第2話 愛は世界を破壊する



「ーじゃあ、それはそこに」

 アリアはイスに座ったまま、指示した。陣聖は、納戸から取り出した布団を、寝室に並べた。

「どんどん持ってきて!」

「はいはい」

「ジン!」

「何だよ!」

「そこ、布団折れてる!直して!」 

「はいはい」

 陣聖は肩をすくめた。

「何でこんなことに」

「仕方ないでしょ」

 アリアは目を細めて言った。

「ベッド部屋が雨漏りしたんだから」

「・・・これだからあばら屋は」

「うるさい、ぐちぐち言うな!」

 アリアは怒鳴った。

「そんなに元気なら、雨漏りの修理してきなさい!」

 陣聖は肩を竦めた。

「今から行くの?」

「急いで!」

 陣聖はため息をついた。人使いの荒い女だ。

 陣聖は孤児院の外に出て、裏側へ回り込み、梯子を登った。ベッド部屋の天井に石ころふたつ分くらいの穴が開いているのを見て、はあ、とため息をつく。穴に木材のかすを詰め、石水でふたをし、ブルーシートでそこを覆い、雨を防ぐ。重石をシートの端において固定する。

「・・・これでよし」

 

 陣聖が、孤児院の看護師になってから、1年がたった。アリアとは、最初の数ヶ月は険悪だったけど、今では何とかうまくやれている。向こうはこちらの仕事ぶりを認めてくれているようだし、陣聖もアリアのことをそれなりに想ってもいた。

「ジンくーん!」

「おーい」

 梯子を降りている途中、窓から顔を出した女の子二人に声をかけられた。

「エミリア!フレイア!」

 陣聖はその子たちの名前を呼んだ。

「危ないぞ!特にフレイア、おっちょこちょいだから」

 女の子は舌を出した。

「平気よ!それより、アリア先生が呼んでたよ!ご飯できたってさ!」

「あつあつやなあ!ええのう!ぐふふ」

「・・・気持ち悪いな。そんなんじゃないって」

 陣聖は眉をひそめた。

「寒いから早く部屋に戻れ!」 

「はあい」


 食堂に戻ると、アリアが食卓机で待っていた。

「ジン、雨漏りちゃんと直してくれた?」

「ああ。直したよ」

「そう」

 陣聖は手を洗って席についた。

「子供たちは?」

「先に食べさせたわ」

「そうか」

 陣聖は、アリアをまじまじと見た。1年前、痩せすぎて骨と皮だけだった彼女は、血色もよくなり、いくぶん健康的な体つきになっていた。

「・・・何」

 アリアは顔をしかめた。

「いや?太ったなと思って」

 陣聖は言ってから、はっと口を塞いだ。アリアは眉を潜めた。

「は?」

「いや、もちろんいい意味で」

「いい意味もくそもあるか!」

 アリアは陣聖の頬を思いっきり張った。陣聖は頬を抑えた。

「いや、本当に。会ったときはがりがりだったから」

「そうね。あんたも、会ったばかりのときはただの盗人だったのに」

 アリアは顔をしかめた。

「ていうか、何でそいつが私と一緒に飯食ってるの」

 その件は、今でも頭があがらない思いだった。

「・・・あのときは、すいませんでした」 

「・・・もう、いいけどね」

 アリアはそっぽを向いた。

「早く食べよう。冷めちゃうから」

「うん、いただきます」

 陣聖は手を合わせて、思わず微笑んだ。

 陣聖は、その日々に満たされていた。異世界に転生し、途方に暮れたときもあった。けれど、現実世界での苦しみを忘れて、今こうしてアリアや子供たちと一緒に暮らしていることだけが、心の支えだった。


 仮の寝室となった体育広場で、陣聖も自分の布団をしいた。

「ジンせんせ~」

 せっかく敷いた布団の上に、となりから2歳の体の小さな男の子が転がってきた。男の子はにやっと微笑んだ。

「ジャシャ!邪魔するな」

 ジャシャは微笑んだ。

「じゃまする~ごろごろお~」

「・・・たく、しょうがないな」

 陣聖は肩を竦めた。

「ジンくん!」

 布団の間をぬって、エミリアがやってきた。

「アリア先生は?」

「え?分かんないな」

 陣聖は辺りを見回した。

「トイレじゃない?」

「そっか。・・・・・・ねえ、どうして、先生と一緒に寝ないの?」 

 エミリアは首を傾げた。陣聖は眉を潜めた。

「は?」

「だって、フレイアお姉ちゃんが、二人は恋人だって。だから、一緒に寝るもんなんだって」

「フレイアの言うことは真に受けるな」

 陣聖は忠告した。

「あいつは、知っての通りばかだ」

「は!そうだった」

 エミリアは飛び上がった。陣聖はあははは、と笑った。

「ー先生!」

「先生!どうしたの!」

 そのときだった。何人かの子供たちの騒ぐ声がした。

「先生!」

「アリア先生!」

「しっかりして!」

 体育広場の外の階段の方からだった。陣聖は慌ててそちらに向かった。

「どうした?」

「先生が」

 陣聖は、階段下で倒れ、呻いているアリアを見つけた。

「アリア・・・」

 目を見開いた。

「・・・みんな!」

 陣聖は周りの子供たちに言った。

「アリアのとこについててくれ」

「ジン先生は?」

「博士のところに行ってくる!」

 陣聖はそう言って雨の中、孤児院を飛び出した。

ー成人したころを境に症状が出始める。

 陣聖は嫌な考えを振り払うために、速度を早めた。北の山に向かってひたすら走り続け、診療所が見えたところでさらに加速をつける。

 診療所の前につくと、息を整えることもせず、扉をがんがん叩いた。

「風下博士!博士!」

 いくら叩いても、返事は帰ってこない。扉を押すと、どうやら鍵がかかってないようだった。

「すいません、入りますよ!博士!」

 中に入り、診察室の扉を開いた。

 そこはもぬけの殻だった。誰もいる気配がない。

「ーなんで?」

 陣聖は下唇をかみしめた。彼とは一昨日会ったばかりだった。家を空けるとは聞いていない。

 なぜ?こんなときに!

 机の下に、何か取り払われたあとがあった。確か、そこには、生化学分析装置があったはず。

 奥に目をやると、脳波計も心音計もすべて無くなっていた。

 何が起こってる?博士はどこに行ったんだ?

「・・・くそ!」

 やけくそになって右手を机に打ち付けた。

 そのとき、机の裏から、ほこりと一緒に何かがかたりと落ちた。それを拾い上げて、息を吹きかける。それは、SDカードだった。

「・・・SDカード?何でこんなとこに・・・」

 とりあえずそれはポケットにしまった。

 なすすべもなく、彼は孤児院に引き返した。

 なぜ、風下博士がいなくなっているのか。そして、ついにアリアに例の病気が発現したのか。陣聖の長く保たれてきた異世界での平穏が、崩れ落ちようとしていた。

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