1章-56話 告白


『……出来るかはわからんが、わしが解呪をしてみる。じゃが、精神に作用する呪法は弱った心をさらに蝕む。意識を取り戻したこの娘が乗り越えれるかどうか……』


 しばらくクロエに声をかけ続けていたシンヤに、アウラがゆっくりと話かけてくる。心配なのは呪いよりも心の傷。いくら声が届くようになったとしても、彼女の弱った心に届くのだろうか。


「アウラ、頼むっ。誰の声も聞こえずにずっとこのままなんて絶対に駄目だっ! おれが……無理矢理にでも助けるっ」


『わかった……ではシンヤ。指輪を、わしをその娘の手に握らせるのじゃ』


 アウラの懸念を遮り、シンヤは声を上げ、すぐに言われた通り自分の右手から指輪を抜き取り、クロエの右手に握らせる。 


「これで、いいのか? おれは何をしていればいい?」


『お主はそのまま手でも握っていてやれ。少し時間がかかるやもしれん』


 木の穴に入る際に指輪の光を弱くしてもらっている為、暗闇に包まれている穴の外を見通すことは出来ない。今この瞬間に屍人が数匹襲い掛かってきたら、どうすることも出来ずに殺されてしまうだろう。


 濡れた身体は少しづつ体温を奪っていくが、狭い穴の中でクロエと密着している為、互いを温め合う形になっている。


 クロエを連れて行かないでくれ。


 目を瞑り、意識の無いクロエの手を握りしめて、いないはずの神に祈り続けた。


 どれだけたっただろうか? 手を握り締め、俯いたままじっとクロエが目覚めるのを待つ。


「……シ、ンヤ?」


 擦れた声が聞こえ、顔を上げると、光を失っていたクロエの瞳に色が戻りシンヤを見つめていた。


「クロエっ。よかった」


「どう、して?」


「ああ、まだ森の中なんだけ……」


「なんで、私、生きているの?」


 困惑している様子のクロエに現状を伝えようとするが、それを遮るように彼女は自身に問いかけるように呟く。


「……っつ!?」


「……あのまま死んでたら、よかったのに……」


「何、言ってるんだよ……クロエ」


 意識が戻ったクロエだったが、その顔には絶望の色しか映しておらず。その声は生きる希望を失っていた。


「村が、皆が、兄さんが死んでしまったの。集めた資料も素材も……何もない。もう、生きていても仕方がないもの……」


「大丈夫だってっ。ロニキスさんも言ってた。まだ生きてる人が必ずいるって……」


「……ロニキスが? ロニキスは……どうしたの?」


「ロニキスさんは……外に、いるよ。様子を見てくるって」


「嘘……死んだのね……」


 とっさに出たシンヤの嘘は一瞬で見破られる。当たり前だ。彼女に嘘は通用しない。目を見開きその瞳から涙を零すとクロエは言葉を続けた。


「わたしのせいで皆死んでいく……わたしが皆を殺したのよっ」


「殺したって。そんなことあるわけないだろっ」


「シンヤはどうして神々が封印されたと思う? ……わたしが、わたしの研究が、魔族に神々を封印させたからよ」


「……っ?!」


 メイフィスの言ったクロエのおかげ、その意味を初めて理解する。


 クロエは石板の研究者、それはこの世界で数少ない古代文字を読めるということだ。


「大襲来以前、わたしは石板の研究にのめり込んでいた。古代の文字を解読し、知らないことを解明する喜びで周囲が見えていなかったのよ。……魔族はそんなわたしに近づいて、封印の方法、理の書き換えの手順、全て聞き出していったの。可笑しいでしょ、自慢気に話していたのよ。……何も気づかなかった。大襲来が起きて、メイフィスが、あの魔族が、わたしに伝えるまでねっ」


「……」


「わたしが……お父さんもお母さんもアルも、そして兄さんを、皆を殺したの。世界を滅ぼしたのはわたしなのよっ」


 あまりにも衝撃的な告白。シンヤは声をかけることも出来ず、ただその言葉を聞いていることしかできなかった。神々の封印、世界の理の改変、そして大襲来、その発端がクロエであるというのだ。


「ね? 軽蔑するでしょ? わたしは世界を救いたかったんじゃないの。自分が起こした事を取り消したかっただけなのよ」


「違う。……クロエのせいじゃない」


「違わないっ。わたしがいなければ、こんな世界になっていなかったっ。皆、死ななくてもよかったのっ。それなのに、何が違うっていうのよっ」


 シンヤの絞り出す言葉を、クロエは声を荒げて否定する。


 彼女の瞳には拒絶がはっきりと映し出されていた。全身に伝わる拒絶の意思、それはシンヤに対してではなく、きっと自分自身に対するものなのだろう。


 今まで燻ってくすぶっていたクロエの不安や後悔が、この状況とメイフィスの呪法によって増幅され、爆発し、自身を否定し続けている。シンヤがこの世界に来て感じた痛みや不安等、どれだけ小さいものだったのだろうか。


 目の前の少女は、今日まで世界という想像もできない程に大きな問題を抱え、それでも前を向き解決へと進もうとしていた。


 だが、打ち砕かれてしまった。


 呪法に蝕まれただけではなく。ずっと前からクロエの心は追い詰められていたのだろう。そして今、守るべき人も死に、少しづつでも進めていた希望を失い。クロエは前を向けなくなってしまったのだ。


「もう終わったの。負けてしまったの。きっと、……希望なんて最初からなかったんだわ」

 

 クロエの苦しみはきっと誰にもわからない。大粒の涙を流しながら話す彼女は、ずっと一人で抱えてきたのだろう。その両手に抱えるにはあまりに大きい責任を果たす為に。


「終わってなんかいないっっ。師匠は、ロニキスさんは信じていた。リュートもセラも生きてるって、あいつらはこのくらいじゃあ死なないって。動けない身体を動かしてメイフィスを倒して、おれに君を守れって、そう言ったんだっ」


「もう無理なのっ。わたしにはもう耐えられないっ。わたしのせいで死ぬ人間を見たくないのっ」


 それでも、シンヤは諦めるわけにはいかない。任せてくれたロニキスの為にも、クロエを守らなくてはならないのだ。


「見ていなくても、人は死ぬだろ。放っておけばきっと近い未来この世界に人はいなくなってしまう。死んだ人の魂はずっと屍人のまま……。それを止めれるのはクロエだけじゃないのか?」


「……っ!? でも……もうどうしていいかわからないの」


「おれがいる。生き残っている人達がいる。だから……」


『シンヤっ。すまぬがもう時間が無いようじゃ。雨の音に紛れていたが屍人の声がした』


「くそっ!」


 外はまだ雨が降り続いていて、シンヤには微かな音もわからないが、アウラには届いていたらしい。話を遮って話しかけてきたアウラの声に漆黒に包まれている外を見て、今日何度目になるかわからない悪態を吐くとクロエに向き直る。


「クロエ、もう時間が無い、屍人が近くまで来てるみたいだ。ここから出よう」


「わたしは、置いて行って……。シンヤ一人の方が逃げ切れるでしょ」


「何言ってるんだっ。クロエを置いて逃げれるわけないだろっ」


「いいから置いて行ってっ。わたしは一人でも大丈夫。わたしが強いの知ってるでしょ? だから一人で行って」


 食い下がるシンヤに大丈夫だと笑顔を作り、先に行くようにと言ったクロエだったが、その笑顔は誰が見てもわかるほどに歪な作り笑いだった。


 自分の心が打ちのめされていても逃げろと言う。


 この世界にきてから何度逃げろと言われただろうか?


 どうして自分の周りの人間はこうも優しいのだろうか?


 だが、今だけは逃げるわけにはいかない。笑顔をつくれるような心境ではないはずなのに、精一杯の作り笑いを浮かべる彼女を置いていけるわけがない。


「そんな笑顔じゃ、だれも騙せないよ。……一緒に逃げよう」


「ごめんね。無理なの。魔力もほとんど残っていないし、身体が上手く動かないのよ。だからシンヤだけでも逃げて」


『呪法の後遺症じゃの。すぐには身体の自由が戻らなんだか』


 クロエの状態をアウラが教えてくれる。メイフィスと戦っている時から魔力が底を尽きかけていたのだろう。そして呪法の影響、だからこそ彼女は自分を置いて逃げろと言うのだ


「いいから、背中に乗れっ」


「でも……」


「クロエが行かないって言うなら、おれもここに残るぞ。君のせいでおれも死ぬ。いいのか?」


「そんなの……ずるい」


 シンヤの命を天秤にかければ、クロエは頷くしかない。それをわかっていた。彼女は絶対に目の前の命を見捨てることなど出来ないのだ。


「どっちがずるいことを言っているか、後で話し合おうか。……さあ、行こう」


 シンヤは微笑み、右手を差し出す。きっと彼女はこの手を取ってくれるだろう。


「本当にずるいわ」


 差し出した手をゆっくりと握ると、クロエは不満そうに声を出した。


 クロエを背負う頃には屍人の唸り声がシンヤの耳にも届き始める。アウラに頼み指輪を強く光らせてもらうと、穴の外にはすでに何匹もの屍人が見え、シンヤ達に気づくと走り出した。


「しっかり掴まっていてくれよ」


「うん」


 穴を飛び出したシンヤは、襲い来る屍人に蹴りを入れ走り出す。幸いにも近くに来ていた奴は数匹だけのようだった。どれだけ穴の中にいたのかはわからないが、雨の勢いは収まりつつあり、微かだが月明りも戻り始めているようだった。

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