第9章 ふざけるな 第1話 危険な声 



 荒い息づかいに目が覚めた。顔をあげると、ベッドで辛そうな表情をして、布団を抱きしめているアリアの姿があった。

「おい」

 陣聖は血相を変えて、アリアの枕元に寄った。

「大丈夫か」

 アリアは、陣聖の頬に手をのばした。

「・・・ジン・・・・・・」

「待ってろ、すぐに、医者呼んでくるから」

 陣聖は、窓の外を振り返った。まだ、辺りは白んでもいない。山の中だから真っ暗だ。

「それまで頑張れ。な?」

 アリアは首をふるふると振った。

「・・・行かないで・・・・・・」

「そういうわけにはー」

「私、はじめて一人じゃなくなった」

 アリアは下唇をかみしめた。

「あなたがいないと、私は一人になる」

「子供たちがいる」

「子供たちは、愛をくれない・・・」

 アリアはかすれた声で言った。

「私は、奪われて、ばかり・・・」

「アリア・・・?」

 譫言のようだった。意識も朦朧としているのだろう。

 急がないといけない。

 陣聖は、アリアが何かを言うのを聞かずに、そのまま走り出した。

 

 もう時間がない。朝が来るまでには医者を連れてこないと。あぜ道を跳ねるように走り、森の中を駆け抜けた。

 そのとき、視界の端、山腹のはるか西に、何かあかりが見えた。何だろう。魔物だろうか。山の魔物なら、だいたいは無害だが。

 少し気になったが、陣聖にはそれ以上気にとめている暇はなかった。

 とにかく、街のある方向へ。タルンカッペの時計塔の頂上が見える方向へ走り続けた。

 何とか、朝が来る前に街についた。

 顔見知りの医者の家のドアを何軒か叩いて回った。だが、誰も彼も、ガルバナムに来るようにと言うと、顔をしかめて首を振る。しまいには、ドモボイたちに不審者扱いされた。

 最後の望み、中央広場近くのサランラード邸の医師にすべてをかけた。そこの医者は腕も立ち、正義感もある。彼ならば、きっと、里に出向いてくれるはずだ。

 家のドアを叩こうとすると、上から野太い声がかけられた。

「ジンの旦那」

 サランラードのドモボイだった。

「通してくれ、頼む」

「あんた、主に用なのか?」

 屋根の上の毛むくじゃらの精霊は、鼻をほじりながら言った。

「本当に?」

「頼む。ガルバナムに女の教師がいて、そいつが今、すごい熱を出してうなされているんだ」

「ガルバナム?」

 ドモボイは眉を潜めた。

「主は、そんなところの患者は見ない。全部断ってるよ」

 陣聖は目を見開いた。

「・・・ダメもとでもいい。一度、本人と話を」

「無駄だよ。俺にだって、分かる」

 ドモボイは肩を竦めた。

「どんな蛮獣だって、あんなところには行かない。あそこには、何かやべえものがある」

「・・・」

「バカな魔法使いでもないと、そんな仕事引き受けないぞ」

 ドモボイは突き放すように言った。

「・・・」 

 陣聖はうなだれた。

「・・・じゃあせめて、風下博士の行方を知らないか」

「ああ、あのじじいか」

 ドモボイは肩をすくめた。

「あいつなら、政府に連れて行かれたって、家主が話してた」

「連れて行かれた?」

 陣聖は目を見開いた。

「そう、政府に」

 ドモボイはその巨大な耳をぴくりと動かした。

「おっと、噂をすれば」

「・・・?」

 耳をすますと、遠くから、がたがた、という音と、政府の獣ペガサスの鳴き声が聞こえた。

「政府?」

 陣聖は眉を潜めた。

「何で」

「・・・ガルバナムの霊山のほうからだな」

 ドモボイは鼻をひくひくと動かし、そして目を見開いた。

「これは!・・・・・・やべえ」

「どうしたんだ」

「いやあ、まずい。何でこんなことに!」

 彼はひげをひくつかせた。

「・・・・・・今日は早めにお勤め終えるわ。悪いな、旦那!」 

 ドモボイは屋根からしゅたっと飛び降りた。

「何が起こってる?」

「メデューサのにおいがする!くせえ臭いだ!」

 ドモボイは言った。

「ガルバナムから、たぶんメデューサの牢獄を移送するトレイルが来るんだ!」

 陣聖は目を見開いた。

「何で」

「さて、ガルバナムの誰かが、違法魔術でも使ったのかな」

 ドモボイは地面にスコップで穴を掘り始める。

「まあ、俺は巻き添え食らわないように退散するから、よろしく!」

「・・・」

 ドモボイは片目だけ開いて、陣聖を見た。

「まあ、家が心配なら、戻ったほうがいいな」

 ぞくりとした。

 陣聖は霊山のほうを振り返る。さっき来た道を明かりのついた細長い馬車が、すごいスピードで駆け下りていくのを見た。

 医者はまだ見つかっていない。どうする。

「・・・」

 背筋に冷たい汗が流れた。

 悩んでいる暇はない。

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