プロローグ おかしな女と空飛ぶ部屋
もう、死んだと思った。
膜が破れて、中のものをぶちまけるように。そして、膜の内側と外側の区別がなくなり、自分は大きな外界に飲み込まれていく。その覚悟は決めていた。
だけど、目を開くと、そこは見慣れた膜の中でで、自分はまだ息をしていた。
ここは、自分の部屋だった。櫛はあたりを見回した。自分はベッドで寝ていた。横には桜が寝ていた。その寝顔は安らかで、穏やかだった。かわいい寝顔だった。
「じろじろ他人の寝顔見てんじゃないわよ、気持ち悪い子ね」
びくり、とした。声のした方を向くと、知らない女が立っていた。赤い髪をした美しい少女だ。黒い修道服みたいなものを身につけていて、顔立ちは明らかに異国の風貌で、日本語をしゃべったことに違和感を感じてしまうほどだった。
「誰よあんた」
櫛は思わずそう尋ねた。素性も知れぬその女は髪を左手で呑気に梳いている。
「・・・・・・粗暴な子だね」
彼女は深くため息をついた。
「せっかく助けてあげたのに」
「え?」
「さっきよ。頭打って、記憶なくした?あんた一回死んでるんだよ」
言われてから、櫛の脳裏に、次第に蘇った。暗闇に落ちていくときの体の軽さ、地面に叩きつけられたときの衝撃。思い出しても、未だに信じられなかった。
「死んでる?あたしが?」
「そうよ。あんた、地上20メートルの高さから落下して、死なない自信あんの?」
彼女は言った。
「今は、仮死状態ね。生き返ったというより幽霊、みたいな感じよ」
「幽霊?あたしも、桜も?」
次々と衝撃的な事実を告げられ、またパニックになりそうになりながら、櫛は聞いた。
「でも、この部屋は」
「この部屋は、あんたの部屋に見えるかもしれないけど、ただの空間なの。デザインは無意味だから」
女はさらりと言った。
「カーテンを開けてみて」
櫛は言われた通り、ピンク色の花柄のカーテンを開けた。外には、八王子の街はなかった。あるのは、見たことのない色をした空と、それとほぼ同じ色をした地面のみ。あたりに、白っぽいものやガラスの破片みたいなものが舞っている。そして、はるか遠く、白い太陽のようなものだけがあたりを照らす光のようだった。
「何、これ・・・」
「この空間は、マージンルームと呼ばれているわ」
女は言った。
「この部屋はあなたたちの世界の外側を満たす液体の中に浸かっている。現在異世界に向かって移動中よ」
櫛はカーテンを閉めて、女に尋ねた。
「イミ分かんない。あたしたち、これからどうなるの?」
「それは、大事な話ね」
女は桜を指さした。
「そこの呑気に寝てる男の子を揺り起こしてあげて。その子がいなきゃ始まんないんだから」
櫛は、言われた通り、桜を揺り起こした。
数度からだを揺らすと、桜は眠そうにうなった。
「ねえ、桜起きてよ。眠ってる場合じゃないんだから」
「うう」
桜は頭を押さえながら、起きあがった。そして、女を見て、硬直する。
「え」
首を傾げ、尋ねた。
「え、誰?ですか」
「同じ反応するな」
女はそう言うが、無理もない、と櫛は思った。
女は、はあ、とため息をついて、
「じゃあ、二人とも起きたから、説明するけど」
と言って説明を始めた。
二人は、まず20メートルの高さから落下して、命を落としたこと。ここにいる二人は幽霊のような存在であるということ。
「ここまでは、さっき女の子のほうに話したけど。ご理解いただけた?」
櫛は戸惑いつつもうなずいた。桜は唖然としていた。
「え、僕今幽霊なんですか」
「そうよ。そんな感じの存在」
女は面倒くさそうに言った。
「普段桜。あたしがあなたを救ったのにはあなたには果たすべき役目があるから。まだ死んではいけないの」
「はあ」
「私は、妖精ヒクイドリ」
彼女はそう名乗った。
「あなたたちは選ばれた。2020年代メサイアロードの参加者に」
「何ですか、それ」
「あなたたちには、すべての世界を救うために仕事をこなしてもらわないといけない」
ヒクイドリはそう言い放った。
「は?」
「あなたたちも見た通り、渋谷に巨大なロボットと、ドラゴンが現れた」
ヒクイドリは人差し指を立てた。
「あれらは私たちの敵があなたたちの世界に召還した、異世界の怪物たち。ドラゴンは魔法の世界から、ロボットは、機械世界からね」
「ちょっと待って」
櫛は手を上げた。ヒクイドリは顔をしかめる。
「異世界とか、訳が分からないわ」
「この世界の外側には、数多くの異世界がある。それは認めてちょうだい。ドラゴンと巨大ロボットの存在を認めたあなたたちなら、容易いでしょ」
ヒクイドリはぶっきらぼうにいった。
「あなたたちはそこに出向いて仕事をしてもらう」
「異世界転生しろってことですか」
「有体に言えばね」
桜は、信じられなかった。
「敵も動いている。急がないといけないわ」
「敵って・・・誰なんですか」
櫛の声には呆れと動揺が入り交じっていた。
「カラスと呼ばれている悪霊。その目的ははっきりしないけれど、異世界を破壊しようとする危険因子よ」
ヒクイドリは憎らしげに言った。
カラス。きっと、あのよく電柱で鳴いている害鳥のことではないのだろう。
「そのカラスが、東京を破壊したんですか」
「ええ」
早速で悪いけど、と彼女は言った。
「時間がないの。明日の朝、最初の世界に入港します。最初の世界は魔法の世界。魔法を使って人々が生活する世界。仕事は現地で伝えるから、今は休んでいなさい」
「は?魔法?もう、ついていけない」
櫛は困惑した顔で頭を押さえている。さっきの今で頭がついて行かないようだった。
「・・・桜」
ヒクイドリはなぜか、自分の名前を呼んだ。桜は眉を潜めた。
「あなたは理解できたわね」
「・・・」
理解した、とは思わない。
だが、巨大ロボットも、ドラゴンも、実際にこの目で見た。燃えさかる街も、壊れていく世界も。あれが外から来たものでなければ何なのだ、とも思う。
ヒクイドリはうなずいた。
「それじゃ、私はいったん外に行くから。二人で、どうするか話し合って。・・・何もしなければ、あなたたちは消えるだけだということは分かっていてね」
ヒクイドリは身を翻した。
「じゃあ、しばらくゆっくりしてて」
彼女は、一瞬のうちに姿を消した。
部屋に残った二人の間に、しばらく沈黙の間が流れた。
「・・・ねえ。今の話」
「信じるしかないよ」
桜は頭を押さえて言った。
「訳が分からないけれど、僕たちは一度死んでいて、彼女に助けられた。彼女の言うとおり、世界を救うために働かないともう一度死んじゃう」
櫛は顔色を悪くした。
「そんな。あたしたち、何させられるの?」
「どんな仕事かは分からない。危険な仕事かもしれない」
「やる気なの?」
「それしかないんだ。彼女の言うとおりにしよう」
「・・・わけ分かんない」
桜は櫛のことを気遣った。仕方ない。
「櫛は、残ってていいよ」
「え?」
「・・・君に大変な仕事はさせられないし。どちらか一人でも十分だよ」
「そんな男らしいこと今言わなくても」
「・・・とにかく、僕だけで行けばいい」
櫛は首を振った。
「いいから」
桜は微笑んだ。
「・・・」
櫛は不安そうだったが、何も言わなかった。
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