第12章  誰が為の風か 第1話 ふざけるな! 

 



 英雄サームが治める国にあったカシャフ川に毒竜がおり、人々を苦しめていた。竜は巨大で、火を吐き鳥を落とし、川からは鰐をつかみだし、毒で周囲を汚染して、この世界を支配したかのように振る舞っていた。


      ペルシア建国記「シャー・ナーメ」  


 


「ー何の用かしら?」 

 櫛は朝起きて、朝食が終わると、シャーロットを桜の部屋に呼んだ。

「あなたとは初めてお話しするかもしれませんね」

 櫛は立ち上がった。

「お待ちしていました。すみません呼び立てて」

「いえいえ、どうも丁寧に」

 シャーロットは優しく微笑んだ。

「それで、ご用件は」

「はい。お話があります」

ーできるだけ時間を稼いでくれ。

 下唇をかみしめた。私はそんなつもりはない。 私は、昨日見聞きしたものについて、彼女に問わなくてはならないだけだ。

「この本について聞きたいことがあって」

「あら」

 シャーロットは目を丸くした。

「それは、私が広報大臣だったときに監修した絵本ね」

「エミリアはこの本が好きだそうです」

 櫛はシャーロットを見つめた。

「・・・・この本に書かれていることは本当ですか」

「それは、どういう意味?」

 シャーロットの目は鋭くなった。

「この土地にいた竜は、本当はどこに行ったんですか」

「・・・月になったって書いてなかった?」

「そうですね」

 櫛は目を伏せた。

「でも、そうじゃなかったら。もし、竜が月になってなかったら、と思ったんです。もし、この世界の平和が偽りなら」

「・・・なにが言いたいの?」

 シャーロットは語気を強めた。

「この世界は確かに平和よ。争いなんてない。戦争もない。大それた犯罪もない。人々が幸せに暮らしているわ」

「・・・その人々ってのは誰のことですか」

「みんなよ。国民すべてに、平等に月の光は降り注ぐ」

 シャーロットは言った。

「あなたも、私も、サクラさんもよ」

 櫛は両手を強く握りしめた。

「・・・エミリアは?」

 シャーロットは端正な眉をぴくりと動かした。

「エミリアも、幸せですか?」

 櫛は、顔を上げて、彼女を見た。

「エミリアはあなたたちの犠牲になったんでしょ」

「・・・」

 櫛はシャーロットに一歩近づいた。

「エミリアは教師になりたいそうよ」

「・・・そうなの?知らなかったわ」

 シャーロットの表情はひきつっていた。

「ほうきに乗れないし、算数もできないけど。教える練習いっぱいしてるんだって。ひとりぼっちの子がいたら、助けてあげるんだって」

 櫛はのどが詰まる感覚がして、気分が悪くなりそうだった。

「・・・」

「・・・会って間もないあたしのことをお姉ちゃんって呼んでくれた。あたしも妹がいたらこんな感じじゃないかってー」

 櫛は目を伏せ、下唇を噛みしめた。

 今は、悲しむときではない。戦うときだ。これは裁判なのだ。

 櫛は、シャーロットの目を見つめた。

「・・・さっきの話の続きです。竜は月に上っていかなかった。死体は残り、そして、それは毒竜だったために、死してなお、あたりに見えない毒をまき散らし、それが風によって運ばれて、あたり一面は地獄と化した。ここで、あなたの先祖は考えた。死体をどこかに捨てないといけない」 

「・・・」

 シャーロットは顔をしかめた。

「それで、エミリアの故郷、ガルバナムという里にその死体を廃棄した。自分たちの土地を守るために死体を遠くの村に捨てたんです」

 言い終わり、櫛は彼女の様子を伺った。

「・・・それは、あなたの想像?それとも、サクラさんからされた話?」

 シャーロットは肩をすくめた。

「証拠はあるのかしら。私たち一族の血を貶めるつもりなら、それくらいの準備があるでしょうね」

「証拠ならあります」

 櫛はSDカードをポケットから取り出した。

「この中にある場所を指した地図が添付されていました。ガルバナムの霊山の山奥、サーム・ラベンダー、つまり、この国の建国主の遺骨があったらしく、その場所で今も保管されているらしいです」

「・・・」

 シャーロットはため息をついた。

「その秘密を知ったガルバナムの医師は投獄されたわ。あなたはその秘密を知って、それを私に言えば、素直に認めて公表すると思ったかしら」

「いいえ」

「じゃあ、なぜそれを心に留めずに私にー」

「あたしは、エミリアがかわいいんです」

 櫛は言った。

「あの子は、あたしに安らかな日常をくれたから」

「・・・そう」

「だから、許せない。エミリアを犠牲にして、幸せになった人たちが」

「うふふ・・・」

 シャーロットは、乾いた笑い声を上げた。

「・・・・・・許せない?おかしいわ。あなただって、その一人よ」

 櫛は目を見開いた。

「何を言ってるの。あたしは違う」

「違いませんよ」

 シャーロットはおかしそうに言った。

「竜の死体は、どこかに捨てないといけなかった。どこに捨てたとしても、その風下の人たちは不幸になるわ。あなたは、ガルバナムの里の人が毒に侵されるのは私たち一族のせいみたいに言うけど、違うのよ。あなたは竜の死体を動かさなければよかったって言うの?でも、それって残酷じゃない。私の先祖にとっては、自分の家族を含めた大事な人たちがみんな死んでいくのよ。ほかの人たちはのうのうと生きているのに」

「でも、そんなのはお互い様です」

「そうね。でも、あなたは大事なことが分かっていない」

 シャーロットは首を振った。

「他人の心は、自分の視界の外にある。誰かの痛みは自分の痛みではない。私、自分の世界の外側の戦争や流血なら、許せるわ」

「・・・」

「分からないかしら」 

 シャーロットは指を立てた。

「たとえば、こんなのはどう。あなたに、命がけで愛する人がいるとする。その恋が叶わなければ、身を投げてしまうくらい情熱的に愛している人がいるの。その人のことを、死ぬほど好きな人があと100人いるとするわね。彼女たちには、それぞれ、心の中であがき続け、もがき続けただけの尊い恋心がある。彼女たちは、その恋が叶わなければ、身を投げるというわ。それを知って、あなたはどうする?」

「・・・何の話ですか」

「世界をつくったり、壊したりするのはどうやるかってことよ」

 櫛は下唇を噛みしめた。その話は論点がずれている。

「ずれてなんかない。同じことよ」

 彼女は魔法でも使ったかのように、櫛の思考を読んだみたいだった。

「あなたは、誰かのために自分を磨耗できる?」

「・・・」

「世界を始めるために、あなたの恋を終わらせることができる?」

「・・・あたしは」

「あなたも同じよ。エミリアを食い物にして、自分だけが彼女を愛して、幸せになろうとしている」

「・・・ふざけないで!」

 櫛は頭に血が昇って怒鳴った。自分は違う。エミリアの幸せを心から祈っている。

「あたしの心の中を、知った風に話すな!」

 櫛は彼女につかみかかろうとした。それを交わし、シャーロットは、腰に差していた杖を一振りする。櫛は後ろの壁に吹き飛ばされた。櫛はぎりぎりのところで受け身をとる。

 シャーロットは杖を小振りして、ドアに鍵をかけた。

「私に勝てると思わないで」

 彼女は杖をまたくるっと回して、掲げた。

「出よ、メデューサ」

 シャーロットの言葉が響き、あたりに黒いもやが現れた。

「さようなら、エミリアのことは私に任せて眠りなさい」

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