第2話 喧嘩

しばらくして、目を覚ますと、部屋の中に桜がいた。

「おはよう」

「・・・おはよう」

 櫛は顔をしかめて言った。

「エミリアはまだ寝てるから」

「櫛に話がある」

「・・・」

 櫛はため息をついた。

「あたしも、話があるよ」

「だったら、僕の部屋に来て」

 彼は真剣な目で言った。 


 櫛と桜はベッドの上で互いに向かい合って座っていた。お互い、2日ぐらい会っていない間があったせいでもないだろうが、変な緊張感があった。桜はやりづらそうに口を開いた。

「・・・エミリアはどう?」

「元気よ」

 櫛は言った。

「それより、話って?」

「聖体のことだよ。あと、探していないのはシャーロットさんの部屋だけなんだ。そこに聖体があることは確実らしい。だから、明日彼女の部屋に忍び込んで、聖体を探すつもりだ」

 櫛はうつむいた。桜は気にせずに続ける。

「櫛には、この部屋にシャーロットさんをおびき寄せてほしい。そこで時間を稼いでくれ」

 櫛はか細い声で言った。

「・・・・・・あたしはやらない」

「え?」

「あたしは、やらない。エミリアと一緒にいる」

「・・・冗談を言わないで」

 桜は首を振った。

「エミリアの熱は下がった。それまで待っただろ」

「何それ」

 櫛は目をそらした。

「あたしは、ここに残るよ」

「・・・」

「君もそうして」

「僕は・・・」

「帰ったって、辛いことばかりだよ」

 櫛は微笑んだ。

「街が焼けたとか、世界が壊れるだけじゃない。あたしもいやなことあったし、君も散々な目にあったじゃない。ここは平和な世界だよ。エミリアがいれば、あたしは幸せ」

 それは違う。桜はそう思ったが、彼女には届かないと思った。

「・・・」

「いいでしょ。異世界転生で、幸せになれば。二人で一緒に残ろう?」

 櫛は立ち上がった。

「あたし、エミリアの様子見てくるー」

 そのとき、彼女のポケットから何かが落ちた。櫛ははっとして、それを拾おうとする。しかし、桜のほうが先にそれを取った。

「櫛、これ」

「桜、それ返して!」

「SDカード・・・?」

 桜はそのSDカードに見覚えがあった。実感があった。もう、ほぼ朧気になっていく、彼の夢の中で、自分でそれをどこかに隠した記憶があった。確か、これには—。

「・・・返してよ!」

 櫛は桜につかみかかった。桜は後ろに倒れ、櫛はその上に乗りかかった。桜はカードを両手で握りしめた。

「返して!返してよ!」

「・・・・・・櫛」

 桜は、首を振った。

「違うよ。櫛、君の思いは正しい。でも、君の言うことは間違いだ」

「・・・どこがー」

「かつて、悪い竜がいた。カシャフと呼ばれる竜が、この土地を荒らしていた。しかし」

 桜はゆっくりと言った。

「ある英雄が、その竜を退治した。その竜は、改心して天に昇り、月となって、地上を照らし、あらゆる争いのない世界になった」

「・・・それ、絵本で読んだ」

 櫛はぽつりと言った。

「風は止む。シャーロットさんが書いた絵本よ」

「シャーロットさんが」

「国民みんなに無償で配布される本なんですって」

 桜は合点がいったようにうなずいた。

「やっぱり。・・・あれは嘘なんだ」

「・・・え?」

「あれは、人々の印象を操作するために作られた神話や寓話に過ぎない。プロパガンダだよ」

 櫛は首を傾げた。

「ぜんぜん、分からない」

「・・・今から話すことは、君を苦しめることになるかもしれない」

 櫛は首を振った。

「そんなの、聞きたくないんだけど」

「でも、聞いて、その上で、君がこの世界を発つかどうか決めてほしい」

「・・・嫌」

 櫛はいやだ、と首を振った。

「あたし、そろそろエミリアのところに行くからー」

 桜は櫛の腕をがしっと掴んだ。

「頼むから、聞いてよ・・・」

 櫛は目を細めて、しばらく黙り込んだ。そして言った。

「・・・あたし、どんなこと言われても、この世界を動くつもりないから」

「・・・・・・分かったよ」

 桜はうなずいた。そういう心つもりでかまわないと思った。

 桜は櫛を座らせて、事実をすべて、伝えた。西条敦の存在についてはとりあえず伏せた。ただ、彼の眼で自分が知っていること、それから類推されることをすべて話した。

 


「ー黙って聞いてたわよ」

 夜になって、ヒクイドリが言った。  

「あれで良かったの?」

 桜は肩を竦めた。

「櫛は僕のことを少し嫌いになったかも」

「・・・」

「とにかく、この世界を出る気になればそれでいいよ」

 桜はベッドの上に寝転がった。

「・・・ともあれ明日、この世界の仕事は一段落するんだ」

 先は長いなあ、と嘆く。

「・・・もう寝るの?」

「うん。今日は何か疲れたし」

 桜は顔をしかめた。

「あの人が、今日会いに来る気がするんだ」

 明かりを消して、窓を閉めた。

 そして、目を瞑った。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 やはり、誰かに呼ばれた気がした。桜は、また自分の外に出た。

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