二章二部 破魔の力

2章-38話 殺意

 聖都の地下施設は広大だ。


 元々鳥人の住んでいた洞穴、その地下を掘り抜き、綺麗な石壁へと整備するのには、膨大な時と人員が必要になる。現在聖都を支配している教主マグルスは、大襲来が起こる以前よりアリオンと共に大規模な工事を進めていた。


 工事はマグルスが帝都に捕縛されてからも続き、本来であれば別の用途に使われる予定のその場所は、大襲来という惨事に見舞われ、逃げ延びた彼等の聖地へと変わったのだ。


 当時、野心に燃えていた上位貴族のアリオンは、人身把握術に長けたマグルスを利用するつもりで協力していたのだが、破滅の世界では彼の思惑とは違う方向へと進んでいた。


「お前がっ! もっとっ! 上手くっ。立ち回れないせいだっ!」


「……ぐぅっ! もう、しわけ、ありません。お父……さま」


 薄暗い地下の一室。


 アリオンに与えられている私室の奥。そこに二人の人間がいた。


 一人は部屋の主で束になった鞭を幾度も振るっているアリオン。


 もう一人は天井から垂れる縄で両手を縛られ、身動きの取れない全裸のセラ。あられもない姿で縛り付けられている彼女に、実の父であるアリオンは、その背中に息が切れる程に強く何度も鞭を打ち付けていた。


「はぁ、はぁ、はぁ。……お前があいつらを捕まえていれば、マグルスから疑いの眼を逸らす事が出来たものを……まさかわざと逃がしたわけではあるまいなっ」


「い……いえ。私はお父様に言われた、通り、に……地下施設の抜け道から……彼らが、逃げるのを防ぎ、ました」


 アリオンに命じられたのは、地下施設から脱走を図るリュート達の逃走を防ぐ事。


 父からの命令があったからこそ、グライストが待ち受けていた通路を通ろうとしたシンヤ達を止める事ができたのだが、それをマグルスから指摘されたのだろう。


 最低限の目的を達する事が出来たセラは口角に笑みを作るが、その表情はアリオンの視界に入らない。


「言い訳は良いっ! お前は言われた以上の事ができるだろう? つまりはお前の考えが甘いせいで儂が責められたのだっ!」


 昔から何も変わっていない。


 背中にはいくつもの古傷がある。それは幼いセラにアリオンが今と同じように鞭で打って出来たもの。必要以上の教養を求めた父は彼女が失敗をする度に鞭を振るった。


 出来て当たり前。


 出来なければ体罰でもって身体にわからせる。


 そうして育てられたセラは、その美しい見た目と強制的に身に着けられた高い教養でもって、父の権威の為に十になるころに、五十になる貴族に売られたのだ。


 父につけられた古傷の上にまた父が傷を刻んでいく。


 激痛がセラを襲うが、彼女にとってこの程度の痛みを耐える事は何の問題も無い。


 最後に見たリュートの姿が脳裏に浮かぶ。父の反応を見た限り、彼等は無事にこの聖都を抜け出す事が出来たのだろう。


 ならば彼女の目的の一部は達成できた。


 後は、渡した手紙で、リュート達が必ず必要な物を揃えてここに戻ってくる。


 その時までにセラがやらなければならない事は多いが、手駒の少ない父は、すぐにセラを使うだろう。


 背中に走る痛みは今しばらく続きそうだったが、その痛みよりも強い愉悦がセラの頬を緩ませていた。 


 


  ◆    ◆    ◆




 雨が降っていた。


 激しい雨ではなく、しとしとと降り注ぐ雫はシンヤ達の身体を濡らしていく。


 ぬかるんだ地面を踏みしめて、抱えていたシーナを林の中に埋葬する。離れてしまった頭部と身体を合わせるようにして掘った穴の中に埋めた。


 聖都からの追ってを考え、ここにはシンヤの他にはクロエと合流したリュートだけ、助け出す事ができた四人にはノエルとクシュナと共に、夜営地へと先に向かってもらっている。


 あまり時間も無いので、盛り上がった土の上に形の良い石を墓石代わりに置き、しばしの間、手を合わせた。


「シンヤ……大丈夫?」


「……大丈夫。下は向いていられないからさ」


「きっと彼女の魂はシンヤを見守ってくれてるわ」


「ああ……そうだといいな」


 気持ちの整理など出来てはいない。


 安定とは程遠く、シンヤの心の中は未だ嵐のようにいろいろな感情が渦巻いているのだが、ここで立ち止まっていてはシーナの、彼女の気持ちを無下にすることになってしまう。


 ただ、感情の奥底にある最大の原動力は……怒り。


 聖都の……マグルスに対する怒り。腹の底から込み上げてくる黒い感情、心のヒビ割れが大きくなっているのを感じていた。


 だが、それがあるからこそシンヤは顔を上げる事が出来ているのだ。


「少し……いいか?」


「どうしたんだリュート?」


 シーナを墓に埋めるまでは無言で手伝ってくれていたリュートが、祈りを終えて立ち上がったシンヤに声をかけてきた。


「ノエル殿にはもう話したのだが、俺達は湖畔の村に戻らない」


「……?」


 せっかく聖都から脱出する事が出来たのだから、そのまま村に戻る物と思っていたシンヤは首を傾げる。


 村に戻らないのであればどこに行くのか。


「お前達と合流する前にセラから手紙を受け取った」


「セラさんから?」


「ああ、この聖都の結界を破壊するための方法が書かれていた。だから俺とクロエは必要な物を取りに向かう」


 懐から一枚の紙を取り出したリュートは、その内容をかいつまんで話してくれる。実際セラの書いた手紙は時間が無かったのか短いもので、結界を解くための手段、それに必要な道具の名前しか書かれていないかった。


「お前は……どうする?」


「兄さんっ?! さっき話したでしょっ? シンヤには村に居てもらおうって」


「決めるのはこいつだ。足手まといになるなら置いていくだけだしな……」


 どこかで聞いたような台詞だとシンヤは思った。


 この世界に来たばかりのころ、リュートに同じような言葉を投げられた。その時とは状況は違うのだが、シンヤの答えは決まっている。


「……おれも行く」


「シンヤっ?! ダメっ。あんなことがあったんだよ、しばらくはゆっくり休まないと」


「クロエ……シンヤの覚悟はできている。それに残っていろと言っても勝手について来るだろう」


「ありがとうクロエ……でも今はじっとしてたくない。どういうわけか身体の調子も良いし、リュートが言うように足手まといになったら置いて行っていいからさ」


 クロエの気持ちは嬉しかった。


 だが、リュートの言うように決意は変わらない。


 機会があるのなら、もう一度あの場所に行くことが出来、あの男に会う事ができるのなら……。


 無意識に握りしめていた両の掌が自身の爪で裂けるのを感じた。


 ……シンヤは自分の手でマグルスを殺したいのだ。



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