2章-37話 傷痕
微かに聞こえた叫び声。
嫌な予感を感じ、クロエはクシュナと共に地下通路に続く階段へ向かう。
通路に降りるとクロエの耳に、先程よりもはっきりとした叫びが届く。
シンヤの身に何かが起こっているのだ。
すぐにクロエは通路の奥へと走り出す。
グライストが向こう側に来たのであれば、もうすでに全員が捕縛されているか、殺されているかだが。
何かが違う。
言いようのない不安感がクロエに襲い掛かっていた。
クシュナの持つランタンの明かりを頼りに進んで行くと、結界を通り抜ける感覚が訪れ、さらに先には明かりが見えてくる。シンヤの持って行った明かりだろう。
クロエの視界に飛び込んできたのは信じがたいものだった。
「シンヤ? ………っ?!」
シンヤの持っていたランタンは地面に転がっている。その明かりに照らされているのは、首から上の無い女性の死体と、何かを抱えて座り込むシンヤ。
辺り一面には血が飛び散っていて、あまりの惨状にクロエは思わず息を呑む。
「シンヤっ!」
全身が血に染まっているシンヤに駆け寄り、肩に手を添えようとするが、右肩には肉を裂いたような痕があり、クロエは躊躇して手を引く。
よく見ると左腕にも深い傷が見え、その二つの傷は明らかに噛み千切られた痕。
零れ落ちる涙をそのままにシンヤの眼が、虚ろに虚空を見つめている。
傷も浅くは無いが、それよりも彼の眼がこの惨状の理由をクロエに教えているような気がした。
「……何が、あったのっ?」
「……シー、ナ……が」
肩の傷に手をかざし治癒の魔法を唱え、再度声をかける。反応がないかに思えたシンヤだったが、ゆっくりと視線をクロエに向け、乾いた唇を動かす。
声を出すと同時に、しっかりと胸に抱きしめていた腕が緩められる。
「……っ!?」
クロエは彼が抱えている物に視線を向けると、すぐにそれが何かを認識する事が出来た。
それは頭部。
すぐそこで倒れている死体。シーナの頭をシンヤは抱きしめていたのだ。
「ど、うして? ……!!」
疑問を口にするが、すでにクロエの頭には最悪の状況が浮かんでいる。食いちぎられた傷跡、首から上の無い女性。
シーナは屍人に変異してしまったのだと。
考えがそこにしか行き着かなかった。
困惑がクロエを支配していくが、刺された彼女を治療した際に感じた違和感を思い出す。シーナを治癒した際、彼女の呼吸と心臓は完全に止まっていたのだ。
手遅れだと、そう思ったのだが、傷が塞がるとシーナは息を吹き返した。その時はただ間に合ったのだと思ったのだが、
「……最初から、死んでた?」
今のこの世界では死んだ人間の魂は肉体を離れない。
それは天界という魂の行き場が封印されているから。魔族はその魂を呪法で変質させ、屍人へと変質させているのだ。
結界内ではその呪法の効力は無い。それは人間が魔族に抗う為の唯一の手段だったはず。
結界の中で死んだ魂は変質せず漂うだけになるはずなのに。
この聖都に張られているものは、クロエの知る結界とは根本が違う。儀式で肉体に何らかの呪を刻み、肉体の中に留めた上で魂を吸わせているのだ。
儀式を受けた人間の最後。
頭をよぎるそれは、悪夢のような仮説。
クロエもシンヤと同じように、儀式を受けた人間でも聖都の結界さえ解けば生き続ける事が出来るものだと考えていた。
だが、この状況を見るだけでも、クロエの考えが間違っていたのだと示唆している。
…………この聖都の住人全てが、千人単位の人間が、すでに死んでいたという事実に他ならない。
言い知れぬ不快感が、クロエの中でじわじわと広がっていくのを感じた。
「ごめん……シンヤ。ごめんね」
状況を理解したクロエは、虚ろな目をしたシンヤを抱きしめその傷の深さを思う。
シンヤとシーナの間になにがあったのかはわからない。それでも、二人の短いやり取りを見て、信頼関係にあることはわかっていた。
彼は優しい人だ。
平和な国で育ったシンヤは、訳もわからずこの残酷な世界に放り込まれ、それでも自分なりに生きて行こうとしていた。
人を殺した事などあるはずの無い彼が、必死の訓練で身に着けた剣技で、いくら屍人に変貌してしまったとはいえ、近しい人間の首を刎ねる事にどれだけの負担を強いられたか。
「わたしが、気づいていれば……」
心優しい彼では無く、罪を背負っている自分が代わりに。
クロエが儀式の本質に気づいて、シーナを外に出さなければ、リュートを待たずに一緒に行動していれば……選択肢はいくつもあり、その全てを見過ごしてしまい。
結果、シンヤに深い傷を残す事になってしまった。
身体の傷は魔法で癒す事が出来る……だが、心の傷を癒す事は簡単ではないのだ。
「クロエ姉……ノエルと合流しよう……このままここにいるわけにもいかないしさ」
シンヤを抱きしめたままのクロエに、クシュナが申し訳なさそうに声をかけてくる。
もうじき日が昇る時間だ。
通路の先で待っている子供達を逃がさなくてはならない。死者の刻限が終われば外には出られるが、それは聖都の人間も同じこと。
湖畔の村に逃げ延びる為には、出来るだけ早く行動しなければならないのだ。
「……うん……シンヤ。動ける?」
「……あ、あ」
傷の治療は終えた。出血は止まり、千切られた肉が埋まったわけでは無いが、動くことに支障は無いように見える。
だが、クロエの問いに短く返答するシンヤには焦燥感が濃く漂い、顔に生気が無いように思えた。
その心に刻まれた傷が心配ではあったが、今はこの街から早く連れ出して、心身ともに休ませる事が大事なのだと、クロエは気持ちを切り替え、聖都を脱出するために暗い通路を進む。
暗く先の見えない通路は、まるでクロエ達の心を表すかのようだった。
◆ ◆ ◆
聖都の地下施設を脱したリュートは、クロエ達が向かったクシュナの抜け道へと急いでいた。
マグルスの言葉が気にかかる。
何事も無ければいいと思いながら人気のない街を急いだ。
「っ?!」
ふと人の気配を感じ、立ち止まって振り返る。
もうじき日の出とはいえ、人が外に出る時間にしては少し早く、追手かと思い警戒するが敵意は感じなかい。
数秒待つと物陰から見知った女性が歩み出てくるのが視界に映った。
「セラか……?」
「……」
小さく名前を呟くリュートに、ゆっくりと近づくセラは声を出さないようにと、自身の口元に指を立てた。
無言のままリュートの傍までくると彼女は胸元から一枚の紙を取り出し、リュートに差し出す。
「……?」
状況に疑問を感じながらリュートは折りたたんであったその紙を開く。そこには走り書きだが間違いなくセラの筆跡が書き記されていた。
「っ?!」
手紙に目を走らせ、読んだ内容にリュートは目を見開き顔を上げる。普段感情をあまり外に出さない彼女の難しい表情が眼に映った。
「……」
セラは無言のままスカートの裾を摘まみ優雅に一礼すると、踵を返して街の中へと消えていく。
彼女は、彼女にしか出来ない事をする為にこの街に留まるのだ。
「……わかった。任せておけ」
姿が見えなくなるのを待ってリュートは届かない言葉を返す。
セラの渡してきた手紙の内容が真実なのであれば、まだリネットを助け出し、マグルスの野望を打ち砕く手段があるのだと言う事。
握り締めていた手紙をしまうと、リュートはクロエ達を追う為に街の中を駆ける。
この聖都に必ず戻ると心に誓って……。
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