五夜目 おしゃべりコンパス
楽園通りに、娼婦以外の女は少ない。
闇医者やモグリ技師の世話になりに来た女冒険者や、危ない薬をお忍びで買いに来た貴婦人、あるいはここに居を構える男たちの家族。
そんなもんだ。
だが通りの真ん中を悠々と歩く女はそのどれにも見えなかった。すれ違う男たちは怪訝な顔で振り返るものあり、訳知り顔で振り返るものあり、慣れた様子で素通りするものあり。
白い箱を大事そうに抱えた黒いコートの女は、機嫌上々で夜空亭の扉をくぐった。
***
今夜はよくよく見知った顔が多い。ちらほら上がる歓迎のあいさつに軽く返礼をしつつ、その客は真っ直ぐカウンターへ、もっと詳しく言うと店長の前にやってきた。
「夜空、先日は私のお嬢さんに素敵なお心遣いを有難う。おかげでお嬢さんはあまり苦しまずに済んだようだ。本当はあのばかたれ準男爵が過ぎた酒をやらねばいいことなのだが、ご存じの通り我々は極端に我慢ができない人種であるからして、私もそれを我慢できないのでいつもお嬢さんに負担を強いて後から後悔に苛まれ許しを請うのだがお嬢さんは苦しい息の下でも笑って私を許してくださる……嗚呼私の愛しいお嬢さん、私の女神、私のすべて」
「羅針盤は我慢できているほうだよ。準男爵は途中で止めないと幽霊船が死にかねないけど、あんたに任せておけば安心だ。いつもどおりシードルで構わないかい?」
「うん、頂こう。いけない忘れるところだった、これは先日のお心遣いに対するささやかなお礼の品だ。お嬢さんと相談して決めたのだがお気に召すだろうか? 今日はやや遠方までお嬢さんの仕事にお供したのだが、その街で有名な、行列のできる菓子舗の逸品だそうだ。日持ちはしないので今日中に召し上がれ。私もご相伴に預かったが大変美味かったよ」
「わざわざ有難う。……へえ、パイか! 甘いやつ?」
「ああ甘いやつだとも、勿論さ。中身はチェリーの蜜煮とクリームだ。すばらしく甘くだが甘すぎず、大変紅茶に合った」
「最高のやつじゃないか」
「最高のやつだよ」
そこで細いグラスに注がれたシードルが出てきて、いったん静かになる。シードルをこよなく愛する羅針盤は、一息で飲み干せそうなサイズのグラスを、それこそどこぞの貴婦人のようにゆっくりと味わう。そしてグラスが空になると、また怒涛の勢いでしゃべりだすのである。
彼の名誉のために補足しておくと、異様によくしゃべることを除けばこんなところには似合わないくらいのジェントルマンなのである。外身はレディだが。たまに「現役時代」の悪罵が飛び出すが。どうしても黙っていてほしいとき、店長はピッチャーでシードルを与えることにしている。
そうこうしているうちに、本日1杯目のシードルは空になった。
「そうだ夜空、是非ともきみに確認しておきたいことがあるんだ。お嬢さんはほめてくれたのだがね、ほら、お嬢さんは優しい女だから、私を慮って正直になれないのではないかと思うと気になって……私はあのばかたれと違って、お嬢さんに天下の往来で恥をかかせることなどしたくないのだよ」
空のグラスが不機嫌そうに揺れた。大振りだが倒さないあたり、準男爵にも多少の気遣いはあるということだろう。
「まあ確かに、この間の格好はいささか刺激的過ぎたかもしれないな」
「そうだ、そうだとも! お嬢さんのような愛らしい女性が胸元とか、その……あ、脚とか、あんな無防備にさらしていたら飢えた野獣共がお嬢さんにおぞましい欲望を抱いてしまうではないか! 行動に移すなら私なりあのばかたれなりが再起不能になるまで徹底的に痛めつけてやれるのだが、お嬢さんの配慮で『こっちから手を出しちゃダメ』ということになっているので汚らわしい視線をお嬢さんの柔肌に浴びせかけてくる男どもに全く手出しができないのだ……」
「で、結局、なにを確認したいんだ?」
「そう、それさ!」
羅針盤はやにわに立ち上がると、すっぽり着込んでいた黒いコートを引きむしるように脱いだ。店長と数人の客から「おお」と感嘆が漏れる。
「私が身体を使っていても、お嬢さんが恥ずかしくない格好をしたい……だけれどいくらお嬢さんのためとはいえ、私も男、女装には抵抗がある……ということで! こうなったが! いかがだろうか!」
確かにその恰好は露出度が低く、なおかつドレスでもなかった。
暗色のベストに白いブラウス、ゆったりしたズボンはひざ下のブーツに入れ込まれている。特筆すべきはブラウスにたっぷりとフリルが付いていることだ。フリルは女の服につけるもの、という風潮が定着しつつある昨今だが、文字通り「昔の人」である羅針盤としては女装にカウントされないらしい。白い羽飾りのついた帽子を傾けつつ「どうかな」と再度質問する羅針盤は身長の都合で上目遣いである。
店長は思ったことをそのまま口にした。
「可愛いよ」
羅針盤は文字通り飛び上がった。
「そうか!? そうかい!? やっぱり可愛いかい!? 男物だけどこれとこれをああしたらお嬢さんが可愛くなるんじゃないかなーって夜通し考えたんだ……前述の通りお嬢さんも可愛いよとは言ってくれたんだがいまいち自信が持てず今に至るわけで! ズボンだと冒険者の女どもみたいにガサツで蓮っ葉で小汚くて男だか女だかわかんない感じにならない? 大丈夫?」
すべての女冒険者を敵に回しそうな発言であったが、幸い今この店に女冒険者は1人もいなかった。
「冒険者の女はフリルのブラウス着ないし繻子のベストも着ないよ。お、ブーツも踵高いな」
「そうだとも。いつぞやのぺったらこい靴よりお嬢さんの脚が際立つだろう、そうだろう。これお嬢さんあんまり履かないんだよ。履いたら可愛いのに」
「いやらしい目で見られたくないんじゃなかったの?」
「それとこれとは別件。しかし夜空に褒めていただいたとあっては私の判断の正しさとばかたら準男爵のばかたれ具合が証明されたわけですな」
いくつかのテーブルから声が上がった。毎度毎度のこれを見ているとはいえ、所詮は人ごと、目の前で自分のグラスが震えだしたら驚くのは当たり前。
だがこの程度で怖がっていては、この街で遊ぶなど言語道断。
面白そうに事の次第を見守っていた客たちの中から、ぽろりとつぶやきが漏れた。
「男装のお姫様みたいですね」
かっと目を見開いた羅針盤が、声のしたほうに颯爽と歩いていく。歩き方はやはり男だ。
声の主はテーブルの上に本と帳面を広げた眼鏡の男であった。
「……わかっているじゃないか。失礼ながら、名は?」
「ここでは”灯台”と呼んでいただいております。羅針盤さん、いつもあなたのお話は楽しく拝聴しております」
「灯台か、いい名だ、生きていたころはよくよくお世話になったよ。海を離れて久しいが、陸の真ん中でこれほど明るい灯台を見つけられるとはまさに僥倖」
「はぁ」
「で、だ。なあ灯台、きみが私のお嬢さんを『お姫様』と言ってくれたのはうれしい、非常にうれしい。そしてその『男装のお姫様』というのはぐっとくるが、普通『男装』と『お姫様』は相容れぬものではないのかね? その素晴らしい発想の所以をぜひ教えてほしいのだが」
「最近読んだ娯楽小説にそういうものがありまして。お転婆な姫が城を抜け出して城下を見物するのですが、ドレスでは走ることもできないからと、兄王子の服を借りていくのです」
「なるほどなるほど」
「挿絵がちょうどそんなふうでした。帽子に羽飾りもついていましたし」
「……その本、表通りの貸本屋にあるかな?」
「いっそわたしがお貸しいたしましょう。うっかり買ってしまいましたので」
「本ってうっかりで買うものじゃあないと思うんだが」
「御婦人方が、要りもしないドレスや宝石をうっかり買ってしまうようなものです」
「それは無防備な商船を見つけるとうっかり襲い掛かってしまうようなものだろうか」
「近いと思われます」
何が近いのか周囲にはさっぱりだが本人たちは納得したらしく、いつのまにやら固い握手など交わしている。
「本当に羅針盤はお嬢さん馬鹿だね」
店長は自分の傍ら、何もない空間に話しかける。洗われたばかりのグラスがくらりと揺れる。準男爵があきれ返っているときの動きだ。姿が見えれば苦笑して肩をすくめていることだろう。
「ま、準男爵も一緒か」
今度は抗議。グラス同士が触れ合って高い音を立てた。よくもまあ割らないものだ。ポルターガイストとは大違い。
「怒るなよ、ほんとのことだろ」
準男爵は、沈黙を決め込んだ。
―――楽園通り夜空亭
こういう、バトルもチートも転移も転生もない異世界ファンタジーもいいよね。
スターシステム採用のため、この作品の「幽霊船」は拙作「【奇跡も】~スレ118【魔法さ】」のやどり先生、四夜めに登場する自鳴琴はずばり「自鳴琴」より、オルランドである。
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