第6章 闇事変その③ 第1話 風下博士
「どうぞ、入って入って」
「どうも。お邪魔します」
陣聖は、老人に勧められるがまま、病院の中に入っていった。奥に茶の間があり、右に一つ診察用の部屋、2階には、病床へ続く階段があると老人は説明した。
「上で寝ている人いるけど、静かにしないでいいですよ」
「病気の方ですか」
陣聖は聞いてから、野暮な質問だった、と思った。病床で寝ている人が健常なわけがない。だが、老人は気にせず答えた。
「はい。さっき話したこの里の風土病、彼らはいずれもそれに罹患した方たちです」
「・・・」
「まあ、立ち話も何ですから、診察室へどうぞ」
老人は診察室の扉を開け、中に陣聖を通した。「・・・え?」
陣聖は、中の様子を見て、唖然とした。
白い作業用の机の上には、古い型だけどパソコンがあった。また、部屋の隅には、ほこりが被った脳波計、心音計がある。また、机の下には旧型の生化学分析装置らしきものがある。
陣聖は老人を訝しげな目で見た。
「あんた、一体」
老人は微笑んだ。
「まあ、そこへ座りなさい」
「・・・」
陣聖は丸イスに座った。老人は陣聖の怪我の部位に手を当てた。その部位がぽわーっと青白く光り出した。
「私の正体が気になりますか?」
老人は治療をしながら聞いた。
「分かりますよ。あなたは、異世界から来たんですね」
陣聖は診察室を見回した。
「俺もですから」
「知っています。・・・君の持っていた武器を見て分かりました」
老人は苦笑いした。
「その武器はこの世界にはないものだ」
「・・・」
陣聖は目を反らした。
やがて、老人は聞いた。
「—今は西暦何年ですか」
「・・・2014年くらい」
「つまり、今は2010年代のメシアロードなんですね」
「メシアロード?何ですかそれ」
「・・・実は私も詳しくは知りません」
老人は笑って言った。
「ただ、世界を救うための活動だということは知っています。選ばれた人たちが異世界を旅し、与えられた指令を行う」
「・・・あなたはそれの参加者じゃないんですか」
「ええ。私は1990年代として参加しましたが、指令を無視してこの世界に残留することを決めたんですよ」
老人は目に決意を秘めて言った。
「この里を救うために」
「・・・すごいですね」
「すごくはありません。無理でしたから」
老人は目を細めた。
「かつての私は、気負っていた。自分にも救えるものがあると。現実でできなかったことも異世界でならと」
「・・・」
「だが、地獄は続いている。原因も分からない病気に苦しむ人々をただ見ているだけだ。現実世界の薬や器具も彼らには使えない。からだの作りが、科学を寄せ付けないんです。だから、私は無力でした」
「・・・今は、何を?」
「孤児院の看護師と医師をしながら、治癒魔法研究をしています」
老人は微笑んだ。
「アリアをご存知ですか」
「・・・ああ、はい」
つい昨日、会ったばかりだった。
ーふざけないで!
「・・・正義の固まりみたいな人ですね」
陣聖は鼻をならして言った。しかし、老人はそれを否定した。
「違う。彼女は責任感の固まりだ」
「責任感?」
「彼女は一人で、孤児院の子供たちを見ています。残された孤児たちを、死なせるわけにはいかないと」
「・・・」
老人は彼をすがるような目でみた。
「どうでしょう。・・・孤児院の看護師を担っていただけませんか」
陣聖は目をしばたたいた。
「え?」
「どうです?アリアを支えてやってくれませんか」
老人は、自分は病床の患者を見るのも手一杯だと言った。
「・・・」
ー出て行って!
陣聖は断ろうと思ったが、老人が頭をしきりに下げるものだから、仕方なくうなずいた。
「分かりました。あの人には断られると思いますけど」
「ありがとう」
彼は頭を下げた。
「いえ」
陣聖は首を振った。
「彼女には、恩を返さないといけないので」
陣聖は、治療のお礼を彼に言った。
そして診療所をあとにしようとしたとき、老人は、陣聖を引き留めて言った。
「あ、すいません。お名前を聞いてもいいですか」
「ああ。名乗ってなかったですね」
陣聖は肩を竦めた。
「普段陣聖。あなたは?」
「現実世界での名前は、もうなくしました」
彼は自分のことを、風下博士と名乗った。
「風下?」
「はい。そう、孤児院の人によばれています」
「なるほど、博士ですか」
陣聖は微笑んだ。
「では、博士。また」
「ああ、普段くんも、また」
陣聖は診療所をあとにした。
そのあと、何度か孤児院に参り、アリアに会いに行った。何度も断られ、足蹴にされたが、博士の紹介で、何とか孤児院での勤務を認められたのだった。
アリアは、盗人である陣聖のことを最初のうちは、胡散臭く思っていただろう。
だが、陣聖の献身的な手伝いによって、彼女の負担が楽になっていき、彼女は徐徐に陣聖に対する警戒心を解いていった。
そして、月日は流れた。
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