2章-44話 メイドと少年

 あまりにも不自然。


 洞穴内に作られた巨大な街は何事も無かったかのように時を進めている。大通りは活気に溢れ、幸せそうな人々が行き交っていた。


 この聖都という街は想像していた以上に歪な作りをしている。リュート達が脱出してから三日が立っているが、セラの行動は制限がかけられることもほとんど無く、最初に渡された音を届けるという魔具以外は監視すらされていない。


 疑われるような発言さえしなければ、この街を探るという目的も簡単に行えていた。


 セラが地上を見て周っているのにも理由がある。リュート達に託した手紙にはこの街の結界と教主の不死を断つ手段を書いた。きっと目的の物を手に入れて戻ってくるだろう。


 それまでに街の全容を把握しておかなくてはならないのだ。


 抜け道を含めた造り、戦力、非戦闘員の数、それらを調べる為、セラはわざわざ街に出て歩き回っていた。


「あらセラちゃん。司教様はお元気かしら?」


「おはようございま奥様。今父は外に出られないので、私室で祈りを捧げていますよ」


「そうなの? 無理はなさらないでって伝えてくださいな」


「ありがとうございます。きっと父も喜びます」


 街を歩けば見知らぬ人に親し気に話しかけられ、何年も前からの知己のように会話する。だがセラに目の前の女性と面識は無い。全て結界内に張り巡らされた術式によるものだ。


 記憶の改竄はマグルス達の都合の良いように更新され、違和感の無いように整えられている。そんな状況を不快に思いながらもセラは表情に出さないよう自然に会話をしていた。


「それでは私はもう戻りますのでこれで失礼いたします」


「そうかい? 司教様によろしくね」


 女神教。創世の女神アスタルテを信奉する宗教。それはかつて世界で唯一の公認された団体だったが、マグルスは大襲来以降、その名を騙っているのだ。神の声などもう届かないと言うのに。


 当然教主以下の司教も名ばかり、三人の司教はこの街を作る上でただ必要だったというだけで、そういう役職でしかない。セラは女性との話を終えると地下へと戻る。


 この三日ほどですでにセラの頭の中には聖都の地図が出来上がっていた。


「父さんっ! 本当の事を話てよっ!」


 居住区を歩いているとセラの耳に少年の声が届く。少しだけ開いた部屋から聞こえるのはグライストの息子クリスの声。彼女は足を止め扉に近づく。


「お前にはわからんのだ。教主様はこの街を守っている。お前の事も含めたすべての人々をだ」


「だけどあいつは地下であのお兄さんにひどい事をしてたし、絶対悪い奴だよっ!」


 クリスはシンヤ達が脱出する際に一緒に居た少年。セラも姿は確認していたが、理由迄はわからなかった。会話の内容からすると彼に記憶改竄は行われておらず、何も知らされていなかいようだ。


「何かを守ると言う事は、他の何かを害すると言う事。あの青年達は我々の敵だ。ここを守る為に教主様が行っている事を、お前にとやかく言う権利は無い」


「わかんないよっ! 父さん昔はそんなんじゃなかった」


「とにかくだ。お前にはしばらくの間ここから出る事を禁じる」


「父さんっ!」


 話を切ったグライストは息子の呼び止める声を無視して部屋を後にする。咄嗟に別の部屋に入り気配を殺していたセラの存在に、彼は気づいていなかったのか通路を歩いて行った。


 グライストが居なくなったのを確認したセラは、隠れていた部屋を抜け出し、クリスの部屋の前に立つ。扉には鍵がかかっていたが、作りは簡単なもののようで髪留めを取り出しすぐに開ける。


 中は一部屋だけの作りで、ベッドと机と申し訳程度の調度品があるだけ、机の上には大量の本が置いてあり、そのどれもが何度も読み返されたのか、擦り切れていた。おそらくここだけで長く生活していたのだろう。


「だれっ?」


「クリス君ですね?」


「……お姉さん、たしかお兄さんの……」


「セラと申します」


 不意に入ってきたメイドを見て、机の上に手をかけたまま振り返ったクリスに、スカートを摘まんでセラは優雅に一礼する。紫の髪が靡く様を見た彼は青ざめた表情になり、数歩後ろに下がり距離を取った。


「お姉さんはお兄さんを殴っていた人ですよね……」


「それは誤解です。私は上司の命令に従ってあの場を通さないようにしました、半裸で襲ってきた変態にそれ相応の抵抗をしたのは事実ですが」


「抵抗っていうか一方的に殴ってましたよね。それに服を脱いだのは殴られた後だったと思うんだけど……」


 クリスの記憶の中ではシンヤが虚を突く為に服を脱いだはずなのだが、変態扱いされる青年が少し気の毒になってくる。それでもセラの声に悪意が無い事が伝わったのか警戒を緩めたようだった。


「しかも、シンヤ様は乙女の胸を触ったのですよ。殴られるのも仕方のない事なのです」


「……あれも不可抗力だったような……」


「細かい事を気にすると立派な大人になれませんよ」


 フォローの呟きもさっくりと切り捨てられ、クリスは半眼でメイドを見つめる。シンヤも彼女の事を悪く言っていなかったのだから、悪い人ではないのだろうと、肩に入れていた力を抜き、椅子を引いて座った。


「……僕に何かようがあるのですか?」


「いえ、たまたま通りかかったところグライスト様との言い合いが聞こえたものですから、少々気になりまして……」


「父さんの部下じゃないの?」


「私はアリオン様の配下です。ですのでグライスト様が話てくれない事も、お答えるする事が出来ます」


 言葉に選びながらセラは口を開く。魔具によって会話は全てアリオンに聞かれていると思っていい。その為、下手な発言をすればあの父はすぐに癇癪を起してしまうだろう。


「お兄さん達はっ? 無事に逃げれたのっ?」


 開口一番にシンヤの安否を聞いてくる。詳しい事情はわからないが、彼等が脱出した後から外の情報は与えられていない。いや、ずっと昔から真実がわからないようにされていたのかもしれない。


 理由はわからないが、マグルスを信じ切っている信者達を除けば、ここに住む人でクリスだけが記憶の改竄をされていない。ただ助けたいと言うだけでなく、五年もの間、外界と隔離されてきた少年にとってシンヤは真実との繋がりなのだ。


「落ち着いてください。シンヤ様は聖都を抜け出す事が出来ましたよ」


「ほんとっ? ……よかった」


 食い入るように問いかけてきたクリスの肩に優しく手を置き、柔らかい声音で答える。余程シンヤの事が心配だったのだろう。セラの答えに胸を撫でおろす彼の顔に安堵の表情が広がった。


「クリス様はどうしてシンヤ様を助けたのですか?」


「……僕は、正しい騎士になりたいんだ」


「正しい騎士……ですか?」 


 十二歳程度の男の子。その将来が騎士になりたいという事は理解できる。それが大襲来の前であれば。


 今の世界では騎士などどこにもおらず、ただ生き延びる為だけに力を使う人がほどんどだが、外の状況を正しく理解できていない少年には未だ騎士というものは憧れなのだろう。


「昔の……父さんみたいな力の無い人を守れるような騎士になりたい……。だから、あんな風に閉じ込めたり、傷つけたりするのは違うと思う」


「でも、シンヤ様も、もしかしたら極悪人かもしれませんよ? 悪い事をした人を捕まえるのも騎士の務めではないのですか?」


「うん。悪人が罰を受けるのはわかるよ……でも、あのお兄さんは悪い人じゃないと思う。それくらいわかるよ。なのに、父さんはマグルスの言いなりなんだ……おかしいよ」


 ただ純粋に人を傷つけるのが悪だと言うのであれば、それもまた歪。セラはクリスの考えを確かめる為に少し意地悪な質問を投げかける。だが、少年は彼女が思う以上に清廉な想いで行動しているようで、その心持にどうしても頬が緩んでしまう。


「そうですね。グライスト様の噂は私も耳にしていました。偉大な騎士の話は帝国でも有名でしたよ」


 帝国とは同盟関係にあった隣国の騎士グライストの話はセラも耳にしていた。


 大陸最強の騎士は人知を超える力を持ち、権力に囚われず、亜人や低い身分の人々を率先して登用し、戦場においても敵に温情をかける優しさを持ち。その強さと慈悲の心から、太陽の騎士と呼ばれていた。


「父さんは、太陽の騎士は僕の憧れなんだ……」

 

 俯くクリスの顔には悲しみが宿り、幼い彼の心に眩いばかりに映っていた強く清廉な父の変わりようにその小さい胸を痛めているのだろう。


「……クリス様はどうされたいのですか?」


 慈しむような視線を送るセラは優しく声をかける。出来ればこの少年の願いを叶えてあげたいと、そう思うのだ。


「僕は……父さんを止めたい……悪い奴に良いように操られてるなんて太陽の騎士のすることじゃない。昔の父さんに戻ってもらいたい」


「難しい事ですよ……つらい想いをする事になるかもしれません」


 おそらくグライストは眼前の少年を安寧に過ごさせる為に、マグルスに協力しているのだろう。その想いを変えるのは簡単な事ではない。クリス自身が強い想いを持ってここから出る覚悟を持たなければならないのだから。


「僕に出来る事ならなんでもするよ。それで父さんが元に戻るなら」


「……私に協力していただけませんか? マグルスの非道を止める為に……」


 きつく唇を結んで答えるクリスに、微笑んだセラは優しくその頭に手を添える。まだ幼い少年の想いとセラの目的とが同じになるように力を合わせるたいと願って……。




  ◆    ◆    ◆




「よろしかったのですか?」


 聖都の地下施設。その教主の間にグライストの声が響き渡る。この都市における玉座ともいうべき場所に座る教主マグルスは、笑いを堪えるかのように薄く口元を引いて目の前の男を見据えていた。


「いいんですよ。逃げられたならそれはそれで……」


「そう仰るなら私に依存はありません」


 グライストにはせっかく捕らえていたシンヤ達を逃がしたというのに、追手も出さないどころか、何の指示も出さないマグルスの意図がわからない。逃げた人数で言うのであれば結界を維持するのにさして変わりない程度だが、眼前の男は一度目をつけた相手を見逃すとは思えなかったのだ。


「ああ、クリス君はどうしてますか? 今回のいたずらはあまりよろしくありませんでしたから……」


「きつく言い聞かせました。部屋の外に出る事もしばらく禁じています」


「貴方がそれで良いと思うならそれでいいでしょう……そういう約束ですからね……」


 想定の範囲の問いかけに表情を変えずに答える。息子の事に口は出さない。その交わした約定を違えるつもりはマグルスにはないようでグライストは内心で安堵していた。


「それに……逃げた彼等はそのうち向こうからやってくると思いますよ」


「またここに来ると?」


 マグルスの呟きに疑問を感じる。リュートの性格を考えれば、簡単に引き下がるとは思えないが、今回の事で手の届かない場所に逃げるという選択肢を選ぶとグライストは思っていたのだ。


「ええ。間違いなく……。逃げ隠れするような方ではないのですよ。それにシンヤ君も……必ず戻ってくるでしょう」


「彼に何かあるのですか? 稀有な力を持ってはいるようですが、扱う当人は凡人の域を出ていない」


 要領を得ないマグルスの言葉にあの真面目そうな青年を思い出す。グライストの見立てでは彼に武の才は無い。一度目を見張る動きをして来たが、それも対処できない程では無かった。


 その程度の男をどうしてここまで気にするのだろうかと疑問が口から出てくる。


「ふふっ。そのうちわかりますよ……次は必ず捕まえてくださいね」


「はい。……では私はこれで失礼します」


「期待していますよ……」

 

 答える気が無いマグルスに、グライストは頭を下げ部屋を後にする。たとえどのような理由があろうと、やるべきことに変わりはなく、ただ唯一の守るべき者の為に粛々とこの場所を守るだけなのだ。


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