2章-52話 記憶

 竜の尾が鼻先を掠める。風圧で身体ごと吹き飛ばされてしまいそうになるのを堪えて背中の翼を見据えた。


 洞窟内を充満させている水分を羽の一枚一枚が吸い、ステラ自身にも動きの低下を認識させている。だが、いかに理解していようと対策する術は無く、このままではほんの数分もしないうちに致命の一撃を受けてしまうだろう。


 そうなれば終わりだ。


「っ……!」


 奥歯を噛みしめるステラから声にならない音が漏れる。


 クロエの詠唱は少なからず時間がかかる。中位の魔法でも集中と短い詠唱が必要なのだ。


 戦闘が始まってその一分も経っていないのに、ステラに時間を稼ぐ余裕がなくなってきていた。


「ステラっ! 離れてっ!」


「っ!!」


 待ち望んでいたクロエの呼び声を聞き、ステラは即座に後方へと下がる。


 次の瞬間彼女の口から力を解放する言葉が発せられた。


「ルイス・リネアー」

 

 中位の比較的詠唱の短い魔法を選んだのは洞窟が崩れないように配慮した為と、その後動けなくなるのを避ける為だ。突き出したクロエの掌から生じた光の帯は真っすぐに水蛇竜へと突き進む。


 血蜘蛛を倒した光の矢を一本に収束させたかのような光の魔法。それは瞬きする間もなく竜へと直撃し……。


 その体に傷一つつける事無く四散して消えた。


「うそっ?!」


 広い空間にクロエの驚愕の声が反響する。


 大魔法では無くとも、クロエの唱えた魔法は殺傷力の高い光の熱線。いかな竜の鱗とはいえ傷すらつかないなどということはない。


 ではなぜ弾かれてしまったのか。


 答えは周囲に噴出された水蒸気。すでに広場全体を覆っているそれは竜の魔力で作られた粒子。それがクロエの魔法を阻害し威力を減退させたのだ。


 竜は攻撃されたことで標的をステラからクロエへと移す。


「―――!」


 咆哮を上げ、周囲の水蒸気が竜の眼前に集まり水の塊へと変わる。その数十もの水の弾がクロエへと降り注いだ。


「エスクードっ!」


 両手を前に突き出したクロエは魔法を展開する。出現した薄い膜のような盾はバスケットボール程の水の弾を弾き飛沫へと戻していく。だが、水を固めた重い水弾は砲弾並みの威力があり、盾から逸れた水弾は地面に小さなクレーターを造った。


 砲撃を受け止め続ける盾は次第に軋みを上げひび割れる。


「もう……ダメ……」


「……クロエっ!」


 陶器が砕けるような音と共に盾は割れ、生身で受ければ死んでしまう威力の水弾が当たる直前に視界が塞がる。走り込んできたシンヤがクロエを抱きかかえたのだ。


 魔力により身体を強化していても、砲弾を防げる程のものでは無い。


 当然のように吹き飛ばされた二人は、壁際まで地面を転がる。


「シンヤっ!?」


「無事……か。良かった……」


 即座に起き上がったクロエが声をかけるとシンヤは薄く目を開くが、一言発し意識を失ったのだった。



   ◆    ◆    ◆



「あまり遠くに行くんじゃないよ」


 それはずいぶん昔の記憶、もう二度と聞くことの無い祖母の声。しんしんと降る雪の日、いつものようにシンヤは祖母に言い含められ庭に出た。


 両親を交通事故で亡くし、初めに預けられた祖父母の家。五歳になるかならないかの頃だ。


 都会から離れた田舎の家。


 そこでシンヤは祖父母が亡くなるまでの二年間を過ごした。


 両親に比べればとても気難しい祖父母で、よく怒鳴られていたのを思い出す。


 シンヤは広い庭でよく遊んでいた。


 大きな古民家だった祖父母の家の裏には雑木林が広がっており、家の庭からも行くことが出来たのだが、庭から出る事は禁止されており、シンヤは石を集めたりすることで時間を潰す。


「つまらんじゃろう?」


 その日も一人しゃがみ込んで石を積む。近くに年の近い子供もおらず、年齢的に通うはずの幼稚園も無いような田舎。幼いシンヤは祖父母に怒られないようないよう言いつけを守り、日中のほとんどを庭で過ごしていた。


 不意にどこからか声が聞こえる。


 顔を上げるとそこにはシンヤよりも幾分か年上の少女が立っていた。


「……誰?」


「わしは……そうじゃのう。お主の友達じゃよ」


 少し考えるような仕草をした後、少女は名乗らずに答えた。シンヤには目の前の少女に見覚え等無い。それどころかこの辺りに知っている人間もいない。


 少女は雪の日に似つかわしくない丈の短い着物姿、雪のように白く長い髪を風になびかせ、左右で色の違う瞳でシンヤを見据え仁王立ちしていた。


「友達?」


「そうじゃよ。わしはお主の事をよーく知っているし、お主もわしを知っておるはずじゃよ」


 首を傾げるシンヤに柔らかい声音で少女は言葉を伝えてくるが、どう思い起こしても記憶に無い人物だった。


「と、言ってもお主にはわからぬよな。じゃが一人は寂しかろう。わしが遊んでやるぞ」


「いい。ばあちゃに怒られるから……」


 遊んでくれるという少女の提案は少し嬉しかったが、知らない人と一緒に居てはそれこそ祖母に怒鳴られてしまう。


 シンヤは少女の方から顔を背け、地面に転がる石を一つ積み上げる。


「大丈夫じゃよ……ほら、わしとどっちが高く積めるか勝負じゃ」


 しゃがみ込んだ少女はシンヤの隣で石を積み始めた。


「早うせんとわしに負けるぞ」


「あっ……」


 名前を知らない少女は煽るようにシンヤの積んだ石の横に次々と石を積み上げる。無性に悔しくなり、必死で積み上げていると石はバランスを崩して倒れてしまう。


「ふぇっ……」


「ありゃ、しょうがないのう。もう一度じゃ。何度でもわしが一緒にやってやるからの。それよりもわしの知っとる遊びを教えようか」


 崩れた石の山を見て泣き出しそうになっているその頭に少女はそっと掌を乗せて優しく声をかける。シンヤが顔を上げると、そこには慈しむように見つめる綺麗な顔。


 面倒くさそうに見てくる祖父母と違い、少女のそれは両親の眼差しと同じ瞳をしていた。


「シンヤっ! あんた誰と喋ってんだいっ!」


 不意に飛び込む声。縁側の窓が開き祖母が顔を出してきた。


「なんだい、独り言かい……誰か来ても勝手に話すんじゃないよ」


「う、うん」


「……性格の捻じ曲がった婆じゃの」


「わぁっ!?」


 少女の事が見えていないのか祖母は周囲を見回している。そこに隣から乱暴な声が響き、シンヤは大きな声を上げてしまう。もしあんな言葉を聞かれればそれこそ怒鳴られるでは済まなくなってしまうのだ。


「大きな声を出すんじゃないよっ……ご近所に変な孫だと思われるだろう」


 どうやら少女の姿も声もわからないらしく、祖母が一人だと思っていることにシンヤはほっと息を吐いた。


「ご……ごめんなさい……」


「はぁ……ほんと厄介な子を残してくれたもんだね……少し出てくるからあんたは家で大人しくしときな」

 

「はい……」


 祖父母はよく外出する人だった。幼いシンヤを家に残し、村の集まりに参加しているのだ。


 シンヤからしてみれば寝ている時間を除き、祖父母の厳しい眼から逃れられる嬉しい時間ではあったが、それでも一人は寂しかった。


 だが、この日からはそれが楽しい時間へと変わる。


 友達が出来たのだから。


 少女は他の人間には見えず、シンヤにだけ認識できた。


 祖母には独り言を言っている姿を見られ気味悪がられたが、元々他の人に会う事のないシンヤにとって、祖父母に見つからずに遊ぶことが出来るには都合が良く、一人でない日々は寂しい時間を埋めるには十分だった。


「ねえ。名前はなんていうの?」


「……わしの名か?」

 

 名前が無いと呼ぶ時に不便だったシンヤはある時そう尋ねた。それは何気なく聞いただけの事。ただねえ、とかあの、とか呼んでいるのが面倒くさかっただけなのだが、


「うん。名前がわかんないと呼べないでしょ」


「そうじゃな……わしの名は……アウラじゃ」


 自身の名が余程嫌いなのか少女はしかめた顔をしてそう名乗った。


 


 

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