第2話 パンの屑


 

 シャーロットの部屋への潜入は割とスムーズに進んだ。

 重い扉を静かに押し開け、そっと閉じて、鍵をかける。

「桜」

 ヒクイドリが小さい声で言った。桜はうなずいた。

「まず、書斎を隈無く探しなさい。何か金庫っぽいものがあれば、それはまとめて持ち出しなさい」

「・・・これって、やっぱり泥棒じゃないですか」

「もともと、この家のものじゃないし、この世界のものでもないからいいのよ。気にしなくて」

「なるほど」 

 さっさと探すことにした。櫛のことも心配だ。昨日の様子から、シャーロットには反感を覚えたようだったし、もしかして妙なことを考えて彼女を糾弾する可能性もなくはない。というより、大いにある。

 とりあえず、書斎部屋は探したが、聖体も、それを内容したような金庫もなかった。壁を押して、隠し扉があるのではないかという確認も済ませた。

「さて、次はご婦人の寝室かな」

「ええ、急ぎまー」

 そのときだった。

「ァァァァ・・・・・・」

 空洞に風が吹き込むような音が聞こえた。

「・・・この音・・・」

「どうしたの?」

「・・・西条敦が死ぬときに鳴ってた音です」

「どういうこと?」

「西条敦は、政府にとらわれ、数年後処刑されてたんです。そのとき、こんな音が」

「・・・」

 桜は視野に気を遣いながら、寝室へと進んだ。部屋の中には、ベッド以外の何もなかった。ベッドの下から、その空洞音が聞こえているらしかった。

「この下、何ですか」

「さあ」

 桜はベッドの下に手をつっこんだ。ベッドの下は空洞だった。何かが手に触れた。何かの触手みたいなものと、何か固いもの。桜はその固いものをつかんで、取り出して見た。

 猫の形をした置物だった。とても、精巧で、まるで生きていた猫が石にされたみたいだ。

「これ・・・」

「どうしたの?早く聖体を見つけないと」

 桜は頭を押さえた。

「・・・聖体って、食べるとどうなるんでしたっけ」

「ふつうの人間なら死ぬわ」

「・・・じゃあ、人間じゃなくて、不死身の怪物とかだったら?」

「・・・その聖性があがる。つまり、化け物としての力は強くなるわ」

「・・・あの人」

 桜はぞっとした。

「怪物を養殖してたんだ」

「・・・え」

「櫛が危ないかもしれない」

 桜はつぶやいた。そして、部屋を飛び出した。



 櫛は目を瞑っていた。シャーロットは召還した怪物をメデューサと呼んだ。櫛の知る通りの怪物なら、きっと目が合えば石にしてしまうという怪物だろう。

「何だっけ、鏡・・・」

 神話だと、鏡の盾で倒したんだっけ。だが、コンパクトも手鏡も部屋に置いてきてしまったのだ。

 からだがぞわりとした。耳元でささやくように誰かが何かつぶやいた。

「・・・ァァァァ」

 目の奥がずきりとした。目が開こうとしていた。櫛は目を押さえた。やばい。目を無理矢理開けさせようとしている。

 シャーロットはまだ、部屋にいるようだ。だが、自分の手を使うことはなく、ただ、櫛と怪物のふれあいを見ているだけのようだった。櫛は下唇を噛みしめた。

 このままじゃ。

 そのときだった。ドアにかかっていた鍵が一人でに開いた。

「クシ!」

 エミリアの声だった。それに連れて、後ろに足音が聞こえる。桜のようだった。

「エミリア?」

「サクラ、今よ!鏡投げて!」

 ひゅう、と音がして、何かが空を飛んだ気配がした。薄く目を開けると、鏡が宙に浮いている。

「・・・クリューサーオール・ペガソス・カリロエー!」

 エミリアは杖を振り上げ、叫んだ。鏡が光輝く。メデューサはそれを見ると、動きを止めた。

「ユマ・サルマン!」

 そして、その光にかき消されるように、その姿は跡形もなく吹き飛んだ。

 その衝撃によろめいたエミリアを桜が抱き留めた。

「・・・」

 シャーロットは呆然とそれを見ていた。

「エミリア、それは・・・」

「大叔母様」

 エミリアは荒い息をしながら、

「何をなさっているんですか・・・」

「・・・」

「あれは、メデューサですね」

 エミリアは言った。

「しかも、凶暴性の高い」

「聖体を食わせて、実験してたんだろ」

 桜は言った。

「なぜ、あんなものを、大叔母様がお持ちなんですか」

 エミリアは問いつめた。

「・・・それより、エミリア?なぜメデューサ退散の呪文を知っているの?」

「・・・あれだけには、負けられないから。練習してたもの」

 エミリアは強く言った。

「シャーロット大叔母様、ずっと聞きたいことがありました。あのとき、私の孤児院を襲ったのは、政府のメデューサですか?」

「・・・そんな記録はありません」

 シャーロットは白を切った。

「あなた、まだ治り切ってないんだから、部屋に戻りなさい」

「私、全部聞いていたわ!私がもうすぐ死ぬことも!私の夢が叶わないことも!」

 エミリアは断じて言った。櫛は目を見開いた。

「ずっと、この部屋の前にいた・・・」

「・・・」

「私も殺すの?」

 エミリアはシャーロットに向かって、眉を潜めて微笑んだ。シャーロットは口をつぐんだ。

「・・・私、大叔母様のこと、大好きだったのに」

「・・・私もよ。エミリア」

 エミリアははっと顔を上げた。

「だから残念だわ。ローズさんの言うとおりにしないといけないなんて」

「・・・え?」

 エミリアは目を見開いた。

 シャーロットは杖を腰に差し、服を整えた。

「それって」

 桜が信じられない、という顔をした。

「エミリア、愛してるわ」

「・・・え」

 エミリアは杖を取り落とした。

「だから、エミリア、あなたはうちにいないほうがいい。あなたのためにならないもの・・・」 

 シャーロットはそう言って、エミリアの横を通り過ぎ、部屋を出た。

「・・・」

 エミリアはただ、そこに呆然と立っていた。

「エミリア・・・」

 櫛はかける言葉がなかった。ただ、彼女に駆け寄り、抱きしめることしかできなかった。

「バリア・・・!」 

 エミリアはかすれ声で言った。櫛はエミリアをはっとして見つめた。

「エミリア・・・」 

 喉の奥がきゅうっと詰まった。

 エミリアは微笑んだ。

「こうすれば、私の心は傷つかない。誰にも傷つけられない・・・」

 エミリアはぽろぽろと涙を流した。

「あれ・・・やっぱり・・・櫛みたいにはできないや。・・・泣かない櫛は、やっぱりすごい」

「違うよ・・・」

 櫛はエミリアをより強く抱きすくめた。

「私は泣かないんじゃない。やっぱり、泣けないんだ・・・」

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