老どら猫とタンポポの風船

アほリ

老どら猫とタンポポの風船

 俺はどら猫のニャホだ。

 俺は、長く生きすぎた。

 ずっとヤンチャをしてきたら、いつの間にこんなに老いてしまった・・・

 仲間は次々と虹の橋を渡り、俺は若い猫に追いたてられ・・・

 今俺は、天に召される格好の場所を探して、街から街へと流浪している。


 俺は、街の片隅で堕ちてた風船を拾った。


 俺は風船が大好きだ。

 風船を見ると俺はとてもウキウキした。

 とてもワクワクした。


 でも、この表面が街のゴミや煤で数汚れた黄色い風船を見掛けたとたん、とても哀れな気分になった。


 でもこうやって誰にも割られずに、ただひっそりと置いてあっただけこの風船は幸せだろう。


 ヘリウムガスの入ってない、ただ棒で固定されているゴム風船。


 風船の表面の煤を、爪を立てずに肉球でスッと祓うと、猫の絵が描かれていた。


 その風船に描かれてた絵は何処と無く、見たことのある風貌の猫だ。



 ・・・ブチャ・・・



 俺の孤独の流浪の日々を支えていたのは、俺がまだ若い頃にあの伝説のどら猫・・・


 その名を『ブチャ』と呼んだ、茶トラのどら猫の中のどら猫と呼ぶべき、厳つい風貌のどら猫だった。




 ・・・・・・


 ・・・・・・




 あれは、雲が早く流れる位に風がとても強い春先・・・


 タンポポが生い茂る遊園地の中の草原で、そのどら猫ブチャは、他の猫とは違う独特のオーラを纏っていた。


 「おめえ・・・人間にいじめられたんだろ。」


 「えっ?何で解るんだ?おじさん。」


 「『おじさん』じゃないわい。俺は『ブチャ』だ。」


 ブチャ・・・思い出した。


 このどら猫は、正真正銘のあのブチャだ。


 かつて命の危険を伴う位の飢えを患ったブチャは、つい人間の少年の飼っていた金魚に手を出してしまった。


 俺は・・・何てことをしたんだろう・・・!!と、自責の念に苛まれ猛反省したブチャは、何度も謝れども少年は金魚をこのブチャに食われた事への怒りの復讐に燃え、次々とブチャを攻撃してきた。


 それでも、何度も少年の家に赴き何度も何度も何度も何度も・・・


 それでも、それでも、少年は更にこの憎きブチャの命まで狙おうとも何度もでも何度もでも・・・


 それでもそれでもそれでも・・・


 そして・・・


 忽然とこの少年の元から消え、全てを捨てて流浪の旅に出たという・・・


 その伝説のどら猫のブチャが、俺の目の前に現れて俺は・・・


 「あの・・・」


 「なんだい?」


 「俺・・・」


 「言われなくても解るさ・・・この悔しさを・・・

 俺も、あの時馬鹿な事をしたと悔やんでるぜ。でも、やってしまった事はやってしまった事さ。

 あの坊やも・・・可愛がってた金魚を俺みたいなしがないどら猫に殺められて・・・」


 その時、どら猫のブチャの目からうっすらと涙が溢れたのを見たのは。


 「俺は聞いてるぜ・・・お前さんもそうだろ?もう一度聞く。人間にいじめられたんだろ?」


 「・・・うん。」


 「で、他の猫まで人間にいじめられて・・・命まで落としたって聞いたが?」


 「・・・・・・」


 「隠し事は無いぜ。俺はあの街を出ていってから・・・行く先々で拝んだんだ。猫の無惨な亡骸を・・・」


 「・・・まあ。」


 「そっか・・・本当に俺ら『外猫』には生きづらい世の中だわな・・・

 人間達が、俺達を嫌悪して容易にいたぶって殺めに来る・・・

 嗚呼・・・死にゆく猫達よ・・・!!」



 どら猫のブチャがそこまで言うと、



 ぶわーーーーーーーーーっ!!



 強風に煽られて、一面のタンポポ畑から綿毛の付いたタンポポの種が一斉に飛び立った。



 「うわーーーーー・・・!!」


 俺は、空高く舞い上がる夥しい数の綿毛のタンポポの種にただただ見とれていた。



 「♪♪♪♪♪♪♪」



 どら猫のブチャは、涙を流して何か大声で歌を歌っていた。



 「♪♪♪♪♪♪♪」



 俺はそのどら猫のブチャのまるで俺もタンポポ綿毛の種と一緒に空に浮かんで飛んでいるような、美しい歌に大空の向こうへ飛んでいくタンポポの種を見送りながら、耳を傾けていた。


 「この歌って、何という歌?」


 ブチャが歌い終え、涙で顔を濡らして微笑んで俺に言い聞かせた。


 「この歌は・・・『タンポポの風船』という歌だ。

 空高く飛んでいくタンポポ綿毛を、飛んでいくヘリウム風船に例えて歌った歌だ。」


 どら猫のブチャは顔を空高く突き上げ、更に言い聞かせた。


 「今でも心無い人間どもに虐げられて、

あるいは要らない者として保健所に捨てられて処分され、

あるいは車に轢かれて、

あるいは・・・」


 どら猫のブチャは其処まで言うと、目から更に大粒の涙が流れて止まらなくなった。


 「・・・ごめんな・・・ちょっと感傷的になっちまった。」


 ブチャは涙を、流浪の末に磨り減った肉球で拭った。


 「このタンポポ綿毛の『風船』が、人間どもに厳にされて死んでいった猫達の命を託して・・・虹の橋を渡って・・・猫の天国へ・・・

 俺も・・・そう生きるのはそう長くはない・・・

 俺もまた・・・近々、こいつらと一緒に虹の橋へ渡る。

 いや、あの少年の大切な金魚を盗み食いしたから・・・地獄の三途の川かな・・・

 ふふふ・・・」


 老どら猫のブチャは寂しそうに苦笑いすると、俺の肩をポン!と叩いた。


 「人間なんかに負けるな、君・・・何という名前だっけ?」


 「『ニャホ』です。」


 「そうそうニャホよぉ。にゃはははは・・・」


 老どら猫のブチャはそのまま、遊園地の柵の隙間をすり抜けて何処へと去っていった。



 ・・・・・・


 ・・・・・・



 「確か・・・この近くだったよね・・・」


 猫の絵の風船の棒をくわえて、微かな記憶延々と歩いてやって来たのは、かつて遊園地のあった場所だ。 


 そう、俺が伝説のどら猫ブチャと出逢った場所だ。


 今では、マンションがところ狭しと立ち並んでいる。

 

 俺は、タンポポ畑を探した。


 俺の死に場所はここだ。ここに決めた。


 嗚呼・・・身体が重い・・・


 嗚呼・・・瞼が重い・・・


 嗚呼・・・呼んでいる・・・


 産まれて捨てられて


 人間に迫害されて死んでいった猫仲間達・・・


 車に轢かれて死んだ猫仲間・・・


 そして・・・


 

 びゅうううう・・・



 俺の口にくわえていた、風船の棒が突風に煽られてスルリと抜けて・・・



 飛んでいく・・・


 ヘリウムガスが入ってる訳でも無いのに・・・


 まるで・・・



 綿毛タンポポの種みたいに・・・



 「♪♪♪♪♪♪♪」


 

 あれ・・・?



 「♪♪♪♪♪♪♪」



 俺、何歌ってるんだろ・・・?



 あのどら猫ブチャが歌ってた・・・

 『タンポポの風船』・・・



 あ・・・



 俺も空高く飛んでいる・・・



 あれ・・・



 俺の身体が、緑地の1面に生い茂るタンポポの花の上に・・・



 きっと、この身体がタンポポの養分になってまた綿毛の種付けて、空高く分散していくんだな・・・



 俺と生きてきた猫生は決して無駄じゃ無かったな・・・



 本当に俺って長く生きすぎたな・・・



 あっ・・・俺の飛ばした風船だ。


 一緒に飛んでいこうぜ・・・虹の橋へ・・・




 ~fin~

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老どら猫とタンポポの風船 アほリ @ahori1970

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