R-1

 当時小学生だった龍次が何故敦貴に声をかけたかを答えるなら、ただ一緒に遊びたかっただけという単純なもの。それ以上でもそれ以下でもないし、誕生日を祝おうと考えたきっかけも、2月29日生まれの彼が珍しかったから。ただそれだけのはずだったのだが、いつの間にか「それだけ」に収まらなかった。

 敦貴にとにかく喜んでほしくて、毎年必死にプレゼントを考えた。閏年の時は何が欲しいのか聞いてそのなかから特にいいものをを深く考えた。龍次にとっては毎年大変だったが、とても楽しみなもったのでもあり、兎にも角にも敦貴に喜んでほしいという感情が一番大きかった。

 これは、敦貴の両親が子供に対して無関心な人物であったことも関係しているのではないかと、勝手に思っている。

 両親の仲はとても良いらしいが子供には興味がなく、彼等は祖父母に育てられたようなものだという。

 初めて聞いたときは、酷い親だと思ったし、文句の一つでも言いたくもなったが、過剰に踏み込むことになりそうでやめた。その分敦貴達姉弟に――特に敦貴には尽くした。両親と関係が良くない分、他のところでよい感情をたくさん受け止めてほしかった。

 敦貴とはずっと仲のいい友達でいたい思っていたが、それでも、中学や高校に上がるにつれ彼との時間は減っていた。寂しかったけれど、それでも完全に途絶えない交流がありがたかった。誕生日を祝うのはお決まりでそれがあるだけでも龍次は嬉しかった。


 ところで、いつ頃から龍次は敦貴を好きになっていたのかというと、それはよく分からない。ただ、自覚したのは高二の頃だった。

 他のクラスの女子生徒に告白され、断ったにも関わらずよく分からないままに交際していたというおかしな時期があった。相手は少しでもその気になってもらおうと、色々とアプローチをしてきたが、龍次の心には全く響かなかった。寧ろさっさと関係を終わらせたかった。心が揺れ動かぬまま一般的なカップルがやるであろうこともしたが、意味もわからぬままにこういうことをするなら、どうせなら敦貴がいいなんて考え――それで、敦貴への好意を少しだけ自覚した。

 その時交際している相手が、よく分からないままに付き合いだした相手ということもあるだろう。だが、どれだけ相手に時間を割いても向こうに好意を向けられても、なにも心が動かされなかったのは事実であり、敦貴への好意が友情の枠を超えていても、すんなり受け入れられた。

 だが、そう自覚してもなにか自分の中で違和感があった。自分は敦貴のことが好きである。それはそれでいいのだが、どうも、世の中の『好き』とは、少し傾向が違うらしいのだ。



 幾許いくばくかの酒が入った状態で、龍次は想いを打ち明けた。仮に素面シラフだったなら言おうなんて思わなかったろうことを、敦貴に打ち明け、表情には出さないながらもことを確信した。

 今まで良くしてくれていた先輩は、実は後輩をで見てました、なんて、嫌がられても仕方ない。関係終了を迫られても拒否できない。

 はぁ、と龍次は深く溜息をついてグラスの酒を飲み干し、二本目を開けた。ぷしゅ、と音を立てたのはビールである。敦貴にも少し挑戦させてみようと持ってきていたのが、そのまま自分のグラスに注いだ。それまで入っていたレモンチューハイと混ざって、不思議な味がした。


「龍次さん」

「……なんだ」


 グラスのビールを一気に流し込んだ龍次は、ふわふわした頭で前を向く。きっと苦笑いや嫌そうな顔でもしているのだろうと思った相手は、先程と大して変わらぬ澄ました表情でそこにいた。そして、ぺこりと頭を下げた、


「すみません、そんな言いづらいことを言わせてしまって。僕が不躾でした」


 敦貴の素直な謝罪に一瞬驚いた。別に彼が謝罪したことが意外だったというより、変だとか気持ち悪いとか、そう言った負の感情を表に出さないことに驚いた。別に嫌悪して欲しい訳では無いが、少し驚いてしまったのだ。

 最近はメディアでも LGBTQ なんていって取り上げられることも多い。知識として知っているからひとまず受け入れられたと、そういうことだろうか。

 強ばりが多少マシになった体で、安堵を胸に、龍次は別にいいと呟き、複雑な気持ちで続ける。


「お前が気になっていた理由も、分からなくもない。幼稚園や小学校の縁がきっかけにしては、僕達の関係は随分長い。普通は、どこかで縁が切れて、僕はかつて仲良くしてくれた近所のお兄さん……になる」

「……多くは、そうでしょうね」

「だから僕は、なんだかんだ縁があることも、誕生日を祝える事が嬉しかったし、今、見た感じ、大して引いてなさそうなのも、結構有難い。……変と思われるの覚悟してたからな」

「……僕は、そういうのは人それぞれと思っています。驚きはしましたが、変なんて、思いませんよ」

「……そうか、ありがとう」


 優しい男だと感慨深く思って、空になったグラスにペットボトルの水を注ぐ。冷たい水が酔った頭を正常に戻していくように染み渡った。

 はぁ、と大仰に溜息を吐いて一旦席を立つ。沢山酒を飲めば尿意を感じるのも必至。敦貴に一言断りを入れてトイレを借りた。


 暫くして戻ると、鍋に少し残っていたうどんは均等に分けられていた。鍋の居場所はシンクになっており、食卓には龍次が買ってきたツマミが鎮座する。

 それらを前に、敦貴はナゲットを食べながら水を飲んでいたが、龍次に気づくと『おかえりなさい』と口にして、次に質問を投げかけた。


「龍次さんは、僕が好きなんですよね」

「まぁ、そう、だな」


 なんてことのないように聞かれ、思わず動揺する。

――こいつは、なんとも思ってないのか?

 拒絶されたいわけでも嫌悪されたいわけでもないのに、なにも変わらない様子の敦貴に複雑な心境だ。

 そんな彼は、恐らく至極当然の疑問を投げかける。


「つまりは僕と交際したいってことでいいんですよね?」

「違う」


 告白されたからには当然湧き出るその疑問、それを龍次は特に悩むこともなく否定した。敦貴は信じられないといった顔つきで龍次を見る。

 驚きの視線を受けつつ、敦貴の向かいの席に腰を下ろした龍次は、自分の考えを徐々に口にする。


「……僕の中には確かに、お前に対する好意はあるが……恋人という関係、そして過剰な身体的接触や、性的な行為を求めるつもりは一切ない」

「…………そう、なんですか。じゃあ、一体どういう……?」

「ただ、僕はお前に幸せになってもらいたい。そして、それをできるだけ近いところで見たい」

「…………なるほど」

「言い方はおかしいが、お前には普通の幸せを手に入れてほしくてな。だから、別にお前と深い仲になる気はなく……というか、僕のこの好意が、恐らく一般的ではないんだろうな」

「……と、言いますと?」


 理解が及ばぬ様子で続きを促した敦貴の様子も理解出来る。とりあえずざっくり説明をする。

 交際をしたくない理由として、同性という一般に公言しにくい点は確かにある。だがそれは大きな理由にならず、先程も言ったように『普通の幸せ』を手にしてほしい、というものもある。

 そしてなにより、自分の好意の性質は、応援するアーティストに向ける好意に近いというところか。

 悩んだ末にそれを口にすると、敦貴は目を丸くして、鈍いながらも小さく相槌を打った。


「その、最近は応援してるアーティストなんかを推しなんて言うだろう。それに近い」

「…………」

「聞いてるか」

「聞いてます。ただ、僕にそんな概念を当てはめられてるとは思わず……なんと言っていいか」


 苦い笑みを浮かべて敦貴はナゲットを口に入れる。正直言うべきではないと思ったが、言ってしまったのは仕方ない。それはいいが、敦貴が悩ましい表情を浮かべているのはこちらも胸が痛む。拒絶されなかったことに喜んだのに、相手にそんな表情をさせてどうするのだと胸の内で己を叱責した。

 気持ちを切り替えるように、テーブルの片隅に置かれた自分が使っていたコップに水を注いでぐびぐびと飲み、コン、とテーブルに戻した龍次は、静かに敦貴に言う。


「お前を困惑させるようなことを言ってすまない。……ただ、僕はお前が好きではあるが、今以上の関係は求めん。友人として、先輩後輩として関係をもっていたいだけだ」

「…………はい。それは僕も思います。貴方に恋愛の情はありませんが、貴方のことは頼りになる先輩と思っています」

「そう思って貰えてるなら、最高だな」


 心からの気持ちを口に龍次は立ち上がり、空になったグラスを片付けた。

 どこか居心地の悪い沈黙を感じながら片付けを終えた龍次は、荷物を手にする。まだ帰るには早いが、さっさと退散しよう。そう思った龍次だったが、敦貴はそれを引き止めゲームをしようと誘うので、暫し悩んだ末にそれに乗った。

 ゲームに興じる敦貴は先程の龍次の告白なんかまるでなかったかのように、笑顔だった。

 その様子を見て、龍次はとても安堵し、そしてそういう自然さが好きなのだと何となく考えた。


「そういえば、なんで以前はこのこと言ってくれなかったんですか?」

「…………年齢を考えろ」

「あ、あぁ、なるほど。確かに」


 すぐさま理解したらしい敦貴は、小さく笑っていた。


 それから変わらず、龍次と敦貴の交友は続いた。誕生日を始め、敦貴にとって記念すべき日は全力で祝い、敦貴は相応に礼を返した。龍次にとってはそれが最高に幸せだった。

 しかし、敦貴が大学を卒業し、就職し、やがて異性と交際するようになってからは、龍次と関わる時間がぐっと減った。

 誕生日も、嘗てのようには祝えず、恋人が優先になった。

 正直寂しさはあったが、それも致し方のないことだし、そもそもそうなることを龍次は望んでいた。だから、良いのだ。

 なんて思いながら、龍次は自室にてなかなか返事が返ってこないスマートフォンの画面を見つめていた。

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