2章-51話 人造竜
「会いたかったよ」
そう零すステラの瞳には哀愁の色が映っている。それは他の誰でもない彼女自身の後悔の念から漏れでた言葉。
その言葉の意味はシンヤにはわからなかったが、この場所で彼女に何かがあったのだという事は理解出来た。だが今それを深く考える余裕はない。
竜と相対してから、視線だけで人を殺してしまうのではないかという程の威圧が全身を覆っているのだ。見るだけで自身よりも上位の存在であると感じる巨大な生物を前にして、逃げろと本能が悲鳴を上げている。
人の手で作られた生物と聞いていたシンヤはここまで巨大だとは想像もしていなかったのだ。
全長で数十mはあるだろう。起こした頭が天井にまで届きそうな程。胴回りも数mはあり、まるで巨木の幹のようだ。
「あれを……倒す? 無理じゃないの、か……?」
「―――ッ!」
「っ!!?」
竜は巨大な口を開き、洞窟を崩してしまいそうな程の咆哮を上げる。鼓膜がビリビリと震え、脳に直接響く痛みにシンヤは耳を塞ぐ。震えた天井から崩れた石がパラパラと降り注ぐ中、竜が頭を引いたように見えた。
「シンヤっ! 動いてっ!!」
「来るぞっ!」
大きく開いた竜の顎、その口内に球状の何かが生成され、次の瞬間には放射された。数十m前方に着弾したそれは地面を削りながらシンヤ達へと突き進む。
二人の呼びかけで身を投げ出し、寸でで避けることのできたシンヤは、すぐに身体を起こして背後を見やる。そこには地面から壁を辿り、天井までを削りとったような跡があった。
削り取られた土とともにシンヤに降り注ぐのは水滴。
まるでレーザービームのように、竜の口から発せられたのはそれは魔力で生み出した水を高圧で放射していたものだ。
「なっ!!」
シンヤは昔見た高圧洗浄機を思い出す。だが圧縮したその破壊力は比べ物にならない。あんなものが当たれば人の身体など粉々になってしまうのではないか。
そう考えると恐怖で身体が動かない。
「止まるなっ!」
「……っ!?」
壁の破壊痕を見て固まるシンヤにステラの怒鳴り声が届く。我に返ったシンヤはすぐに竜へと視線を動かした。
放心している場合ではない、魔力の流れを理解できないシンヤでさえ、空気が圧縮するような感覚を感じる。すぐに第二射が放たれるのだろう。
視界に映る竜は再度身を引き、その口には先ほどと同じような水の塊が形成されてゆく。
視線を移すとステラがすでに走り出していた。
リュートがいない状況で強敵を倒す為にはクロエの魔法をいかに効率良く当てるかにかかっている。ステラとシンヤは陽動として動き回り出来うる限り竜の気を引く。それは事前に話していた作戦。
「大丈夫だ……今のおれならやれるはずだ」
自分に言い聞かせるように呟きシンヤは眼前を見据える。全身に鳥肌が立ち、足が震えるが、ここで逃げているようではどうせすぐに死ぬだろう。
それでは駄目なのだ。目的を達する事も無く死ぬわけには行かない。恐怖を暗い感情で塗りつぶし走りだす。竜までの距離はおよそ二百m。駆けるシンヤに向けて再度高圧の水が放射される。
着弾する前に進路を変えるが、狙われているのか背後から破壊音が迫っていた。振り返らずに全力で足を動かす。それでも竜の攻撃の方が早い。
「つれない事をするなよ。あたしを無視するなんて……ひどいじゃないかっ!」
水のレーザーが届く寸前、それは飛沫へと変わり霧散した。竜に辿り着いたステラが、小さなビル程の高さにある竜の頭まで翼をはためかせ、その顎を蹴り上げたのだ。
強制的に口を閉ざされ衝撃で頭を仰け反らせた竜だったが、大したダメージは無いのか、反らせた体をくねらせ体勢を戻し、宙に浮かぶステラを睨みつける。
「かかってきな。あんたには借りがあるからね……ここで返させてもらうよ」
睨み返すステラにその大きな口を開き飲み込もうと何度も迫るが、それを身を翻して躱し、空中を縦横に飛んで、両の手に握る槍を竜の鱗の隙間に突き刺す。
「―――ッ!?」
歪な声を上げる竜へとステラはさらに追撃をかける。彼女の攻撃は肉を突き刺し、その体から体液を流させるが、如何せん大きさが違いすぎた。
個体によって差はあれど、竜種は強固な鱗に守られている。それは人の手によって作られた水蛇竜も同じ。
余程の名剣でなければ鱗を切り裂くことは出来ない。
最初からそれを理解していたステラは、鱗の隙間に突き刺す事で攻撃を通しているのだが、体長数十mの竜に人の武器を突き刺したところで致命傷には程遠い。
せいぜいが怒りを増長させる程度にしかならないだろう。
だがそれでいい。
竜の怒りの矛先をクロエから外し、詠唱の時間を稼ぐ事が目的なのだから。
一撃でも当たれば即死してしまうだろう巨体の顎を避け縦横無尽に宙をかけている。元々シンヤと二人で囮をする作戦なのだが、ステラ一人でいけるのではないかと思う程に竜を翻弄しているように見えた。
が……。
「なん、だ……?」
違和感はすぐに訪れた。シンヤの視線の先ではステラが竜の動きを軽やかに躱しているように見えるのだ。だが、少しづつではあるのだが、経過時間に比例して危なげな瞬間が増えているように思えた。
竜の動きが速くなったわけでは無い。
ステラの動きが鈍くなっているのだ。
戦いを見つめるシンヤの顔を水滴が流れ落ちる。
大量に流れる汗が煩わしかった。
それを何度も袖で拭う。
おかしい。
流れ落ちる程に汗をかいている? 違う。シンヤはそれほど動いていない。
緊張で大量の発汗をしている? 違う。そこまで追い詰められてはいない。
ではなぜ?
先程とは違う空気。ようやくシンヤは周囲の異変に気付く。
湿気だ。
洞窟内に充満した湿度が急激に増えているのだ。視界を遮る程ではないが明らかに空気を湿らせ徐々に周囲を侵食している。よく見ると水蛇竜が動く都度、体から薄っすらとした蒸気が漏れ出ていた。
鳥人の翼は水鳥の翼のように出来ていない。水分を多量に含めばその分重くなる。
飛べなくなるわけでは無いのだろうが、重くなった翼はそのまま機動力の低下につながっているのだ。
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