第2話 破壊される残照
「・・・」
背筋に冷たい汗が流れた。
悩んでいる暇はない。
陣聖は急いで、里に引き返した。メデューサは人を石に変える怪物だ。政府が罪人を断罪するために使うために飼い慣らしている。前に、風下博士から聞いたことがあった。
胸騒ぎが止まらなかった。
里に近づくにつれて、洞窟に風が吹き込むような音がし出した。この辺りに洞窟などない。風も吹いていない。
陣聖は、そのとき、最悪の想像をした。
里の中に、野放しになったメデューサがいるのか?
陣聖は立ち止まり、腰に手を当てた。拳銃はもうない。物好きな商人に高値で売ってしまったのだ。早く切り捨ててしまいたい過去を思い出すものだったから、余計にそれを手放すのを焦ってしまった。
陣聖はあたりを見渡した。武器になりそうなものは何もない。仕方ない、と思い、丸腰で向かった。
里に着くと、その惨状に唖然とした。
「・・・」
風下博士の診療所は倒壊し、入院していたはずの人たちの姿はない。いくつかあったあばら屋も、崩れ、その中の人たちの姿は見あたらない。
「・・・ァァァァ」
そのとき、また空洞音が聞こえた。その方向、視界の隅に、何か、黒いものが2、3体ふわふわと浮かんでいる。
メデューサと呼ばれる怪物だ。そいつは、レースのような膜の内側に、女の体を持つと言われる。だが、それを見て確かめることはできない。なぜなら、彼女らと視線を交わすことは死につながるからだ。
陣聖は目を見開いた。
孤児院は?アリアは?子供たちは?エミリアは、フレイアは、ジャシャは、無事なのか?
「・・・」
大丈夫。無事であるはずだ。
陣聖は無根拠にそれを信じ、孤児院のある里の西側まで走り出した。
「・・・はあ・・・はあ・・・」
きっと、そんなに悪いことがあるわけがない。もし、そんなことがあるならば、おかしい。彼らはもうとっくに苦しいはずだ。彼らはすでに悲しみの中で、悲しみを癒しながら生きている。
「・・・・・・」
もし、そんなことがあるなら、この里には、この世すべての悪が集まっているようじゃないか。
何かの吹き溜まりになっているようじゃないか。
そんなことはあるまい。あるわけがない。
「・・・・・・ァァァァ」
陣聖が息を切らしてたどり着いた先。
孤児院の中も外も食い破られたように、黒いドレスを着た女たちでいっぱいだった。
陣聖はそれを見て、狂いかけた。
「ぁぁ・・・」
ただ、たくさんの黒ずみが、空を覆う布みたいに溜まっている。風に流され、ふわふわと舞っている。
窓を割り目を瞑り、彼らを押しのけて、中へ転がり入った。
「・・・・・・」
その惨状を見て、目を見開いた。
「何だ、これ・・・」
そこには、石の固まりがたくさん倒れていた。ちょうど、6歳くらいの子供の大きさの、石の固まりが、部屋の中に折り重なって、散乱していた。
「嘘だ・・・」
陣聖は膝をついた。もう、誰も残っていないのか。
絶望しかけ、ふと微かに正気に戻った。
「アリア・・・」
アリアは、別の部屋にいる。まだ、無事かもしれない。
陣聖は再び目を瞑り、アリアの寝室へ向かった。
ドアを手探りで見つけ、扉の感触を確かめる。そして、片目を薄く開け、ドアをこじ開けた。彼女らが中に入ってこられないように、ドアをばたんと閉めた。中へすすみ、カーテンを閉め、息を荒くついた。
「・・・・・・ジン先生?」
足下から声がした。陣聖は目を見開いた。エミリアとジャシャが陣聖のズボンの裾を引っ張っていた。
「おまえら、ここにいたのか」
「うん、アリア先生の看病してた」
エミリアはうなずいた。ジャシャも無言でうなずいた。
「お医者さんは?」
「それが・・・」
陣聖はうつむいた。エミリアは、陣聖を見つめた。
「連れてくるって言ったじゃん!」
「・・・ごめん。いろいろあって、それどころじゃなかった。ーアリアは?」
陣聖はベッドのほうを振り返った。
「・・・・・・起きているわ」
アリアは目を薄く開いた。顔は火照り、唇は青い。額に汗を浮かべ、辛い様子で息をする。陣聖は、アリアの頭をなでた。
「無事で良かった」
「・・・・・・」
アリアは、陣聖を無言で見つめた。
「4人で逃げよう」
陣聖は強く言った。
「ほかの子たちは?」
エミリアは首を傾げた。
「・・・」
陣聖はアリアのほうを見た。アリアはすべてを悟ったように無言だった。
陣聖は再び繰り返した。
「・・・・・・4人で逃げよう、早く」
「ねえ、ほかの子たちは?フレイアは?」
エミリアはしきりに聞いた。
「もう逃げたの?あの変なのから」
「・・・」
陣聖は腰を落とし、エミリアの視線に合わせた。彼女を安心させるべく、嘘をつこうとした。
「大丈夫。みんなは、無事にー」
「死んだのよ」
アリアはぽつりと言った。陣聖はぎょっとして彼女を振り返る。
「みんな、死んだの。フレイアも」
「おい、アリア!!」
「だって、本当のことだもん」
アリアは無表情に言った。エミリアは表情をこわばらせた。
「アリア、先生?」
「・・・・・・エミリア、私も、孤児だったの。親がいないの」
アリアは眉を潜めて、笑った。
「何で、私にばかり不幸が来るんだろう。そう思ってた」
「・・・」
「でも、不幸を力に変えないと生きていけなかった。だから、私と同じつらさを持った孤児たちを育てることにした。廃れていた孤児院を再建しようと決めた」
アリアはひどく乾いた目をエミリアに向けた。
「私は、あなたたちを愛した。でも、あなたたちに愛されても、私は孤独だった。どうしてか分かる?」
「・・・アリア?」
陣聖は眉を潜めた。
「誰も彼も、私から奪っていくだけ。私を踏み台にして、奪っていくだけ。私がそれを受け入れるのを当然みたいに思ってる」
陣聖は困惑して言った。
「・・・どうしたんだ、アリア」
「どうもしてないわ。ねえ、ジン」
アリアは優しく微笑んだ。
「あなただけが、私の孤独を癒した。あなただけが、私を救えるの」
「・・・・・・あ、ああ。そうだ」
陣聖はうなずいた。
「これからもおまえは一人じゃない。ずっとそばにいる。だからー」
「無理だよ」
彼女は首を振った。
「私、病気だよ。たぶん治らない」
「治る。絶対治るから」
陣聖は言い聞かせるように言った。
「一緒に逃げようー」
「じゃあさ」
彼女は額に汗を浮かせながら、優しく微笑んだ。
「・・・・・・じゃあさ」
彼女はカーテンを開けた。
「・・・・・・アリア?」
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