2章-53話 なくしていたもの

 一人で遊んでいた日々が二人に。


 ただそれだけで時間が過ぎるのを待つだけだった毎日に楽しみが生まれた。


 両親を亡くしてから初めて訪れる楽しい時間。


 祖父母といる時はシンヤにとって窮屈で鬱屈した時間だ。朝食を食べる時も昼食の時も、夕食をとり入浴をすませ就寝するまでも、ただただ祖父母の愚痴を聞き、文句を言われるのを黙って聞くだけの苦痛でしかない時間。


 どうして口を開いてはいけないのか聞いたことがある。すると祖母は醜悪なものでも見るかのような眼で、『甲高い声で頭が痛くなるから許可が無い限り話すな』と言い放った。


 だから昼過ぎから夕方までの祖父母のいない時間が、今のシンヤには大事な一時になったのだった。


 この日もシンヤはアウラに教えてもらった手遊びや石並べをしていた。だが、いつもと少しだけ違ったのは彼女がいつもと違う事を言った事。


「ねえアウラっ! 今日は何して遊ぶの?」


「そうじゃのう……今日は少しだけこの庭から抜け出してみるか」


「え……」


 アウラの提案にシンヤは言葉に詰まる。


 小さな子供が走りまわるには十分すぎる庭。そこから出る事は祖母に禁止されていた。家の裏にある雑木林も外の田畑も、シンヤはここに来てから一度も見たことが無い。


 興味はある。シンヤも五歳の子供にあるような好奇心は持ちあわせている。


 だが、一度外に出たいと祖父母に話した際、烈火のごとく怒鳴られて以来、その気持ちを恐怖が上書きしていたのだ。


「でも……ばあちゃに……」


「大丈夫じゃよ。婆が帰ってくる前に戻ればバレはせん」


「でも……アウラが居てくれれば僕はここでも……」


 満面の笑みを浮かべるアウラの言葉にもシンヤは口ごもる。


 外に出れば、言いつけを破れば怒られてしまう。だから仕方ないと、今までのようにここで遊んでいるだけでも、もう一人ではないのだからそれだけで楽しいのだと、そう思っているのだ。


 下を向いてしまったシンヤの前に、少し眉をひそめたアウラが徐におもむろにしゃがみ込んだ。


「……こんな狭い庭だけで満足しておるようではおのことは呼べんぞ。世界は広い、広すぎるくらいじゃ……」


 腕を組んだアウラは真っすぐにシンヤを見つめ真剣な顔で口を開く。


「……」


「これからお主には楽しい事もつらい事もたくさんあるじゃろう……じゃから、自分から世界を狭めないで生きてほしいのじゃ」


 アウラの言葉の意味のほとんどをシンヤは理解できない。五歳の子供の世界は眼に見える範囲でしかないのだから。


 彼女の言う広い世界など想像も出来ない。


 それでも両親以外で真摯に向き合ってくれるアウラの言葉を、シンヤは理解したいと思うのだ。


 だから、次の問いにシンヤは答える。


「それで、お主は外の世界を見てみたくはないか?」


「……見てみたい」


「うむ。ではまず、この家の裏から探検するとしようかの」


 そう言ってアウラは眩しいくらいの笑顔を見せてくれた。


 この日からシンヤの世界が少し広がる。


 雑木林にいる様々な生物や植物、初めて目にするそれらは幼いシンヤの興味を引いた。夢中になり時間を忘れそうになるのをアウラに咎められ、危うく祖母に見つかりそうにもなった。


 緊張感すらシンヤには楽しく感じられるようになり、そんな日々は二年ほど続いた。


 相変わらず祖父母はシンヤに興味を持たない。


 本来であれば小学校に通う年齢なのにも関わらず、家から出る事を禁じられていた。後になって知ることになるが、シンヤは病気療養の為に自宅学習という事になっていた。


 余程シンヤを外に出したくなかったのだろう。

 

 そんな折、悲劇は唐突に訪れる。


「シンヤ。シンヤっ!」


「ん……」


「起きるのじゃシンヤっ!」

 

 アウラの声で無理矢理覚醒させられ、寝ぼけた眼を擦り身体を起こす。肩を揺らしていた彼女が焦った様子でシンヤを見つめていた。


 窓の外はまだ暗く、時計を理解していないシンヤにもまだ、夜更けだということがわかる。


「アウラ? どうした、の?」


「すまぬ。油断した。あやつらが強硬手段に出るとは思わなんだ……」


「何を言ってるの?」


 彼女の話す内容がわからない。


 今までアウラが深夜に現れる事は無かった。シンヤが庭に出るタイミングでいつの間にかそこにおり、家に入るころには姿を消していた。


 それなのにこんなにも驚いた表情で何が起こったというのだろうか。


「今すぐここから逃げるのじゃ。わしではお主を守れ……」


「いたか?」


 急かすように背中を押すアウラの言葉の途中、事情がわからず困惑するシンヤの耳に男の声が届く。


 それは聞いたことの無い人の声。


 アウラは動きを止め、シンヤの方を向いて口元に指を当てる。


「いや……老夫婦はどうする?」


「殺せ」


 日頃テレビを見ないシンヤでも人の死については理解している。両親が死んだ際、祖父母から嫌という程教え込まれたからだ。


 声の主はシンヤの祖父母を殺すのだという。なんとなく程度にしか理解していないその単語だったが、冷たい声音にシンヤは凍り付き身をすくませた。


 ここで動けばその場で死んでしまうのではないかと思う程の、感じたことの無い恐怖に震えが止まらない。


「わかった。ただし子供は手順通りに……」


「ひぅっ……ふぅ、ふぅ……」


 口元を両手で抑え、声が漏れそうになるのを必死で堪える。涙が大量に流れ落ち布団に染みを作っているが、シンヤを抱えるように座るアウラのおかげで声を上げるのだけは押さえる事が出来た。


 だが、いくら広い古民家とはいえ、部屋は十部屋もない。


 すぐにシンヤの部屋は見つけられてしまう。


「見つけた……」


「シンヤ逃げろっ!」


「っ……!!」


 シンヤを確認した男はもう一人に向け声を上げる。曇っているのか月明りも無く、電気もつけていない室内では男の姿を確認する事は出来ない。


 ぎゅっと布団を握り締めると、アウラの体温が離れる。男に向け飛び掛かる彼女の背中を見て、シンヤの口からは声にならない声が漏れた。


「どけっ! 虚ろでしかない貴様に力などないだろう」


「くぁっ!?」


「アウラぁっ!?」


 男が腕を一振りすると、アウラの身体は薙ぎ払われ壁へと激突してしまう。祖父母もそうだったが、彼女の姿をシンヤ以外の人間が認識する事はこれまで無かった。だが、眼前の男には見えるどころか殴り飛ばしたのだ。


 悲鳴のような声を上げるシンヤには眼前の状況を理解できない。


「千年追ってきたのだ。ようやく我らの物に……」


「こちらは終わらせたぞ」


 近づいてくる男の背後から別の男が入って来る。右手には歪な形の刃物が握られ、その先端からは水滴がしたたり落ちていた。


 雲に隠れていた月が顔を出し、部屋の中を照らす。


 男達の身体には黒い靄がかかりその顔を認識できず、シンヤは滴っていた水滴に目が行く。


 それは赤だった。


 剣身を赤く染め、ぽたりぽたりと落ちるのも赤。


 刃物を握る男の身体にも赤。


 全身を赤く染め上げた男が口を三日月のようにつり上げたように見えた。


 赤は血だった。


「ひぃっ!」


 夥しい赤は祖父母の血なのだとシンヤはようやく理解する。


「ぁっ……ぁあっ、かはっ……」


「安心しろ……痛みは長く続かん」


 心臓が破裂しそうなほどに唸り声を上げ、眼を裂けんばかりに見開く。身体はひどく震え、呼吸が上手くできなくなる。


 酸素が肺に届かず苦しむシンヤの眼前で、先に入ってきた男が杭のような形をした剣を取り出す。 


「シ、シンヤ……に、げろ……」


 シンヤの視線がアウラへと向く。何かに張り付けられたかのように壁に縫い付けられた彼女は擦れた声をあげている。


 そして、


 男の手に持つ異物がシンヤの腹部目掛けておとされた。


「うわぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!」


 恐怖が破裂する。


 喉が裂ける程の声を上げ、全身が痙攣し、シンヤの中にある何かが全身を駆け巡り、自身の意思とは関係なく腕がふりあげられた。


 杭のような刃物を吹き飛ばし、その風圧で男達はたたらを踏んで後ずさる。


「なっ?! こいつただの器のはずじゃあ……」


「避けろっ! 直接くらえば魂が消し飛ぶぞっ!」


「ああぁぁあぁぁっっ!!!」


 抑えつけようと近づいてくる後から来た血濡れの男目掛け、シンヤの小さな拳がその身体を打ち抜く。


「ぐああぁぁっ!」


 拳がめり込むと男の身体を覆っていた黒い靄が身体から抜け出て四散し、血濡れの男はその場で膝を折り崩れ落ちた。


「ちぃっ! あと少しのところを……ぐっ。この身体では対処できんか……」


「があああぁあぁああっ!」


「シンヤっ! 落ち着けっ! 気を落ち着けて力を抑えろっ!」


 残った男は悔しそうに呟き窓を割って逃げていく。縫い付けられた壁から解放されたアウラがすぐにシンヤを抱きしめるが暴走は止まらない。


「あ、あぁ、ぁあああ。痛いよアウ、ラ」


「いかんっ。肉体が持たんか……」


 脅威のなくなった部屋に残されたシンヤの身体が崩壊を始めていた。皮膚が裂け、全身から出血が始まり、眼から血の涙が零れ落ちる。 


「すまぬ……わしのせいじゃ。わしがもう少し注意しておれば……じゃがお主をこのまま死なせるわけにはいかん。漏れ出る魔力と記憶をわしとともに封じる。そうすればこれから先あやつらに見つかることもないじゃろう」


 抱きしめたままのアウラが力を籠めると、その存在が希薄になり、身体が透けていく。同時に身体の崩壊が止まる。


「もう少しだけ一緒に過ごしたかったが、ここまでのようじゃ……お主には幸せな人生を送ってほしい……」


「だめ……いかな、いで……」


 布団にシンヤを横たえるとアウラは光の粒になっていく。傷が癒えたわけではない。それでも痛む右手を動かし、消えて行く彼女に手を伸ばした。


 せっかく友達になれたのに、一人でなくなったのに。


 わかっていた。自分が一人でなくなり寂しくなくなったのと同じように、アウラもまたシンヤがいる事で孤独では無くなっていたことに。


 だから彼女が一人で行ってしまう事を止めたかった。


「なあに、また来世で会えるじゃろうよ」


「……だ、め……」


 悲しそうな顔で微笑むアウラを最後にシンヤの意識は途絶えた。


 老夫婦が殺されたニュースは地方のテレビで取り上げられたが、犯人は捕まり事件は解決したと報道され、すぐに話題にもならなくなる。


 警察に保護されたシンヤが目を覚ますと、アウラの事も男達の話した内容も記憶から無くなっていた。唯一の生存者だった彼には、強盗に襲われ祖父母を無くしたのだという事だけが伝えられ、別の親類の元へと行くことになるのだった。


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