2章-42話 里の現状

 柵もフェンスも無い岸壁。


 一歩踏み出せば確実に命を落とすであろう場所に、歩ける幅はほんの数メートル程度しかない。シンヤはただ立ち上がるだけでも怖気てしまいそうになるが、かといっていつまでも座り続けるわけにもいかずゆっくりと腰を上げた。


 高所恐怖症というわけでは無いが、出来るだけ下を見ないようにしてクロエ達の居るところまでなんとか歩く。


「シンヤ、大丈夫だった?」


「あり、がとう、クロエ。助かったよ」


 命綱の無いジェットコースターはシンヤの三半規管を揺らし、吐き気をもたらしていたがなんとか耐えられている。あのままステラが空中で大立ち回りで魔物の相手をしていたら、死にはしなくともしばらくの間立ち直れない事になっていたかもしれない。


「無事で良かった。いつまでもこっちに来ないから心配になって様子を見てたら、大変な事になってるんだもの。魔物がいるところであまり大きな声をだしちゃダメだよ」


「……ごめん」


 クロエのおかげで最悪の事態が免れたのだ。魔物に襲われたのはシンヤが騒いだせいなので、弁明のしようもなく素直に頭を下げるしかなかった。


「お前達こっちだ。空いている家に案内するよ。あたしはその間に爺に話をしてくるからそれまでそこで待っていてくれ」


「ありがとうステラ」


「いや気にするな。あたしにはあたしの理由があるからね」


 気落ちしているシンヤにステラがついて来るように促してくる。礼を言うクロエに彼女は首を振ってこたえた。


 足場の少ない地面を踏みしめて彼女のあとを歩く。岸壁を抉り、木材を持ち込んで作った家。その一つに案内されるとステラはすぐに外へ出ていってしまう。中は土の冷たさを緩和する為に板を壁面に張り付け、寝る為の布が置いてあるだけ。そこにシンヤ達は座り、呼ばれるのを待つことになった。


「大変な場所だね……」


 一息いたシンヤはぽつりと言葉を零す。


 霧の谷の岸壁に家を造り、そこに住んでいる彼等の状況は良くない。ただでさえ身体能力が高いわけではない鳥人という種族は、本来であれば外敵の少ない場所で暮らす。


 飛べるという利点から聖都のような大きな空洞のある洞窟に村を造ったが、屍人という驚異から免れる為にあえてここで暮らしている。それは食料の安定供給も出来ず、常に魔物という危険と隣り合わせにあるという事。


 案内された家に来るまでに里の様子を窺ったシンヤは、何人かの鳥人を見たのだが、その顔には生気が薄く、疲れ果てているように見えたのだ。


「交渉としてはやりやすいがな……」


「兄さん、必死で生きている人達にそんな言い方しないで」


 事実生きるのに適さない場所で暮らす彼等が、あの洞穴に戻れるのであれば、リュート達の言葉も聞き入れやすい。それでもクロエは兄の言い方を注意する。今のこの世界では生るだけでも過酷だ。


 だからこそ、もっと敬意をもって話さなければ、納得できるものも出来なくななってしまう。彼女はそう言いたいのだろう。


「すまん……今のは俺が悪かった」


「ううん。でも彼等には出来るだけ迷惑はかけないようにしたいの」


 過酷なとは言え、ここで生きる事が出来ているのだから、自分達が原因で血を流させたくはない。とはいえ宝具が無ければ聖都の結界は切り崩せない。だから誠意をもって納得してもらいたいのだ。


「交渉って断られる可能性がそんなに高いのか? マグルスにバレるからって言うけど、短剣一本見られただけで、どこから持ってきたとかわからないだろ」


 シンヤには鳥人達の拒否する気持ちはわからないではない。彼らの故郷を無理矢理奪った人間と同じ種族に協力したくないというのはわかるのだ。だが、短剣一本で危険が降りかかるかもという理由は理解できなかった。


「破魔の短剣は鳥人族の宝。かつて邪神の結界を切り裂いたとも言われる。この世で二本と無い伝説の遺物だ。もし奴に見られれば確実に鳥人が絡んでいると思うだろうな」


「そうなったら敵意ありと判断してここに攻め込んでくる、か……いっそおれ達が奪い取って、もう皆殺したって事にしたら?」


「確認を取りに来るだろうな……だから絶対に失敗しないという前提でなければ、鳥人の長も首を立てに振らないだろう」


「じゃあどう……」


「待たせた。爺が会うってさ。ついてきてくれ」


 確証など用意できるものではない。となればどうやって説得すればいいのか考えつかないシンヤの言葉はステラに遮られた。


 シンヤ達は彼女について慎重に岸壁を移動する。地面の途切れた個所は木材で繫げてあるだけなので、踏みしめるたびに軋む音にシンヤはその都度肝を冷やしていた。


 案内された先は先程の部屋とあまり大差ない簡素な造りをしている。違うのは寝台があり、そこに一人の老人が座っていることだろう。


 顔に年を重ねた分の皺を刻み、長く伸びた眉でその瞳は隠れており、窺う事は出来ない。だが、発せられる雰囲気でシンヤにも目の前の老人が鳥人の長なのだろうと判断する事が出来た。


「……帝国の皇子だとか?」


 おもむろに口を開いた老人は眉毛を持ち上げ、その年齢にそぐわない鋭い瞳でリュートを見据えた。


「元、です。今は滅んだ国ですから」


「大差はない。かの国があろうがあるまいが、儂らにはあまり意味はないからな」


 元々帝国の領土で暮らしていた鳥人達だったが、帝国民として生きていたわけではない。領内における自治権を認められ、その見返りに飛行能力を帝都に提供していた。その為、帰属意識などなく、自分達だけの力で生きてきてという誇りを持っているのだ。


「それで、頼み事があるとか?」


「……聖都を解放をする為にお力をお貸しいただきたい」


 ステラの時と違いリュートはすぐにその目的を告げる。おそらくすでにステラから話は聞いているのから、回りくどい話に意味はない。


「破魔の短剣じゃったな……だがあれを渡せばあの男は儂らを許すまい。お主らが失敗すれば、儂らも終わりじゃと言う事。それは受け入れられる話ではないな」


 ステラにも言われた言葉、おそらく全ての鳥人が考えつくところは同じ、いかにして種族を守るか、その為にどう判断をするか、それだけなのだ


「そうかもしれません。ですがいずれあの男は生き残った人間全てを結界の糧とするでしょう。そうなれば同じではないのですか?」


「言いたい事はわかる。ステラから話も聞いた。あの街の結界は人の魂を食らうと……。だがすぐに儂らを狙うわけではあるまい。時間さえあれば隠れ続ける事も出来るやもしれん」


 道中で聖都の事はステラ達に話をした。結界は魂を食らって屍人や魔族、魔物の侵入を防いでいる。あの場所で暮らす人は全て結界の為の消耗品。電池と同じで無くなれば交換が必要になるのだ。


 生き残っている人の少ない世界で、マグルスは自分達以外の全てを犠牲にするだろう。それは鳥人達も例外ではない。いずれ捕まり、聖都の為に捧げられてしまう。


「おいっ爺っ! いつまでふてった事抜かしてんだよっ。今やらなきゃあたしらに先は無いだろうがっ!」


「ステラ様、お下がりください」


 シンヤの背後から押しのけるようにステラが前に出てきて、薄緑の髪を振り乱して長に怒鳴りかかる。今にも掴みかかりそうな勢いに、周囲に控えていた鳥人が止めにかかった。


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