2章-29話 偽りの想い

 居住区の中、曲がれる角に入りながら走る。


 シンヤの考えが間違っていなければ、セラは追ってはこないはずだが、彼女の反応を見る限り、他に誰かいるかもしれない。


「シンヤさん、あの方は……?」


「ああ、あの人はセラさん、おれの居た村のメイドさんだよ」


 ただのメイドと呼ぶには無理のあるほどに有能な万能メイドなのだが、説明するには話が長くなってしまう。


「大丈夫なのですか?」


「多分、追ってはこない……。何か考えがあるから、あそこを通してくれなかったんだと、思う……」


 追ってこないのか心配なのだろう。後ろを振り返りながらシーナが質問をしてくる。


 実際のところ、なぜ脱出を阻むのかわからないのだが、本気で捕まえてくる様子はなかった。よく考えてみればあのセラが本気だったなら、シンヤ程度もう死んでいるか捕まっているかのはず。


 それなのにこうしてシンヤが逃げ延びているということは、余程手加減をされていたということなのだ。


「こりゃ師匠に怒られるレベルだ……」


 一撃を与えられた時、すぐ気づくべきだった。だが、シンヤが気づいたのはセラの表情の変化を見た時だった。『判断が遅すぎるっ』、とロニキスが見ていたら頭を殴られていただろう。


 もう一つ、シンヤには気になることがあった。


「どうして居住区で大声を出して暴れたのに誰も出てこないんだ……?」


「うん。いくら上層の陽動があったとしても、さすがに誰もいないのは変だ」


 シンヤの呟きを聞いたクリスも疑問を浮かべる。


 この地下施設は音を良く反響させているのだ。寝ていたとしても、信者全員が気づかないとは考えにくい。


「最初から気づかれていた?」


「もしそうだとしても、引き返せないよ」


 シンヤ達が連れ出されることをわかっていて、泳がせているのか? そんな疑問が頭に浮かぶが、今戻ったところで警備がきびしくなるだけだろう。


 引き返す選択肢はすでに無くなっているのだ。


「……わかってる。……クリス、他に抜け道はないのか?」


「僕が知ってる道は数が少ないし、だいたい塞がれちゃってるから……」


「大丈夫! なら正面から行けばいいだけだっ」


 シンヤは申し訳ないような顔をするクリスの頭を撫で、出来るだけ明るい声で話す。信者達が出払っているとしたら、それは抜け道を塞ぐ為だろう。


 であるならば、正面からでも変わらない。


 どこから向かったとしても、グライストにさえ会わなければチャンスはあるのだから。


 シンヤ達は慎重に歩を進める。


 時折信者の集団を見かけたが、なんとか見つからずに上層へと続く扉に辿り着く。


 扉を開け中に入ると、シンヤ達は階段の脇で少しばかりの休息を取ることにした。


「ごめんシーナ、おれを助ける為に、巻き込んじゃって……あと、ありが……」


「いいんです。私、わかってましたから……おかしいんです……私の頭の中には、私じゃない記憶が、たくさん残ってるんです」


「……?」


 シーナの隣に座りシンヤは声をかける。


 彼女にしてみれば当たり前の日常を送っていたのに、いきなり現実を突きつけられ、シンヤ以上に混乱してるはずなのに、危険を冒してこんなところにまで来てくれた。


 シンヤは謝罪と感謝を伝えたかったのだが、シーナはそれを遮る。


「クシュナさんに聞いた話で考えてみたんです。……きっと、私は何回も記憶を上書きされていて、だからこんなにもいろんな記憶が混じってるんだと思うんです……」


「シーナ……」


 聖都の人間は全員が記憶を操作され、特定の話をしても反応が無い。だが、彼女は自分の意思で行動出来ているように見える。


 彼女の感じる違和感、他の住人と違う理由は、何度も記憶を上書きされたからなのだろう。


 どこか他人事のように話すシーナは、顔を伏せて言葉を続ける。


 シンヤは異世界の記憶との齟齬が大きい為、違和感を感じる事が出来た。シーナは誰にも相談できず、不快感を常に感じながら生活していたと言うのだ。


 記憶を戻してもらったシンヤには記憶が二重に残っている。


 アウラのおかげで区別することができ、今はテレビで見た程度の感覚になっている。だが、シーナは、別の誰かと記憶を擦り合わせる為に別の人間にされ、そしてまた別の誰かにされていたのだ。


 理由を知らず残る記憶の断片は不快感となり、苦痛にしかならない。


 消された記憶が時折襲ってくる苦しみは、きっとシンヤにしかわからない。いや、複数の記憶が残るシーナは、それ以上の苦しみだったはずなのだ。


「大丈夫です。今は少しだけすっきりしていますから……クシュナさんの話を聞いて、牢でシンヤさんの反応を見て……ああ、本当に私は、誰でもなかったんだなって……そう思ったら逆に元気が出たんです」


「……シーナ、聞いて。おれの着けてるこの指輪には不思議な力があって、君の記憶も戻せるかもしれないんだ」


 シーナの自暴自棄な発言に、シンヤは彼女の肩を抱き寄せると、優しく落ち着かせるように声をかける。そして、右指に嵌る指輪を見せた。


 何度問いかけても答えてくれないアウラだが、それなりに長く身に着けていたせいか、微かにその存在を感じる事が出来ている。なにかきっかけがあれば、またあの独特な口調でシンヤに声をかけてくれると信じているのだ。


「この指輪で……?」


「意思のある魔具なんだけど……今は、少し力を使いすぎたみたいで眠っちゃってるんだ……だけどきっとすぐに起きてくれると思うから……そうしたら君の記憶を戻して、おれ達の村で暮らそう」


「……はい。……そう、したいです。……もちろんシンヤさんと私は一緒に住むんですよね?」


「そ、それは作られた記憶だから……」


 顔を上げシーナはシンヤの顔を見つめる。


 彼女の好きだと思う記憶は、作られた物。それを真実だと思っているのだから、シンヤはその好意にも喜ぶ事が出来ない。


「たとえ作られた記憶だとしても、……今の私はシンヤさんが好きです。……記憶が戻ったあと、まだ同じ気持ちでいられたら、一緒に居てくれますか?」


「……記憶が戻って、それでも同じ気持ちだったら、もう一度話しようか」


「信じてませんねシンヤさん。……私、今感じてる気持ちを疑ってしまうと、何を信じていいかわからないんです。……きっとこの気持ちを忘れないって、そう信じる事にしたんです。だから、約束ですよ」


「……わかった」


 シンヤの感情が伝わったのか、シーナはさらに言葉を上乗せしてくる。偽りの記憶でも、今の気持ちを信じる事で彼女は前に進もうとしているのだ。


 シーナがどう変わってしまうかわからないが、アウラが戻れば結果は出る。


 だから、シンヤが感じている淡い気持ちも考えないようにする。今は無事にここから連れ出してあげる事だけを考えようと、笑顔を浮かべ優しく彼女の頭を撫でるのだった。


「……さあ、そうと決まれば、クリス君も行きましょうっ」


「はい、わかりました」


 微笑むシーナは覚悟を決めたのか、勢いよく階段から立ち上がり、シンヤの手を引き立ち上がらせると、クリスにも声をかける。


 この階段を上れば上層部、後は地下から出てクロエ達と合流し、脱出するだけ、そう考えるとシンヤの足も少しばかり軽くなるのを感じていた。




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