2章-28話 メイドの思惑
両手を地につけて痛む身体を起こす。
目の前にいるのは厳しくも優しい紫の髪のメイド。彼女は拳を握り締め、その両手を身体の前で構えた。
「セラさん……なんで?」
冷たい視線に晒されたシンヤは震える声で問いかける。事態を飲み込むことが出来ず、理解する事が出来ないでいるのだ。
「もう一度言います。ここを通すわけにはいきません」
「セラさんも操られて……る?」
この聖都では人々の記憶を改竄し操っている。
その魔法を使える人物は司教の一人、オーグスだけと聞いていたが、思いのほか早く回復してしまったのか。それとも別に魔法を使える人間がいたのか。どちらにしてもシンヤの記憶の中のセラと目の前の人物との眼差しが違いすぎるのだ。
「……いいえ。私は操られてなどおりません。私は私の意思でここを通さないと言っているのです……」
「……っ?! なんで? どうして?」
「もしここを通りたいというのであれば……私を倒して進んでくださいっ!」
セラの言葉を聞き、頭の中が混迷を極めているシンヤに、地を蹴った彼女は右腕を振り上げて襲いかかる。咄嗟に両腕を顔の前で交差するが、読まれていたのか、拳が防御をすり抜けるように腹部へと突き刺さった。
「ぐぅあぅっ!!」
内臓が全て出てしまうのではないかと思う程の痛みに、口から胃液をまき散らしてシンヤはさらに後方へと飛ばされてしまう。
「広間での動きはどうしたのですか? このまま私に捕縛されてまた牢へと戻りますか?」
「お兄さんっ!」
「シンヤさんっ!」
「ぐっ、げほっ! げほっ! ……大、丈夫……」
痛みと吐き気が身体を襲う。
その姿を見てクリスとシーナが再度悲鳴のような声をかけてくるが、駆け寄ろうとしてくる二人を片手で制止する。
シンヤにはセラが何を考えているのか理解できない。その上理由も答えてくれる気はないようだ。
それでも、ここで捕まってしまえば、手伝ってくれている二人に危険が降りかかってしまう。
シンヤは一旦引き返す事も考えるが、身構える今のセラが、ただ黙って行かせてくれるとは思えない。
セラの思惑はどうであれ、捕まればマグルスの拷問にかけられるのかもしれない。シンヤは牢での凄惨な事を思い出し、それを二人に味わわせたくなかった。
「……すみませんセラさんっ!」
両手を握りしめたシンヤは、痛みを押し殺してセラへと向かう。たとえ彼女を傷つけることになっても、ここで捕まるわけにはいかないのだ。
女性を、それも仲間に拳を振るう事に戸惑いを感じていたシンヤの攻撃は単調になる。
ただでさえ実力差のある相手、その攻撃はセラに簡単に打ち払われ、またも右腕がシンヤの脇腹を抉ってくる。
一瞬息が詰まるが、耐えれない程では無く、シンヤはよろめく足に力を籠めてもう一度彼女へと拳を振り上げた。
「遅いです。そんな動きでは武の心得のある人間には通用しません。……ロニキスに……あの人に何を習っていたのですか?」
「……っ!?」
何度も地面へと転がされるシンヤに、セラは呆れたように声を投げた。
それを聞き言葉を失う。
ほんの数日前にシンヤ達を守って死んだ師である狼人のロニキスを思い出したのだ。何度も地に転がされた訓練で、格上を相手にする時にはどうしろと言われたのかを……。
(弱え奴が強え奴を相手にする時は、真っ向からじゃ無理だ……格上なんだからよ。だから虚を突け、目つぶしでもなんでもいい。普段やらない事をやって少しでも隙をつくるんだよ。……じゃなきゃお前が死ぬ。これから会う奴らは大抵、お前より強えだろうからな。がはははっ)
ロニキスは最後に必ず盛大に笑う。馬鹿にする時も、真剣な話の時も、あれは彼なりの照れ隠しだったのかもしれない。そう思うと自然と口元に笑みが浮かぶ。
だが、虚を突くと言っても、周囲に何もない状況でどうすればいいのか。
悩んだシンヤは、無言でこの聖都で着せられた服を脱ぎだすと両手で絞るように持つ。
「本当にあの駄犬は何を教えていたのですかっ……?!」
「違いますからねっ!……まあ見ててください。おれ達はそこを通りたい、セラさんはおれ達を通さない……だったら、無理にでも通らせてもらいますから……」
上半身をさらけ出した姿を見て、さらに冷えた口調で話すセラに、声を荒げて抗議した直後、シンヤは手に握った服を持ったまま足を踏みだす。
「威勢だけは認めますが、シンヤ様では私に勝つことはできませんよ……」
「……」
懐に飛び込むシンヤの動きは読まれ目の前に拳が迫る。
セラはどういうわけかずっと右手のみを使い攻撃してきていた。それに気づけば、低い姿勢に対しての予測は成り立つ。
セラの右手だけに集中し、その動きだけを意識したシンヤは、当たる寸前で攻撃を躱し、両手で縄のように握った服を彼女の腕に巻き付けた。
「……っ!?」
「せいやぁぁぁぁっ!」
背負い投げ。
巻き付けた服を締め上げ、後ろを向いて足をかける。驚きで固まったセラを、シンヤは気合の声を上げて投げ飛ばす……はずだった。
シンヤの行動に虚を突かれたセラだったが、投げられる前に身体をねじり腕の束縛を外しにかかったのだ。
「甘いです……くっ!」
「うわぁあっっ!」
不慣れな技をかけられたということもあるが、背負った状態で腕の束縛から抜け出そうとした為、態勢を崩した二人はその場で
予想外だったのかシンヤだけでなく、セラまで短く驚きの声を上げた。
「いっつつっ!」
急いで顔を上げるシンヤだったが手元には柔らかな感触。自身の手が置いてはならない人の胸にあることに気づき、そのまま視線を動かす。
「こんな状況で、そういう事をなさるのですね……そういうところは似なくてもいいですのに……」
「……ちがっ! すみませんっ!」
その感触を楽しむ余裕などなく、やってしまった恐怖を感じ、すぐに左手をどける。
先ほどまで冷めた瞳をしていたセラが一瞬、呆れたような顔を見せた。それは森の村でロニキスと失敗し、叱るときに見せていた表情だ。
「クリス、シーナっ、走れぇっ!」
「なっ……!?」
何かに気づいたシンヤは、右手に持ったままの服を彼女の顔に投げつけて声を上げる。
「っ!? 先には行かせませんっ!」
視界を塞いだ服を取り、顔を上げたセラが見たのは、抜け道へ向かう姿ではなく、引き返して行く三人の後ろ姿だった。
「……ふう、仕方ありませんね……」
その場に立ち上がるセラは汚れてしまったエプロンを叩き土埃を落とす。ゆっくりとした足取りで曲がり角の先を見るが、走り去った三人の姿は無くどこの角を曲がったのかも、もうわからなくなってしまった。
「申し訳ありませんお父様……ですが、私の言いつけられた事はあの子達を逃がさない事。この場は達成できたのですから許してください……」
誰かに話すようなセラの言葉は、誰もいない空間に短く響いて消える。次の指示があるまではここにいればいいと、彼女は壁に背を預けたのだった。
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