1章-57話 希望の光
指輪の光だけでは森の先を見通すことは出来ない。今いる場所がどこかはわからないが、捕まらないように、屍人の少ない方へと足を動かす。
走る、走る、走る。
背中にいるクロエは、シンヤの首へ腕を回し、落ちないようにしっかりとしがみついてくれている。その背後からは屍人が数を増やし、すでに数十匹を超えている。
背後だけでなく、前からも左右からも屍人は現れる。そいつらを避け、躱し、蹴り倒して進んでいく。
何度も木の根に足を取られそうになるが、それを上手く躱しながら走り続ける。
足を動かしながら、シンヤは初めてこの森に入った時のことを思い出していた。あの時も屍人の群れに追われながら村を目指したのだ。最後は逃げきれずリュートに助けてもらえたが、今回は誰も助けてくれないだろう。捕まったらそこで終わりなのだ。
身体の節々は痛み、肩の傷も痛む。その上、クロエを背負い走っているのだ。この世界に来たばかりのシンヤであれば、とっくに追い付かれていただろう。
ロニキスに鍛えられた訓練のそのほとんどは走ることだった。悪路を走り、重い荷物を背負って走り、剣の訓練をした後、傷だらけの状態で走った。
剣の才も魔法の才も持ち合わせていないシンヤが、生きる為に一番必要なのは逃げ切ることだと、ロニキスは笑いながら走り方を教えてくれた。
地味な訓練で、その時は文句を言っていたが、今は師匠に感謝しかない。
絶対に逃げ切って見せる。そう思い、足を動かし続ける。
進路を塞ぐ屍人を、腕でなぎ倒して進むが、時折振るった腕に噛みつかれ掴まれてしまう。その度に走る速度が落ち、背後の屍人との距離が詰まっていた。気づけば両腕は噛み傷だらけで血も滴っている。
心配するクロエに明るく話しかけながら、じきに来る日の出を待つ。
周囲は少しづつ明るくなってきていて視界も良くなってきてはいるが、まだ屍人は消えない。油断をすればすぐに取り囲まれてしまうだろう。
何時間走り続けたのだろうか。いくら体力が尽きないとはいっても、身体の痛み迄無くせるわけではない。二度に渡る強化もシンヤの身体に大きな負担を強いていた。
だが、朝日が昇るのも、もうじきだろう。
「聞いてくれクロエっ」
「なに?」
「おれは君に救われたんだ。この世界に来て君に見つけてもらって、君がいなければここにいなかったんだ。この世界の事、おれには全部理解できるわけじゃないけど、君に救われたって事だけは紛れもない事実なんだよ」
「シンヤ……」
「だから、ありがとう」
シンヤは走りながら声を上げる。辺りが白んできたので気持ちが軽くなったのだろうか。未だ危急な状況ではあるが、クロエに伝えておきたかったのだ。
どれだけ感謝しているか、どれほど救われたかを。
「……っ!?」
ようやく見渡せるようになってきた森の中、前方から来る屍人の群れが目に入る。数が多い。
進む先を変えようと速度を落としたのがまずかったのか、木の合間から唐突に現れた屍人に腕を掴まれてしまう。
「しまっっ……!!」
「シンヤぁぁっ」
掴んだ腕に噛つこうとする屍人が炎に包まれた。背負われたままのクロエが、無けなしの魔力を振り絞ったのだろう。
「シンヤ大丈夫?」
「大丈夫っ!」
「でも……このままじゃ」
『この状況、どうするのじゃ?』
クロエのおかげで転倒せずにすんだが、四方から集まってくる屍人の群れには、抜けれるような隙間が無い。
「クロエっ、諦めないと約束してくれ」
「こんな時に何を言ってるの?」
「いいから約束してくれ」
「……うん」
真剣な声でクロエに話かけるシンヤは、迫りくる屍人の波を睨みながら、最後の決意をする。朝日迄ぎりぎりだろう。少しでも長く時間を作り、絶対に逃げ切るのだ。
もうクロエの声に、先ほどまでの悲壮感は残っていなかった。
「アウラ、頼む。限界までスイッチだ」
『それしかないようじゃのう。じゃが、お主が死なないように調整すれば、ほんの数秒じゃぞ?』
「それでいい。あの群れを抜ければ、あとは運任せだ」
圧倒的な屍人の数を前にして、シンヤは驚くほど気持ちが落ち着いていた。死を覚悟したからだろうか? 否、それは死ではなく生きる為の覚悟をしたからだろう。
「行くぞっ」
シンヤが声を出すと、すぐにアウラは全身に魔力を流す。強化された爆発的な脚力は、地を蹴ると屍人の群れを飛び越える程の跳躍を可能にした。
二秒
着地して走り出す。眼前の屍人はそう多くない。周辺の屍人のほとんどが集まっていた為だろう。消えたシンヤを探すように動きが散漫になった屍人の群れを置き去りにし、振り返らずに駆ける。
三秒、四秒
森が開ける。まだ屍人は追いかけてきているが、あと少し、このまま撒ければ……。
五秒
『すまぬ。限界じゃ』
森を出てすぐに足がシンヤの意思と反して速度を落とし、態勢を崩してクロエと共に地面を転がった。
森の外は白んできた空が、色を失っていた草原に緑の色を付けてゆく。
「はあ、はぁ、はぁ、がぁあぁああぁぁぁぁっ」
草を握り身体を起こそうと力を籠めるが、訪れた痛みで力が入らない。全身の皮膚が裂け、筋肉がぶちぶちと音をたてて千切れていく。
「シンヤっ!」
「……ぐぅぅぅうっ」
だいぶ距離は稼げたが、屍人がシンヤ達を見失ったわけでは無い。程なく追い付いてくるだろう。
痛みを堪えてシンヤは叫び声を抑える。これ以上屍人を寄せつけるわけにはいかないのだ。
「クロエ……逃げろ」
「ダメ。置いて行かないっ」
自身の血で濡れていくシンヤに手をかざして治癒魔法を使う。
わかっていたことだが、彼女は何を言っても一人で逃げたりはしないだろう。
「お願い。もって……だめだめだめっ。もう少しだけ……」
クロエの魔力はほとんど残っていない。微かに光を放っていた手は、すぐに消えていってしまう。シンヤの出血を抑えることはできたが、最後に残った魔力を全て使い切ってしまった。
クロエの魔法で痛みも多少は緩和できたシンヤは、上半身だけを起こし森を見る。そこには数百となった屍人が押し寄せてきていた。その波は、数十秒もかからずにシンヤ達の元へと辿り着いてしまうだろう。
「……クロエ。あいつらが追い付いてきたら、殴り倒してやろうぜ」
「あんなにいるのよ?」
座り込んだシンヤは顔を上げて明るい声を出す。
「大丈夫だって。クロエも半分殴るんだよ」
「えっ?! ほんとにやるの?」
出来るわけがない。追い付かれたら後は殺されるだけだ。シンヤの身体はほとんど動かすことが出来ない。それはクロエも同じなのだろう。
だが、笑みを浮かべるシンヤは、恐怖をあまり感じていなかった。やれる事は全てやった。あとは少しでも一秒でも時間を稼ぐことだけ。隣にいるクロエが助かる可能性を上げる為に。
身構えたシンヤに、最初の一匹の手が届くと思われたその時。
光が差した。
朝日に当てられた屍人は、シンヤに向けた腕から消滅していき、その唸り声さえも掻き消えるようにその存在を消しさっていく。次々と霧散する屍人達は黒い霧となって消えていった。
「……間一髪だったなぁ」
死の刻限は終わり、世界に光が戻る。
死の間際だったとは思えないほどに、シンヤは気の抜けた声で呟くのだった。
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