2章-57話 試練の終わり

 触手が通り過ぎたその場にリュートの姿は無く、影は少し焦ったように周囲を見回す。

 

「あれ……まさか死んでないよな……また何百年も待つのは嫌だぞっ! おいっ! リュートっ!」


 音でない声を発して本心を吐露する影は水中を飛び回り、リュートを吹き飛ばしたであろう触手の元へと向かう。


 思念体の影にとって人と関わる事はさして重要ではない。元のベンジャミン本人も研究さえできればそれでいいという人だった。


 影もまた研究できればそれでよかったのだ。


 本人から分離されたとはいえ自己を持つ影、欲がある。自身の作り上げた成果を証明したいという欲求が……剣が完成してからの百年余りその欲求は募りに募っていた。


 自負はある。最高の剣を造ったと、神器にさえおとらないはずだと。


 試したい。


 自身の造った剣がとれほどの性能か見たい。


 だが自分は造り手であり担い手ではない。ようやく訪れた機会を逃すわけにはいかない。


 だから、どんな手段を使ってもリュートに剣を使わせたかった。


 殺してしまっては意味がないのだ。


 クラーケンの触手に対象を消し去るような破壊力は無く、間違いなく水中に居るはずなのに姿が見えない。


 不意に振動が起こる。


 微かなそれは徐々に強くなり水中に激しい流れを作っていく。


「な、なんだっ?!」


 思念の影に水流の影響はない。驚きながらもその発生源へと意識を向ける。


 渦の中心はクラーケンでは無く、少し離れた水底だった。


 そこには先程とは違う剣を二本握り頭上に伸ばしているリュート。


「ふふ、ふ、ふふふはははははっ!」


 影から笑いが零れる。笑わないではいられなかった。


 あの剣は影が創造した最高の作品。わざわざ水底に刺して景品としていた物をリュートが手にしてくれているのだ。


 彼の足元には先ほど迄握っていた剣が半ばで折れ落ちている。おそらくクラーケンに攻撃された際に折れたのだろう。


 リュートが仕方なしに手に取った剣は、影が望んでいた結果を見せてくれる。


 水流はさらに激しさを増し、水棲の魔物であるクラーケンの動きさえ封じていた。


 二本の剣。


 その一本は深い水底を思わせる濃く青い剣身。


 水の精霊の力を効率よく流用する為の武器。


 リュートはすでに風の精霊と契約をしている。本来複数元素の精霊と契約は出来ないのだが。


 影の造った剣はそれを可能にした。


「腹立たしい……」


 腑に落ちない表情で濡れた髪をかき上げたリュートは内心を言葉にする。


 立っている地面はすでに水の中ではない。彼を中心に水が避けているのだ。精霊と相性の良いリュートは剣を握った瞬間に精霊と契約した。


 今は周囲の水を思う通りに動かす事が出来る。


「それは我輩に対する賛辞かな?」


 本当に嬉しそうに影は答える。その声音の一つ一つにリュートは怒りが込み上げてきた。


「貴様の思惑に乗った自分に腹が立つ……」


「やはり誉め言葉だったな。しかし試練を越える前に景品を手にしてしまうとは卑怯な男だ」


「あんなところに置いておく方が悪い」


 触手に飛ばされた際、剣を折られ、武器を無くしたリュートの眼前に剣があったのだ。偶然と呼ぶには気持ちが悪い。


「全て我輩の思惑通りだよ」


「……ちっ」


 過程はどうあれ結果は影が望んだ状況。後はその力を存分に発揮してもらうだけ。


 そんな影の思いを知ってか知らずか、リュートは右手に握った藍色の剣に力を籠め、身動きの出来ないクラーケンへと飛び込んでいく。


 改めて水中に入ったリュートの剣は水圧をものともせずに次々と触手を切り裂き


「腹立たしいが……悪くはない……」


 影に聞こえぬよう小さな呟きを残し、クラーケンの胴体を両断したのだった。


 


   ◆    ◆    ◆




 脳天に打ち付けた拳は水蛇竜の脳を揺らす。


 身体の痛みは無い。殴りつけた拳もリュートのような速度で駆ける事の出来る足も、崩壊せずシンヤの思うままに動かす事が出来た。


 とはいえ相手は竜鱗を持つ竜種。いかに強化しようとその体に傷を付けるには至らない。


 地面に降り立ちシンヤが見上げると、竜は頭を振って意識を戻そうとしている。


「シンヤ……なのか?」


 驚くほどの動きを見せたシンヤに、しばし茫然としていたステラが声をかける。それもそのはず、洞窟にいたるまでの道中ではここまでの力を持っているとは思えなかったからだ。


「少し、力の使い方を思い出したんだ……でも、まだ足りない。ステラ、手伝ってくれ」


「何か策があるんだな」


 扉の前に陣取る水蛇竜を倒さなければ目的の鍵は手に入らない。だが竜鱗を切り裂ける武器は無く、頼みのクロエの魔法も効果が無かった。翼も水分で重くなってしまい、地に降りて竜の攻撃を避けるだけになっている。


 撤退も視野に入れて竜に相対していたステラはシンヤの眼に光を見た。


「ああ、時間を稼いでもう一度だけ……上手くいけば一撃だ」


「わかった、合わせる。好きに動け」


「うん」


 いかに身体能力が向上しても、シンヤには戦闘経験が圧倒的にたりない。一つの判断ミスが失敗の原因になるうかもしれないのだ。


 そこをステラにフォローしてもらう。


 だからシンヤは前に進み、水蛇竜の気を引くことだけを考えればいい。


 先ほどのダメージから回復した竜は、血走らせた眼で睨みつけてくる。ほどよくヘイトを稼げたようだと、シンヤは口元を引き上げながら飛び出す。


 竜の攻撃手段は今のところ三つ。


 口から発射されるレーザー。


 尻尾を振っての物理攻撃。


 そして空中に作られる水の弾。


 あとは周囲を覆う湿気が多少行動に支障をもたらすが、今のシンヤにはさほど気にはならない。


 一番危険なのはレーザーだが、溜めの時間が僅かにあるので避けるのは容易だ。尻尾の攻撃も当たらなければどうということもない。


 となれば周囲のどこから来るかわからない水弾に気を付ければいい。


 竜もそれを理解したのかこれでもかと水弾を生成して攻撃してきた。


「ちょっ! わっ! あぶなっ!」


 次々と打ち込まれる水の弾を躱しながらシンヤは竜の周囲を駆け巡る。


 時折その体に拳を叩きつけるが、怒らせるばかりでしかない。やはり武器が無いとシンヤにはどうしようもない。


 それはステラも同じことで短槍を鱗の隙間に通すが、致命傷には程遠い。


「――――ッ!」


 痺れを切らしたのか咆哮を上げる竜が行動パターンを変える。素早く体をくねらせると、走るシンヤの進行方向にその顎を開いたのだ。


 直接飲み込もうというのだろう。


「シンヤっ! 準備出来たっ!」


「このタイミングっ!?」


 眼前に竜の口内が広がる中、クロエの声が届く。その言葉に一瞬躊躇したシンヤを竜が飲み込もうと迫る。すぐさま動こうとするが間に合わない。


 寸前、短槍を正面に構え一直線に竜の顔面へと突撃してきたステラによって、僅かに軌道がそれ、シンヤは間一髪躱しきることができた。


「あ、ありがとう……」


「あぶなっかしい。準備が出来たならさっさと行ってこい」


 槍を構えたまま口を開くステラの言葉を聞き、シンヤはクロエへの元へと向かう。追いかけようと体をくねらす水蛇竜だったが、その鼻先を彼女が切りつけ牽制する。 


「シンヤ。後は発動するだけだけど、どうすればいいの?」


「じゃあ、しっかり掴まっててくれよ」


「ひゃっ!」


 疑問に答えずにクロエを抱きかかえる。突然の事に短く悲鳴を上げるが、彼女はシンヤの首に手を回し言われた通りにしがみついた。


 森の村で脱出する際にもクロエを背負ったまま走り続けたが、今は常時強化も発動中だ。彼女を抱き抱えていてもなんの支障もない。


 まるで羽のように軽く感じられる。


「このまま竜の顔を狙うから……合図したら発動して」


「う、うん」


 若干頬を赤くしたクロエに目線だけ向けて簡単に説明し、さらに速度を上げる。


 行動を察知したのかはわからないが、竜は水弾を多量に生成し、ステラではなくシンヤに向けて発射してきた。


 その弾を冷静に判断して、避け、時に蹴り上げ、竜との距離を縮めていく。


「ステラっ! 槍をっ!」


「そう言う事か……受け取れっ!」


 すれ違いざまにステラから短槍を投げ渡され、それを受け取り竜の背に飛び乗る。右手に短槍、左腕にクロエを抱え、滑りそうになる脚に力を入れた。


「――――ッ!!」


 その感覚が不快だったのか竜は身をよじって抵抗するが、シンヤは上手くバランスを取って駆けあがった。


 水弾が降りそそぎ、動く足場に悪戦しながらも短槍を杖代わりにして進む。


「クロエ、行くぞっ!」


「うん」


 頭にまで登ったシンヤは右手に握った短槍を一回転させ、狙いを定め。


 洞窟の壁に体をぶつけ、必死の抵抗をする水蛇竜の右目に思いきり短槍を突き刺した。


「今っ!!!」


「ライオス=ダ=ノイテっ!」


 合図でクロエはシンヤの握る短槍に手を添え、即座に呪文を唱える。それは、聖都でグライストに放った雷の大魔法。


 溜めた魔力が発動し、短槍を伝って雷が流れ、竜の全身を駆け巡り、雷流が体内を焼き焦がす。


「―――――――――――ッッッ!!!!」


 体の外でいかに魔力を減退させようと、魔法に対する耐性が高かろうと、直接体の中に流されれば、すべて関係無い。ただただ、大きく悲鳴のような咆哮を上げ、電流を身に受け続けるしかなかった。


「っっっ!!!」


 頭の上で短槍を握りしめ、シンヤは電流を流し続けるクロエを暴れる竜から落ちないように必死で支える。


「……――ッ」


「なっ?!」


 肉が焼ける匂いが漂う中、しばらく暴れ続けた竜だったが、こと切れたように動きを止める。


 が、首を動かし天井を見上げた竜の口から凄まじい勢いでレーザーが放射され、その命が尽きるまで放ち続けられたそれは天井を抉り続け、洞窟に大きな穴を空けた。


 そして、満足したかのように竜はゆっくりとその巨体を地に投げ出したのだった。


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