1章-33話 屍人の世界



 焦げる匂いが鼻をつく。


 シンヤが初めて嗅ぐ人の焼ける匂い。息を引き取った女を火葬しているのだ。


 この世界では、人が死ぬと屍人になってしまう。それを防ぐ為には死後、首を切り落とすか、燃やし尽くす以外に方法はなかった。


 シンヤと闘った男の首はすでにリュートが切り落とし、男達のうち生き残った一人は気づいたらいなくなっていた。かなりの失血をしているのだ。どこかで野垂れ死ぬか魔物の餌にでもなるのだろう。


 つらい思いをした女を、他の男達と同じ扱いにはできず、クロエが魔法で火葬してやることにしたのだ。


「だいぶ遅くなった。じき、死者の刻限だ。この女はもう屍人にはならん。いくぞ」


 まだ燃えている女を置いて、三人は鳥車に乗りこむ、日は傾き始め、数時間もしないうちに屍人達が溢れてくる。


 急いで走らせた為、騎鳥には無理をかけたが、何とか日没までに最初の野営地である街までつくことが出来た。


「なんとか間に合いそうね」


 野盗に遭遇してから荷車に移っていたシンヤは、隣に座るクロエが安堵の声を漏らすのを聞き、御者台の方に顔を向けて見えてくる街を視界に映した。


「思ってたのより大きい街なんだ。あそこにはもう誰も住んでいないの?」


「ああ、何度か寄ったことがあるが、人はいない」


 想像よりも大きい街を見て、シンヤは人がいないことが信じられなかった。


 数千人以上が住めそうな大きな街の中には、当然のように人影は無く、打ち捨てられた家々がその主を失い、少しずつ朽ちて行こうとしている。


 かつては賑わっていたであろう大通りを進み、比較的痛みの少ない酒場を見つけた。


「クロエ、キロロを頼む。お前は荷物を中に運ぶのを手伝え」


「わかったわ」


「了解」


 空は夕闇に包まれていて、いつ屍人が湧き出してもおかしくない時分だ。シンヤ達は急いで酒場の中に荷物を運びこむと、扉を閉め、中にあった机を扉が開かないよう移動させる。


「なんとか間に合ったわね」


「よかった。また追いかけっこは勘弁だよ。でもこれでようやくゆっくりできる」


 シンヤは大きく伸びをして声を出すと、荷物を投げ出して適当な椅子に座る。


「油断はするなよ」


「そうよ。あまり大きな声を出しちゃダメ。屍人は音に敏感だからすぐにここを見つけてくるわ」


「……ごめん」


 屍人が認識するのは、視覚と聴覚。どういう理屈かは不明だが、人の姿が目に映ると襲い掛かってくるものだという。


 シンヤ達は、比較的損傷の少ない大きな建物を選んだのが、酒場の中は荒らされたのか、多くの椅子や机は壊れていて、カウンターの裏の酒瓶は、そのほとんどが割られていた。


「ちょっと上見てくるね」


「大きな音も立てちゃダメよ」


 周囲を見渡して階段を見つけたシンヤは、キロロを部屋の一角で休ませているクロエに一声かけ、二階を見て回ることにする。


 この酒場は宿も兼ねていたようで、二階にはいくつか部屋があり、そのすべてにベッドが据え付けられていた。


 室内はさして荒らされてはいなかったが、何年も放置されていた為ベッドには埃が積もり、しっとりとした匂いが漂っていた。シンヤは置いてある椅子の埃を払うとそこに座る。


 少し一人で考えていたかったのだ。


 情けないと、リュートに言われた通りである。


 覚悟を持って訓練をしていたはずだったのに、また助けられてしまった。


 足手まといにはならない。そう思ってついてきたのに……。


 結局は迷ったあげくに死ぬところだ。


 一人頭を抱えて悩んでいると部屋の扉が開く。


「やはり、うじうじしている馬鹿がいたな」


「……っ!!」


 部屋に入るなり唐突に言葉を投げてきたのはリュートだった。シンヤは驚いてその顔を凝視する。


「なんだその顔は、阿保に見えるぞ?」


「何しに来たんだよ」


「昼間の件で馬鹿みたいに悩んでいるかと思ってな。面白そうだから見に来てやった」


 シンヤの顔を見て、リュートは鼻で笑うように言葉を出す。


「馬鹿にしに来たのか……」


「その通りだ。あんな雑魚相手に後れを取っている上に、せっかくの好機を不意にして死にそうになっているのだからな。しかもそれを悩んでうじうじと……笑えるな」


「くっ……お前に何がわかるっていうんだっ」


 リュートの言葉の一つ一つでシンヤは抉られるように胸が痛む。


 壁に背を預けシンヤの顔を直視するリュートは、さらに言葉を続ける。


「わかるわけないだろう。お前のような半端な優しさなど、ただの偽善。周囲に被害が及ぶだけだ」


「それでも人が死ぬんだぞっ」


「毎日死んでいるっ。明日には人類すべてが死んでいるかもしれん。それなのに小悪党一人を殺すのにどれだけ悩む」


 正論だ。言われなくてもわかっている。


 これから先、シンヤの覚悟が足りないせいで、さらに人が死ぬのだ。この世界で生きるということは、自分や周囲を守るために、悪意ある誰かを殺さなくてはならない。


「それでも……手が震えるんだ」


「ならお前と共にクロエも死ぬかもしれんな」


「うっ……」


「諦めろ。お前が手を汚さずともすでに世界が汚れている。……お前一人の手が汚れようが誰も気にも留めない」


 言葉の詰まるシンヤに先ほどとは違い、優しい声音が降ってくる。顔を上げるとそこには厳しい眼差しの中に、前に見たことのあるリュートの優しさが見えた。


「お前……もしかして慰めに来てくれたのか?」


「馬鹿かっ! 前にも言ったがお前が死のうが俺は気にしない。だが、お前が死ぬとクロエが悲しむ」


「リュート……」


 クロエの為だと言いつつも、シンヤに励ましの言葉を投げつけたリュートは、静かに部屋の外に出て行く。


「俺はお前の考え方が嫌いだ。あいつを思い出すからな」


 そう一言残してリュートは扉を閉めた。


 その姿を追って、しばらく扉を見つめていたシンヤは、何気なく窓から外を見る。月明りで見える大通りには、数十人の屍人が出てきていて、恨めし気な声をあげながら歩いていた。


 その光景は、結界の外の非現実を改めてシンヤに認識させるのだった。



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