第7章 廃棄されしもの 第1話 我が性情、竜虎を招く



 ふと目を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出てみると、声は闇の中から、しきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。

          中島敦 山月記


 


ーあっちゃん、風が吹いとるよ・・・。 

 普段桜は目を覚ました。体をがばっと起こした。冷や汗をかいていた。

「・・・」

「どうしたのよ?」

 先に起きていたヒクイドリが驚いたように尋ねた。

「すごい汗ね」

「・・・いや」

 桜は頭に手をやった。

 自分の中に、何かが混ざってきたような感覚がした。知らない誰かの夢を、強制的に見せられているような感覚。

「異世界が、僕の体に勝手に入ってきた」

「・・・ああ」

 ヒクイドリはうなずいた。

「どうなってるんですか?」

「あなたは今、幽霊みたいなもんだって言ったでしょ」

「はい」

「幽霊には体がない。むき出しの精神。つまり、存在が不確かなのよ」

「・・・」

「だから、間違ってほかの人の精神をのぞき込むことがあるのね」

 桜は心配になって自分の手を見た。見た感じ、すり抜けたりはしなさそうだ。だけど。

「・・・」

 ぞわぞわとした寒気を感じた。

「早く、帰らないと」

「・・・そうね」

 ヒクイドリはうなずいた。

「まあ、別に害はないけど。早く聖体を見つけてくれるに越したことはないわ」

「はい。・・・今日で片づけます」

 桜は強くうなずいた。

 そのとき、とんとん、と扉を叩く音がした。

「サクラさん、ちょっと良いかしら」 

「・・・」 

 桜は顔をしかめた。ローズの声だったからだ。

昨日、桜が物置にいたとジャックが言ったことをまだ、勘ぐっていたらしい。

「・・・どうぞ」

「母が朝食後に部屋を訪ねるようにと言っていました。おそらく、昨日の件で」

「・・・なぜ、そんなに気にするんですか」

「・・・はい?」

「物置に入ったのは、たまたまだと言ったでしょう。なぜ、そんなに疑うんです」

「いえ、別に」

 ローズは冷たく言った。

「私は疑っているわけではありません。ただ事実をはっきりさせたいだけで」

「そうですか」

 桜はため息をついて言った。

「・・・分かりました。食後に行きますとお伝えください」 

「ありがとう、それでは」

 部屋の前から、ローズの気配が消えて、桜はため息をついた。

 

 食事が済んで、一度櫛とエミリアの部屋に寄った。

「おはよう、サクラ」

 部屋で先に待っていたエミリアは右手をひらひらさせた。

「ああ、おはよう。エミリア」

 エミリアは、机に向かっていた。机の上には、学校の教材なのだろう、紙の束が並んでいて、横に杖が置いてある。

「・・・櫛、ちょっと」

 桜は櫛を呼んだ。

「何?」

 櫛は小声で聞いた。

「・・・シャーロット婦人に呼び出されたんだ」

 桜は櫛にこっそり伝えた。櫛は眉を潜めた。

「ほらね、疑われてるじゃない。あたしにしわ寄せが来たらどうするの」

「・・・別に僕に非はない。だって、実質物を盗ったわけじゃないんだから」

 桜は肩を竦めた。

「で、僕がいない間に頼みたいことがある」

 櫛は露骨に嫌そうな顔をした。

「・・・自分が呼び出されてる間、エミリアと一緒に倉庫を探せっていうの?」

「・・・うん」

 桜は頭をかいた。

「聖体を見つけたら、とりあえず仕事は一つクリアだろ?早く済ませて、こんな世界早く出ようよ」

「・・・・・・」

 櫛は目を見開いた。

「この世界を、出る・・・?」

 桜は櫛の様子が妙なのに気づいた。

「・・・櫛?」

 櫛はエミリアをちらりと見た。

「・・・」

「どうしたの?」

 櫛は目を伏せた。

「・・・何でもない。ごめんけど、倉庫はやっぱり自分で探してよ。あたし、エミリアの勉強を見る約束してるから」

「そんなの後からでもできるでしょ」

「・・・とにかく、あたしやらないから」

 櫛は不機嫌だった。

「櫛?」

「早く行ったら」

 櫛は桜の服を引っ張った。

「来るのが遅いと、怪しまれて追い出されるかもよ」

「・・・それは困る」

「でしょ」 

 桜は、仕方なく部屋を出た。


「入ります」

「どうぞ」

 シャーロット婦人の部屋の前に立つと、重そうな木扉はすうっと音もなく開く。

「お入りなさい」

 桜は部屋の中へ入った。後ろで扉が閉じる。

「ご用件は何でしょう」

「・・・ローズさんから報告を受けて、確認をしろと言われたから」

 婦人は微笑んだ。

「仕方なくね。あなたを追い出したりする気はありません。ただ、あまり屋敷の中をうろうろすると、私やエミリアはともかく、ローズさんたちからは不審な目で見られるかもしれませんよ」 

「はあ」

 桜は、婦人が他人行儀にローズ「さん」と呼ぶのに違和感を感じた。

「ローズさんは、シャーロットさんの娘さんではないんですか」

「・・・」

 婦人は複雑そうな顔をした。

「ええ。息子の嫁です。ここだけの話、彼女には気をつけて」

「・・・はい?」

「・・・彼女は、エミリアを毛嫌いしている」

 婦人は眉をひそめた。桜は目を見開いた。

「え」

「一応、母親役ではあるけれど、あれは人の出自を気にするたちでね」

「出自?エミリアのですか」

「・・・」

 婦人は言うか迷っているのか、首を傾げた。しばらくして、口を開いた。

「・・・エミリアは、孤児と言いましたわね」

「はい」

「彼女は、私の夫によって、遠くの孤児院から引き取られたのですよ。その孤児院が倒産してね」

 婦人は気の毒そうに言った。

「その遠くの孤児院というのが、あまりよくない噂の場所でしてね」

「噂、ですか」

「ガルバナムの里というのだけど、知っているかしら」

「・・・」

 知りません、と答えようとして、何かが桜の脳裏に浮かび上がった。

 桜は目を見開いた。夢で見た場所だ。やはり、あの夢は、本当にこの世界にいた人物の夢なのか。

 桜は確かめるように口に出した。

「・・・ガルバナム」

「そう。呪われた里だとか言われているわ」

 シャーロット婦人はばかばかしそうに言った。

「それをローズさんは信じているようね。そして、そこから来たエミリアを嫌っている。隙あらば、追い出そうとまでしているわ」

「・・・」

 そうか、と桜は思い当たった。ローズの態度が自分に対して攻撃的であったり、しつこく勘ぐるものであるのはそういうことか。養育係を追い出し、エミリアに荷担する者を減らすため。何て、独善的。

「とにかくローズさんに関しては注意しておいてください。それがエミリアの養育係としては必要なことだから」

「はい」

「それじゃ、一応注意しましたからね」

 シャーロットは首を傾げて微笑んだ。

「何か質問はありますか?関係ないことでもいいですよ。滅多に話す機会はありませんから」

「特には」

 と言ってから、ふと思いつく。

「あの、やっぱり質問いいですか」

「どうぞ」

「・・・西条敦という人を知りませんか」

「・・・知りませんが、どなた?」

 彼女は微笑んだ。

「いえ、僕もよくは知らないんですが、ガルバナムで医者をやっていたそうなんです」

「・・・医者?」

 シャーロットの瞳は少し揺れ動いた。

「・・・なるほど。ですが、エミリアの親族にも、ラベンダー家の続柄にもそのような方はいらっしゃらないわ。私に聞くのは、筋が違うように思います」

「そうですか」

 失礼しました、と言ってドアを閉じた。

 西条敦という名前を出したとき、婦人には特に反応がないように見えた。しかし、反応を出すまいとしていたようにも見えた。

 彼女は、もしかすると、彼を知っているのではないか、と思った。つまり、自分が夢の中で、あの「西条敦」とかいう医者の人生を追体験したのは、この転生と無関係ではないのかもしれない。

「桜」

 ヒクイドリは言った。

「夢のことは気にしないほうがいいんじゃない」

「分かっています。聖体を見つけることが先決です」

 桜はうなずいた。

「でも、自分の中に踏み込まれたみたいで、朝からいらいらしているんです」

 ヒクイドリはため息をついた。

「・・・あなたは、そうかもしれないわね」

「どういうことですか」

「いいえ」

 ヒクイドリは桜を急かすように言った。

「それより、急ぎなさい。今日中に倉庫の捜索は終わらせないと」

 彼女の言うとおりだ。早く、作業を終わらせよう。この家のどこかに聖体はあるのだから。桜は決意を込めてうなずいた。

「・・・わかりました」

 桜はうなずいた。

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