き方をしてきた私にとってひどく新鮮で。ほっとした。

ここの人たちは誰かを陥れたりする様な、そんな真似はしない。

心のままに、穏やかに、時にぶつかり合って生活している。

村に慣れてくると部屋を訪れる人が増えていった。野菜が育ったからそのおすそ分けに、と。

漬物がたくさんあるから、そのおすそわけに、と。私は何もお返しできなくて、申し訳ない思いでいれば

ミーナたちの遊び相手になってくれているから、それで十分だと言って安心させてくれた。むしろ私の方が

二人に教えてもらうことが多くて、遊んであげているつもりはないのに。でもその気使いが嬉しかった。

村の女性たちは子育ての手伝いもしてくれて、不安だった子育てもだんだんと自信がついてきた。

そんな日々がずっと続くと思っていた、たとえもう彼に会えなくても

村での生活は幸せだった。




おじいさん、おばあさん、ミーナ、ジル、みんな――――――ごめんなさい


甘かった、まさかここまで嗅ぎつけてくるなんて。

ずっと穏やかな時を過ごせるはずだった人たちが、私の目の前で血の海を作っていく。

大切な人たちが、死んでいく。

そして私の目に見えるのは、この惨劇を作り出し赤い軍服を着る兵士たち。

憎しみを抱くな、というのは無理な話。この血色の服を着る者達が憎らしい。

やめて、皆を殺さないで

私の幸せを奪わないで

もう愛する人を奪わないで

お願い、その血を止めて

私の愛する人たちが流す血を止めて

もう増やさないで

やめて

もう見たくないよ



でも、たくさんの血を踏み越えてでもこの子には生きてほしい、彼の残した私の宝物、奴らの狙うもの。

悲鳴溢れる村を振り返りながら、死に逝く知人と目が合いながらも、私は村に背を向けた。

ごめんなさい、皆を巻き込んでおきながら私は皆を残して逃げます。

私にはこの子が一番なの、何よりもこの子を優先してしまうの

『マリアさん、一人でこの森に入ってはいけないよ、一人で入るとなぜか皆道に迷ってしまうんだ。

 生きて帰ってきた者は少ない』

おじいさんが言っていたことを思い出したけれど、悩んではいられない。

私は森に逃げ込んだ。

背で愛しい人たちの悲鳴を聞きながら、申し訳ない思いでいっぱいになりながら。

それでも私はこの子を渡すわけにはいかないから。そんなことになったら、一体どんな目にあうことか・・・・

最悪殺されてしまうかもしれない。そんなの、絶対にさせない。

この子の為なら私は卑怯者だと罵られてもかまわない。この子が生きてさえくれれば、それでいい。


体力の限界まで走って、もう歩くこともできなくなり一番大きな木の根元に隠れるように座り込んだ。

「お願い来ないで、神様・・・・神様・・・」

どうかいるのなら、せめてこの子を助けてください。

「神様・・・・レン、助けて・・・」

レン、力をかして、この子を守って。レン・・・・

「たすけて・・・」

「ヒッ、」

すぐ近くから自分の物でない声が聞こえた。

兵士とは思えない、弱弱しい聞いたことの無い女性の声で

「――だれ?」

村の知らない人かもしれない。そんな人いるとは思わないけど、私と同じように

あの血臭漂う不幸な村から逃げてきたのかもしれない

「あの、私、ここがどこだかわからないんです・・・

 その、気がついたらここにいて、悲鳴は聞こえてくるし、どうしたらいいのかわからなくて・・・」

どこからか迷い込んでしまったのだろうか、不安げなその声色が彼女の混乱を伝えてくる。

けれど今話をして、その声で見つかっては困る。相手をおびえさせないように黙らせなくちゃいけない。

「・・・とにかく今は静かにしてて、見つかったら大変なの」

「わかりました」

素直な子でよかった、「どうして?」なんて詰め寄られたら大変だもの

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

彼女に静かにと言ったことで、自分の荒れていた感情も静かになっているのが少し可笑しかった。


がさがさがさ

草を掻き分けて人が近づいてくる音がした。

私たちは息を殺してじっとしていたけれど、

「おぎゃぁおぎゃぁ」

腕の中の子が起きて泣き出してしまった

「あっちだ!!」

しまった、このままでは関係無いこの女性まで殺されてしまう。

「ごめんなさい、あなただけで逃げて」

私と一緒にいてはどんな目に遭うかわからない。この人まで奴らの犠牲にはしたくない。

「な、そんな訳には」

「いいのよ、奴らは私を探しているのだから、あなたを巻き込むわけにはいかないわ」

この子を預けたかったけれど、そんなことをすればこの女性が追われることになってしまう。

「そんな訳にはいきません、こっちに街があるから、そこに隠れましょう」

この人は何を言っているのだろう?

「まち?そんなものあるわけないわ」

ここは深い深い森の中、森沿いの小さな村以外に町があるなど聞いたことも無い。

「あるものはあるんです、とにかく来て!時間が無い」

その人は私の手を引いて森の奥へ走っていく、初めて女性の立った姿を見ると小さかった。

(子供?)

「いたぞ!ガキだけは確実に殺すんだ」

体が緊張と憎悪に一瞬固まったのがわかった。やっぱり、殺すつもりなんだ


少し進むと突然つなぐ手を残してその少女は見えなくなった、それでもつなぐ手は私を引く

(これは何!?)

驚きと焦りに混乱して躊躇していると、強く腕を引かれる。つなぐ相手の手はほとんど消えて、

私の手がその消えたところに差し掛かると手から全身へ不快な痺れを感じた。

それでも逃げられるのなら、と促されるまま「そこ」へ行こうと足を進めたのだけれど・・・

「うっ―――」

体の中心に鈍い痛みが走った。

何か、生暖かいものが食道を逆流してきて吐き気を催す。口を押さえる余裕も

醜態を晒す事への恥も現れる前に、苦しみにうつむいたと同時、

何かが口内を通り外界へと進み出る。

かはっ、と無意識の内に声が出た。舌が苦い鉄の味を感知している。

血?

(――――――胸が・・・痛い、苦しい、つらい)

刺されたの?

でも左腕の中にいる『イシュ』は無事だ

(よかった)

この子だけでも「そこ」に届けなくては、私はどうなってもいいから、この子だけは、イシュだけは。

「この子を・・・」

残る力のすべてをこめて痺れる右手の先にいるだろう少女にイシュを差し出す。

子育てを「少女」に押し付けることになってしまうけれど・・・・・

「神・様・・・」

どうか、この子をお助けください。



                ***



私が動かずに突っ立っていても、その殺人者は私に気づいていないようだ。

街にも私にも何の反応も示さずに、背に剣を持つ死体を見て怒りを露にしている。

一番えらそうな男が女性から剣を抜き取った。

お前が犯人か


「ガキはどこだっ――」

「わかりません、私には消えたように見えました」

「どうやって消えたというんだ!この女が抱えていたんだぞ」

「しかし、確かに女が赤子を右手にもちかえたとき・・・消えました」

「・・・・見間違いではないのか?あの女は魔術など使えないはずだ」

「取り落としたのかもしれません、見当たりませんが・・・」

「まさか赤ん坊が逃げたのか?・・・・だが女は死んだ、ガキを育てる者はいない」

「でしたら死んだも同然です」

「ああ、どこかに転がっていようとどうせこの森に人間はいなくなっている、ガキを育てる物好きなど

 いなくなっているわけだ。

 仮に生き残りがいてもこんな状況じゃあ子供を育てる余裕などあるわけねぇ、

 くくく・・・下手したら「肉」として食われるかもなぁ。 

 だが死体を持っていかねぇと手柄にならねぇ、お前らはしばらくガキを探していろ」

「はい」



殺してやりたかった。この非情な殺人者達を。

でも私まで殺人の罪を着たくはないし、そんな重みを背負いたくない。

殺す力も、捕らえる力も何もない私は、

敵に気づかれていないうちにその場を離れることしかできなかった。

今優先してやるべきことは、女性が託した子供を守ることだ。

それしか、できない。

(弱い)

もし、今ここでこの殺人者に刃向かったなら、私は返り討ちにあって終わりだろう。

私にはこいつらを捕らえて罪を自覚させることもできない。

捕らえられなければ、罪に苦しませることもできない。

(悔しい)

私は、なんて弱いんだ




月が満たされようとする前夜、明るい月明かりに照らされて

一羽の蝶が天へと上る

ひらひら ひらひら

安定しない軌道の動きは、人の心と同じように

ひらひら ひらひら

ただ上へ上へと上り行く、到達地点を知らぬまま

ひらひら ひらひら

やがて蝶は木に停まりて羽を休め、再び ひらひら ひらひら と飛び立った

蝶は何度も停まっては、何度も何度も飛び立ってゆく

飛び続けることはできずとも、距離を長く長く伸ばしてゆく



力量の自覚は 新たなる始まり


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