2章-58話 鳥人族②

 洞窟の広間の天井に直径数十mの大きな穴が開いた。


 竜が断末魔に放ったレーザーが削り取った天井。そこから大小の岩が降り注ぎ、穴の真下は岩の山が出来上がっている。思いのほか岩盤が硬かったおかげか洞窟全体が崩れる事は無く、開いた穴からは月の光が差し込んでいた。


「倒した? よな……」


「うん。大丈夫、だと思う……」


 崩れてきた岩によって竜の死骸は埋まってしまったが、造られたとはいえ生物、さすがにあの状態から復活するなどという事はないだろう。


 距離を取り様子を見ていると岩の山になった辺りから物音が聞こえた。


「……ぁ、あぁぁ。ぁっぁあっ」


「っ?!」


 次いでシンヤにももう聞きなれてしまった呻き声。


 屍人だ。


 天井に穴が開いたせいで屍人が地面から湧きだしてくる。洞窟の中にいたせいで時間の感覚が狂ってしまい、すでに日が落ちている事に気が付かなかった。


 戸惑うシンヤが硬直している間にも屍人の数は増えていく。

 

「急ごうっ!! 中へっ!」


 試練の水蛇竜は倒す事が出来たのだ。ひとまず鍵のあるという扉の先へ入るしかない。シンヤはステラに向け声を張り上げながら、魔力切れのクロエを支え扉に向かう。


 屍人達は未だ地面から出てくる最中。今の内に入り扉を閉めなければ間に合わない。


 肉が裂けるような強化の反動こそなくともシンヤの身体には浅くない傷がある。節々も痛み、戦闘の緊張感から解放された為にそれを実感してきているのだ。クロエを抱えたまま夜明けまで走り続けるのは難しいだろう。


 それにまだ鍵を手に入れたわけでは無い。


「ステラっ! 早くっ!」


 扉に手をかけたシンヤは問題なく開く事を確認し、ステラへと振り返り再度声を張り上げる。だが、彼女は先程立っていた場所から少しも動いておらず、背中を向けたままだ。


「ステラっ?!」


「……先に行って扉を閉めてくれ」


 シンヤがもう一度叫ぶと、短く答えたステラは地面から生えるように現れる屍人達の一角を凝視しているようだった。


「はぁ?! 何言ってんだよ。ここに居たら屍人に襲われるんだぞっ!」


「大丈夫……すまないがやる事ができた……」


 焦るようにシンヤは声量を上げるが、ステラは動かない。彼女の見ている屍人達に視線を動かすと、数十体の屍人の中に鳥人と思しき屍人が一体混じっているのが見える。


 緑色の髪の男。目が窪み、片腕の無いその男はステラに似ているように思えた。


「……わかった。鍵は見つけとく。死んだら……怒るからな」


「それは怖い……危なくなったら飛んで逃げるさ……」


 おそらく屍人の男はステラの身内なのだろう。そう察したシンヤは室内へと入って行く。


 ステラは飛んで逃げるというがそれは難しい事はわかっていた。翼はまだ水分を多く吸ったまま。それでも扉を閉めるのは、彼女の手でやらなければならない事、その決意をシンヤは理解したからだ。


 扉を閉める直前、ステラが振り返り笑顔を見せる。シンヤが心配しないようにと気を使ったのだろう。


「さて……と。まさか会えるとは思わなかったよ……父さん……」


 扉が閉まり、屍人達のいる空間に残ったステラは鳥人の屍人に震える声をかけるのだった。



  ◆    ◆    ◆



 

 霧の谷の山を二人で登る。


 双子の弟のスレインを連れ、ステラは里の誰にも言わずに抜け出した。両親にも告げず、里長にも伝えていない。反対されると思ったからだ。


 ステラの頭の中には生まれ育った土地、それを奪った人間を追い出す未来しか見えていなかった。自分ならばそれが出来ると、あの人外の騎士以外であればどうとでもなると、そう考えての事だった。


 空を飛べる鳥人、特に長時間空を飛べる彼女にとって、起きている限り屍人は脅威ではない。長に言わずに持ち出した破魔の短剣を懐に入れ、翼をはためかせ鍵の納められているという洞窟を目指した。


「姉さん。せめて父さんには話した方がいいんじゃ……」


「話したら絶対反対するだろ。お前はそんなにあたしを信用してないのかい?」


 鍵を取りに行き人間達を追い出す。ステラはその目的を弟以外には話をしていない。


 初めは突飛な話だとスレインは止めようとしていたが、折れない姉を一人で行かせるよりはと着いていくことにした。心のどこかでステラならばなんとかしてしまうのではないかという幼い頃からの信頼があったからだ。


「もちろん姉さんの事は信用してる……だけど凶悪な番人がいるって長も言ってたし、行くなら他の仲間と言った方が……昔から何十人も冒険者が入ったまま帰ってこない場所なんだよ」


「里は……人手がたりないんだ。戦える奴を何人も連れて行くわけにはいかないだろ? それに里にはあたしより強い奴はいないんだから、あたしが行けば問題ない。あんたも帰ってていいんだよ」


 住処を追いやられ、危険な場所に里を移した鳥人達はその数を大幅に減らしている。人間や屍人、魔物に殺され、食料の不足で死んでいった。今の状況を変えるには人間達を追い出して、元の住処に戻る事が一番早い。


 だが、ただでさえ魔物が多く危険な絶壁を新たな里に選んでいるのだ。防衛や食料の調達、飲み水の確保に人手はいくらあっても足りない。本来であればステラやスレインも勝手な行動が出来る程里に余裕はなかった。


「はぁ……すぐそうやって一人でやろうとする。せめて俺がついて行かないと姉さんだけじゃ心配だよ」


「さすがあたしの弟だ。特等席で番人を倒すところをみせてやるからな」


「一応言っておくけど誉めてないからね。今みたいに調子に乗ると痛い目見るよ姉さん」


「大丈夫。あたしに任せろ。番人も人間達も全部あたしが何とかしてやるさ」


 昔からステラはこうだった。鳥人としては類稀なる力を持つが故に、油断して足元がおろそかになってしまう。だからこそ、スレインも妬みを持たずに手のかかる姉弟として接してこれたのだ。


 そんな姉の補う事の出来る自分が誇らしかった。


「それが調子に乗ってるって言うんだよ……」


「おっ! 見えてきた。あれが爺の言ってた洞窟だろ? ほら行くぞっ!」


「聞いてるの姉さん……あっ! しょうがないなあ……」


 勝手気ままな姉に翻弄されるのには気苦労が絶えない。洞窟を見つけたステラは話を最後まで聞かずに降下し始めてしまった。


 まだ日も高く屍人も出ない状況。今の内に目的の物を手に入れ、さっさと帰ろうとスレインは短く溜息をついて姉について降りていく。


「もっと明かりないのか?」


 当然のように洞窟の中に光は届かない。先を見通す事の出来ない状況でスレインが袋から小さな魔石を取り出し明かりを灯すが、僅かにしか辺りをうつさない光にステラは文句をつける。


「これしか持ってきてないよ。っていうか姉さん一人で来るつもりだったのになんで明かり持ってきてないの?」


「それは、あれだ。お前が一緒に来るって言うと思ってたから任せてたんだよ。双子なんだから伝わるだろ?」


 弟に話を通した段階で一緒に連れてくる事は確定していたのだろう。悪びれない態度の姉に弟は今日何度目かの溜息をつく。


「そんなんで伝わるわけないよ。忘れてたんだね……だいたい姉さんはいつも準備が足りない……」


「ほらっ。文句言ってる暇はないぞ。魔物だ……」


 小さな明かりでも洞窟内の魔物からすれば、眩しい光だ。当然のように縄張りに入った異物を排除しようと動き出してくる。

 

「これキリがないよ……どうする姉さん」


 奥から次々と溢れる魔物の群れは数十ではきかない。絶えず魔物を切り伏せるステラとスレインだったが、その数が減る様子は無く、疲労だけが蓄積されて行った。


「ちっ……しょうがないね……移動しながら考える。ついてきなっ!」


「あっ! 姉さんっ!! ちょ、置いてくなよっ!」


 魔物の少ない道にあたりをつけたステラが、腕を動かしながら走り出す。追いすがる魔物の数は膨れ上がり、その場で対処しきる事が難しいと判断したのだ。


「広いとこに出た……なんだ……」


「番人のいる場所だろ……ってことは鍵のある場所が近いね」


 目に見えて魔物の数が減った。少し湿り気を帯びた空気の広い空間に魔物はおらず、着いてきている魔物以外はいない。


 スレインの持つ明かりでは広い空間の先を見通せず、先がどうなっているのかを把握する事は出来ない。二人は慎重に中の様子を窺いながら歩みを進めた。


 空気を振動させるような音が響き、異変を感じたステラは弟へと飛び出した。


「っ!? スレイン危ないっ!」


「っ!? ぁっっ?!」


 横っ飛びにスレインの身体を抱えて飛んだ後、爆発音が耳に届き、土埃が辺りに舞う。


「なんだ……今の……スレイン、平気か?」


「ごめん……足をやられた……」


 身体を起こしたステラは弟の足に視線を移す。


 僅かな明かりで見える右足は固い物で殴られたように折れ曲がっている。額にびっしりとした汗を溜めたスレインは、叫び出しそうな程の痛みを堪えていた。


「くそっ! いったんもど……っ!?」


 唐突にもたらされた一撃で、行動に大きな制限がかかってしまったステラは決断し、弟を肩に担ぐと元居た通路へと移動しようとする。だが、そこには待ち構えていたように魔物が溢れていた。


「……あたしの弟に近づくんじゃないよっ!」


 警戒しているのか部屋へとゆっくり入ってきた魔物達が迫る。即座に右手に握る短槍で数匹を屠りスレインに肩を貸して立たせるが、負傷者を抱えていることを理解しているのか、魔物はステラの左側ばかりを狙ってきた。


「はぁ、はぁ、はぁ。ほんとどんだけいるんだよ……ぐぅっ!!」


「姉、さんっ!?」


 通路から溢れる魔物の数は一定だが、後から湧いてくるその数にスレインを抱えたままのステラは息を切らせ、少しづつその身体に傷を負っていった。


「……こりゃ本格的にやばいか……スレインごめん。あたしのせいであんたまで巻き込んじまって」


「俺が勝手について来たんだから仕方ないよ」


「……いいかいスレインあたしが道を開くからあんただけでも抜け出しな……」


 通路への魔物を倒して通路に入り、襲い来る魔物をステラが食い止める。その間にスレインだけでも逃がそうというのだ。ここまで集まっているのだからこの集団を抜ける事さえできれば、飛んで逃げる事も可能なはずだ。


「馬鹿な事言うなよっ! 姉さんを置いて行けるわけないだろっ?!」


「ぐっ! くそっ!」


 隣で怒鳴るスレインもステラの右肩に腕を回しながら声を上げた。


 現実問題、唯一の出口である通路には魔物が溢れ、かといって番人の方へと進んでもあるのは宝物庫だけだろう。それに今の状況で番人と魔物の両方を相手にする事は出来ない。


 『死』という文字がステラの脳裏をよぎる。


 今諦めれば、足を負傷している弟から先に命を無くす結果になるだけだ。それだけは駄目だ。その想いからステラは必死で槍を振るう。


「ステラっ!」


「「父さんっ!?」なんで?」


 魔物の群れの先から聞きなれた男の声が響いた。里に居るはずの父親、その予期せぬ声に二人は驚きに声を上げる。


「話は後だっ! 道中の魔物は減らしてあるっ! スレインを連れて先に行けっ!」


 二人の元へと無理矢理辿り着いた父親はすでに全身が傷だらけだ。魔物の血で濡れた二本の剣を持ち、近づく敵を切り伏せる、普段は温厚だった父には見えず、立ち上る気迫がステラにまで伝わってくるほどだった。

 

 父が首からさげている魔石の光が辺りを照らす。二人が持ってきた物よりも二回りは大きい石。その光は部屋を照らし、奥に鎮座する水蛇竜の姿をはっきりと写した。


「っ?! あれが番人……」


「早く行けっ! っ……!?」


 番人の姿に気圧されたステラに声をかける父親へと何かが発射される。それは一瞬で数匹の魔物共々父の胸を貫いた。


「「父さんっ!!」」


「ご、ぼっ……い、いけっ!」


「でもっ!」


 悲痛な叫びを上げるステラが駆け寄ろうとするが、魔物が間を塞ぐ。胸には大きな穴が開きそこから止めどなく血が溢れ出すが、父は多量に吐血しながら擦れた声を上げた。


「姉さんっ! 行こう」


「う……」


 逡巡するステラの腕をスレインが引く。すでに足の感覚もないのにまるで痛みを感じていないかのように弟は毅然としているように見えた。


 なぜか集まる魔物が二人を素通りして父の元へ襲い掛かる。


 微かに感じる匂いからステラは父が全身に魔物寄せをかけていることに気づいた。


「ぐぅっ……」


「父さんっ!」


「……い、けっ!」


 最後の言葉は本当に父が喋ったのかすらわからなかったが、それでも行けと、ステラにはそう言った気がした。


 父の言ったように逃げ出た二人は、来た時が嘘のように魔物に出会わなかった。初めから死ぬ覚悟を持ってきたのだろう。


 洞窟の外に出た二人は、翼を広げて空へと昇る。


「あたしのせいだ……あたしが、あたしが……あたしが……」


「違うっ! 姉さんだけのせいじゃないっ。俺も、俺も行くって行ったんだ……だから二人の責任だ」


「スレイン……」


 足の痛みのせいか肩を貸したまま慟哭するステラに、涙を流しながらスレインは叫ぶ。本気で止めようと思えば姉を止める事はできたはずなのだ。手段を問わなければ父や長に話しても良かった。それをしなかった自分は同じように罪があるのだと。


「これからは父さんの代わりに俺が里も守る……」


「でも……あいつらが……」


「姉さんも里の……皆の事だけを考えて……皆を守るんだ」


 もう聖都の人間に構っていてはいけない。守るべきは今いる同胞、復讐を考えるべきではないと、胸の内でスレインは誓う。


「……わかった」


 ふらふらとしながらもスレインは預けていた腕を外し、翼をはばたかせて先に行ってしまう。そんな姿を見据え口元を引き結んだステラもまた、改めて弟と違う誓いを立てる。


「父さん……ごめん……でも、あたし。諦めないから……絶対に里の皆を助けるからさ……約束するよ」


 絶対に諦めないと、それを父が望んでいないとしても、必ず取り戻すと、そんな一方的な約束をしたのだった。



  ◆   ◆   ◆



「ごめんね父さん……三年も待たせちゃって。でも約束通りあたしが、皆を助けるからね……」


 目の前に居るのは三年前に最後に見た瞬間と同じ姿の父。全身は汚れ、一目見ただけでも生者でない事のわかる顔。


 父の顔を見間違うはずも無く、それでも涙は流れない。三年前のあの時に、涙はここに捨ててきたのだから。


 屍人となった父が動き出す前にステラは短槍を静かに振るう。


 胴と切り離された頭が、ゆっくりと地面に落ちて乾いた音をたてた。


「……ふぅ……さあ、かかってきなっ! 何時間でもあたしが相手になってやるよっ!」


 もうやるべきことはここにはない。あとは眼前に湧いて出る死者の群れを切り伏せ続けるだけ。走り来る屍人に向けステラは引き締めていた口角を引き上げたのだった。

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