第4話 リセマラではない
しかし私はそのあとも、彼女のことを忘れてしまうことはできなかった。ときどき思い返した。何もできず、逃げ出してしまった悪い思い出として。
私は帝国大学に合格した。理学部生物学科。医学部には、共通試験の点が届かなかった。
大学では、高校までと違い、親しい友人がなかなかできなかった。入って、2ヶ月でやめた文芸サークル。自分の経験を切り売りして芸術に落すことなんて、不謹慎だという安い理由をつけて、早々に退部した。
やることのなかった私は、3年の研究室配属のために、システム生物学の勉強をし始めた。数理は苦手だったが、生物の棲み分け現象に興味が出てきたのだ。50年前につくられたロトカ・ヴォルテラの競争モデルというのがある。それを講義中見て、私はなぜかとても感銘を受けたからだった。
棲み分けは、生活様式の等しい異種の生物が、生活する空間と時間を分与しあうことで競争を回避する現象である。棲み分けとは、戦争の対義語であった。ロトカ・ヴォルテラのモデルでは、生態系に関して4つの未来が予測される。A、Bどちらかが生き残り、どちらかが絶滅するという2つの未来、どちらも生き残り共存する未来、どちらが生き残るか分からない重ね合わせの状態の未来。棲み分けを数理的に解釈するとき、ロトカ・ヴォルテラの方程式を使うのだ。
私は、生物学の中にある平和を追い求めるようになって、学問に没頭し、過去から逃避した。
そして、2回生の8月ごろだった。
私が、2年ほど前に過去に置き去りにしていた問題と、ふたたび向き合うことになった。
決定的だったのは、私は米国が核実験をしているというニュースをたまたま聞いたことだった。 彼らはまた戦争の準備をしているのだろう。正義の爆弾、正義の実験。自分たちを守るための正当な力。
実は、彼の国では、長い連続的な期間、ネバダという米国の砂漠のようなところで地下核実験を行っていたらしい。1961年締結の部分的核実験禁止条約により、実験は地下に収まっているが、放射線の混ざった残土は何かの拍子に盛り上がり、その地表の生態系に影響を与えるかもしれない。
大学寮の自室で、私はそのニュースをラジオで聞いていた。
「・・・・・・?」
そのときだった。
妙な連想が浮かんだ。
1年以上前のことなのに、私の脳裏に強迫的に浮かび上がったのだ。
ー西側?
私は、目を見開いた。よせと思った。考えまいと思った。だのに、よせと思うのに、考えが、一向に止まらない。いや。
私は、今までの間、ずっとこのことが引っかかっていたのではなかったか。私の頭には、あの島の緑の深い森のイメージがあった。何かを隠せそうな、人工の森。
彼女は言った。
ーあっこには戦闘機が隠されとるて。
戦闘機?まさか。
ー島の外から来た人が言うてた。
島の外から来たやつってのは、誰だ?
私は、どんどん妄想を広げた。
ーあっこには行ったらいけん。
なぜ?
ー水の細菌が原因だと思うんだけど。
もし、そうでないとすれば。
ー棲み分けとは、戦争の対義語かもしれない。
私は、強く両手を握った。鉛筆の先がぽきっと折れた。
ー彼女は、今戦争をしている。
「・・・・・・」
私は、考えの先にたどりついた。
島の西側には、何があるんだ?私は、寒気が止まらなかった。
私は、もう一度、犬濡島に行かねばならなくなった。私は、架空の戦闘機を壊しに行かなくてはならない、と思った。
彼女は、まだ、今なら私の裏切りを許してくれるだろうか。
犬濡島の西側には、島民の癌の影響となるものがいつからか埋まっているのかもしれない。私はそう仮説を立てた。第一に私が連想したのは、放射線物質だ。では、その放射線物質は何なのか。
考えやすいのは、原子力発電で発生した廃棄物だった。1963年、東海村で、日本最初の原子力発電が行われた。それ以来、ウランの残り滓をどこに捨てるかということが問題になっている。人の少ない村などの地面にドラム缶やステンレス製の容器などに固化して廃棄するらしい。不正をした原発事業者が、犬濡島にそれを埋めたことがあり、その事業者、それに準ずる関係者が、菫の言った「島の外から来た人間」だとすると、一応つじつまがあった。しかし、ただつじつまが合っただけで、これでは、何の証拠もない。私は自説を固めるべく、一ヶ月大学を休学し犬濡島に、行くことにした。
前回と同じルートで、私は犬濡れ島までの紀行を企画した。移動の間の様子は、前来たときとあまり変わらなかった。しかし、一つ大きくちがったのは、犬濡島へと向かう船の中で、自分以外の船客に出会ったことだった。しかも、彼は、私と同じ帝国大学の先輩であったことだった。前述した、栗栖啓介先輩である。
「よお」
彼は誰にでもフレンドリーな性格を自称する男で、私にも親しげに話しかけてきた。最初は、なんて胡散臭い男だろう、と思った。彼は、法学部の行政学の研究室にいるらしく、1ヶ月間、離島の役場に張り込んで、疑似視察のようなことをするらしい。彼曰く、フィールドワークだそうだ。
ただ、彼のほうこそ、私を胡散臭く思っていたらしい。犬濡島に来る大学生なんて、自分くらいだと、私とそっくりそのまま同じことを思っていたようだ。私は、事情をそのまま説明してもよかった。
「僕は、島の知り合いに会いに来たんだ。あ、そういえば島の西には、近づかないほうがいいらしいよ」
という風なことを言って、とりあえず、私は彼をはぐらかすことにした。だけど、彼はとても勘ぐりのがうまい男だった。
結局、私も口の軽い男で、すべてを彼に引き出されてしまった。
「へえ」
彼は、その島をおそれることもなく、興味深そうに聞いていた。
「もしそうなら、裁判だな」
「裁判?」
私は、虚をつかれる思いだった。彼は人差し指を立て、私に教授した。
「つまり、それは産業廃棄物の不法投棄だ。それだけで問題になる。そして、健康被害もでている。二つを結びつける何か、つまり廃棄物が放射性物質だと裏をとれたら、おまえは、裁判を起こして大金をあの村のためにむしりとれるわけだ。一躍、正義の味方だな」
大金。私はどきりとした。むろん、お金に目が眩んだわけではなく、金を必要としている人を知っていたからだった。
「ですけど、僕、裁判なんて考えてなかったです」
「は?」
彼は顔をしかめた。
「てめえ、まさか興味本位で乗り込む気じゃないよな。おまえの予想が当たってたら、ただことじゃねえんだぞ」
「違います」
私は首を振った。菫の病気のことは隠しておきたかったので、否定するのにとどめた。
「決して、興味本位じゃない。それだけは言えます」
「そうか」
彼は納得したようだった。
「裁判、起こすつもりなら、俺に頼れ。俺が手続き済ませてやる」
「え?でも、弁護士の人がやるんじゃ」
「おまえ、金あるのか?法律の専門家雇う金なんて」
「あ」
「後払いでもいいけど、裁判に負けたら借金だぞ」
「・・・・・・」
私はひるんだ。そんな私につけ込むように、彼はにやりと笑った。
「本人訴訟てのがある。俺たちでも裁判に出て、勝てる方法があるんだよ」
私は、原子物理学科の研究室から、ガイガー・ミュラー計数管を借りて持ってきていた。計数管の中をパルス電流が流れる回数を計測することで、電離放射線の線量を測定することができる機械だ。線量は、エネルギーとは違い、放射線の強度を示すものではないが、健康影響を示す数値としては使えるという話だ。
私は、まず石岡郷の、北里山のふもと近くの空き屋を格安で借り、そこを起点に動き回れるようにした。
私が当面、島で行うことは二つだった。まず、島民の健康状態の確認。症状が出ている人と、すでに病名が確定された人、そして、現在本州の病院で治療を受けている人についてデータを記録した。あの老人医師の言った通り、島の人たちの約30パーセントの人が、がん、もしくはそれに準ずる疾患、また疾患の予兆を見せている。疑わしい点は、それが高年齢ほど多いというわけではなく、年齢層によらず、きれいに分散しているということだった。そして、役場にあった、がん患者数の推移のデータを得た。それには、1945年、ちょうど戦後からのデータがあり、それをみる限り、私の予想はほぼ決定的だった。
ただ、説明のつけにくい事象が見られた。石岡郷と東の伊都坂郷の病気の人数の差が大きく見られたことだった。しかし、そのことを攻められても、病気の割合が多いことには代わりないので、証拠として十分だった。
二つ目に行ったことは、森の探検だった。計数管は、使い慣れるのに、時間がかかった。調査を依頼することも考えていたが、生憎そんな金を支払う当てもないので、森の広さを計り、中心から辺縁にかけて、同心円上に歩き回って、半径変化10メートルごとにシーベルトを測定した。測量は、約半月かかった。森を半径200メートルの円とすると、ある地点を中心とした別の円の半径増加に伴う放射線量の増加が見られた。
そして、私は防護服を着て、その地点を掘り返すという作業に明け暮れた。役場の古株と思われる役員に聞くと、15年前にやってきた男たちは、ショベルカーを使用していたことが分かった。おそらく、相当深いところに埋めたらしく、手作業でどうにかなるものではなかった。
作業をとりあえず、終了した。私は、診療所から、彼女が東京の大学病院に移ったらしいということを聞いて、心から安心した。
一月が経った。私は、大学に戻っていた。約束通り、彼を呼び出した。栗栖啓介先輩は、私による召集を心待ちにしていたらしかった。
彼は、犬濡島の役場で、いろいろと詮索してくれたらしく、15年前島に訪れた人たちは、ハガネ原発という会社の社員ではないかと推測を立てていた。ハガネ原発は、当初犬濡島に原子力発電所を建てる計画を勧めていたのだ。私たちは、それをもとにまず、刑事事件として、警察に調査を依頼した。しかし、まず、彼らに令状が届かなかった。彼らは巧妙だったかもしれない。また、15年もたっていて、無期懲役の刑罰を課す判決ですら公訴時効となるので、そもそも刑事事件として成立しない可能性が高いのだ、と言われた。とにかく、我々の最初の刃は彼らに届かなかった。
そこで、我々はとりあえず、あの島の、あの地点をショベルカーを使って掘り起こす計画を建てた。地下20メートルくらいのところから、ステンレス製と思われる頑丈そうな筒がたくさん発見され、それを武器にして、民事裁判を決行することにした。
我々は、土地の管理人である石岡郷の郷長を、なんとか口説いて、裁判の手続きをしてもらった。調査の結果と、証拠写真、土地の証明書などをまとめ、電報で筆達者な啓介先輩の指示を仰ぎながら、答弁書を書きあげた。
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