1章-5話 血蜘蛛


「それで魔法だったわね。じゃあ見てて、『フォーゴ』」

  

 クロエが小さく言葉を紡ぐと、彼女の指先から火が灯る。それは大きさで言えばライター程度の火であったが、その驚きと感動は形容しがたい程のものだった。


「……すごいっ!! 本当に魔法だっ!」

 

「火の魔法だとこれが一般的かな。規模が大きくなると詠唱が必要になるし危ないの。火属性以外には水、風、土、光、闇なんかがあるわ」


 感動の声を上げ、クロエの指先を食い入るように見るシンヤは、せっかく彼女が説明している話の半分も耳に入っていなかっただろう。


 そんなシンヤを見て小さく笑うと、彼女は指を振り指先に灯っていた火を消す。

 

「あぁもう終わり……」

 

「また今度見せてあげるわね」


「おい、もう行くぞ。さっさと村に入る。……それとお前、妹に馴れ馴れしくしすぎだ。俺は信用していない、妙な真似したら殺すからな」


 名残惜しそうにクロエの指を見ていると、リュートが離れたところから声をかけてきた。近づきながら睨みつけ乱暴に言葉をぶつけてくる。彼は萎縮するシンヤの脇を通り過ぎるとそのまま森に歩いていく。

 

「兄さんっ、いちいち威圧しないでっ。シンヤは悪い人ではないんだからっ」

 

「お前は人を信用しすぎだ。言葉だけで人を見抜いたつもりになっていると、いつか痛い目を見るぞ」

 

「……妹思いな兄さんなんだね。おれには兄弟いないから少し羨ましいよ」


 クロエはそんな兄の後ろ姿に抗議の声を上げるが、リュートは振り向かずに答える。そんなやり取りを見て、シンヤは彼の妹に対する優しさを感じていた。

 

 幼いころに両親が他界してから本気で心配をしてもらったことが無いシンヤは、むしろ親がいなくなったのを皮切りに、育ての親や周囲の人間にも蔑ろにされて育った。だからなのか、先ほどのリュートの言葉には妹に対する本気の心配が含まれていて、その声音を心地よく、羨ましいとさえ思えたのだった。

 

「お前に何が分かるっ……待てっ! ……何か、来るっ」

 

 言葉を切るリュートが視線を森の左手へと送る。数秒の無音、何事かと耳を傾けていたシンヤに、男達の悲鳴と振動が伝わってきた。

 

「だれかぁぁっ」

 

「ひいぃぃっ」

 

 悲鳴の聞こえてきた方を見やると、そこには数人の男達がこちらに向かって走ってきている姿が映る。そして、その後方には巨大な生き物。数百メートル以上先に見えるその生物は、異様な姿をしていた。

  

 現代の知識に当てはめるのであればそれは蜘蛛だろうか。

 

 ただ根本的に違うのはその姿形、前を走る人間と比べてわかるその大きさは、大型トラックよりも大きい。

 

 化物の正面、口のあたりには関節が二つある大きな鎌が生えていて、左右に六本づつ木の幹のように太い足が生えており、口の上には顔全面を覆うほど大きな瞳が一つ。

 

「なんだ、あれ……」

  

 一目見ただけでもわかる異形な巨大蜘蛛に気圧され、シンヤは動くことも出来ずに呟いた。

 

「血蜘蛛だっ。逃げるぞ、結界まで走れっ!」

 

 リュートは呟きに答えるよう言葉を出すと、クロエの腕を引き走り出す。シンヤもまた走り出そうとするが、どうしてか身体が震えて動かない。



 

 助けを求める男達は必死にシンヤ達に向かって走っていたのだが、血蜘蛛の方が早い。大人の身体ほどもある血蜘蛛の鎌が、男をすくい上げるように振るわれる。

 

 上半身と下半身。


 胴体部分で真っ二つになった身体は、回転するように飛ばされ。


 シンヤの目の前まで、血と臓物をまき散らしながら吹き飛んでくる。

 

 降り注ぐ大量の血液はシンヤの身体を赤く染めあげ、死体となった男の上半身が目の前に飛んできた。


 一瞬死体と目が合う。


「ひっ、うぷぅ」

 

 瞬時に広がる生臭さと、先ほどまで生きていた人間の死体、そして助けを求めような男の眼、シンヤは耐えきれずにその場で崩れ落ち嘔吐する。


 ゆっくりと顔を上げる視線の先では次々と男達が殺されていくのが見えた。


 首を刎ね、足を切り落とし、動けなくなった獲物達を口から吐いた糸で巻き取り捕獲していく。顔を上げていたシンヤと血蜘蛛の目が合った気がした。


 直後、化物は歪な鳴き声を上げ、新たな獲物を見つけたと直進してくる。


 恐怖による硬直だけではない、化物の眼を見たシンヤの身体は、ほとんど動かすことが出来なくなってしまったのだ。


「シンヤっ!」

 

「クロエっ、放っておけっ……」


 手を引かれていたクロエはその手を振り払い、止めようとするリュートの声を無視して駆けだす。


「ちっ……」


 間に合わないと感じたのか、声をかけるのを止め、リュートは背負っていた弓を目にも止まらぬほどの速さで取り出し、矢をつがえ血蜘蛛に放つ。矢は風を切る音を残し吸い込まれるように化物の眼に刺さった。


 顔面に矢を受けた血蜘蛛はその目からヘドロのような体液を噴き出しその速度を落とすが、シンヤに向かって突き進む足を止めることは無い。


 近づいてきた血蜘蛛を見ると、一つの大きな眼だと思っていたものは、数十とある眼が隙間なく顔を覆って一つに見えていたものだった。一つ眼球を潰しただけでは効果が薄かったのだろう。

  

「シンヤ、今のうちにっ」


「……ぁ……っ」

 

 クロエは膝をつき放心しているシンヤに駆け寄ると、腕を引き立ち上がらせようとするが動かない。声をかけてくれる彼女に顔を向け、声を出そうとしているのだが、シンヤの身体も口もうまく動かないのだ。

 

「もしかして魔眼もちっ? 兄さんっ、あの血蜘蛛、麻痺の魔眼を持ってるっ!」

 

 様子を見てクロエはすぐにシンヤの前に立ちふさがり、兄に向かって声を上げる。

 

「わかった、時間を稼ぐ。魔力は平気か?」

 

「うん。今朝使った分はだいたい回復してるから、大きいの一発は打てるわ」

 

 その言葉を聞きリュートは腰に差してある剣を引き抜く。クロエの姿越しに見えるのはリュートが血蜘蛛に向かい走っていく姿だ。


 人間がトラックにぶつかって勝てるのだろうか? 普通に考えればそれは無理な話だ。


 シンヤの身体が動くのであれば『止めてくれ』と声をあげたことだろう。


 名前を知っている人間が跳ね飛ばされる姿など見たくはないのだから。


 だが、結果はそうはならなかった。

 

「ふっ……」


 リュートは息を吐くと血蜘蛛の鎌に剣を叩きつけ、さらにその反動を利用し、上空に跳ね上がると化物の上に乗ったのだ。

 

「やはり硬いな……」

 

 暴れる血蜘蛛の上で傷ひとつ無い鎌を見て呟くと、リュートは持っている剣に力を込める。

 

 その瞬間、剣身が淡く緑に光り始めた。

 

 


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