1章-6話 屍人




  シンヤの目には、あまりの速さに剣が光を帯びた瞬間と、リュートが地面に降り立ったということしか映らない。だが、剣の軌道には緑の残滓が残っており、巨木のような血蜘蛛の足を、一薙ぎで4本切り取ったことは理解できた。


 ほとんどの右足を切り取られた血蜘蛛はバランスを崩すと右に進路をずらしながら勢いを無くし止まる。それでも左の足を懸命に動かし、シンヤ達に向き直るとその鎌を振りかぶった。

 

「クロエっ、準備はっ?」

 

「大丈夫、もう行けるわっ」

 

 クロエは掛けられた声にすぐさま応対すると、その掌を血蜘蛛に向ける。


『ルイスシューバー』

 

 魔法を発動する鍵、その言葉を紡ぐと、クロエの掌に光の玉が現れる。光の玉からは数十、数百の光の矢が現れ、血蜘蛛に向かって次々と勢いよく飛んでいき、その体を貫いていく。

 

 刺さり続けた無数の光は、血蜘蛛の体にいくつもの穴を空け命を削っていく、やがてクロエの掌から光が消える頃にはその体から命の残り香は感じなくなっていた。

  

 血蜘蛛が動かなくなったのを見届けるとクロエはその場で膝をつき、荒く息をつきながらシンヤに声をかける。


 体調が悪いのか彼女の顔色はひどく青白く見えていた。

 

「ふぅ……大丈夫? もう、動けるようになったと思うけど」

 

「ありが……っ!」

 

 クロエに言われ身体に力を入れる。先ほどまではどうやっても動けなかったが、縛られた身体が解けたように自由が戻った。


 ようやく動けるようになり、お礼を言おうと口を開くが、途中で言葉を切る。クロエがゆっくりとその場に崩れ落ちたからだ。支えようと手を伸ばすが、シンヤの手が彼女の身体に触れる前に、駆け寄ってきたリュートがその身体を抱き止めた。

 

「……大丈夫かクロエ、背負って行くからもう寝ていろ」

 

「うん、ちょっと魔力がギリギリだったみたい、シンヤの事お願い。せっかく助けたんだから殺しちゃダメ……だよ」


「……お前っ! 動けるなら必死でついてこい。そいつらに捕まるようなら捨てていくからなっ」

 

 クロエは兄の背中に背負われると、余程疲れていたのかすぐに小さな寝息をたて始める。周囲を見渡すとすでに日は落ち、薄闇に包まれていた。


 リュートはシンヤの後方を睨むように見つめると、苦々しい顔で乱暴に言葉を放つ。

 

「っ……!」

 

 驚愕に言葉が出ない。


 リュートの言葉を聞き、彼の視線をゆっくり追い振り返るとそこに腕が……。


 地面に腕が生えていたのだ。


 シンヤの眼にはスローモーションのように腕が、頭が、胴体が、そして足が、人間一人分が地面から這い出てきているのが映る。……いや、よく見ると土には盛り上がった形跡も穴もない。


 その人間は、地面からというよりも影から出てきているようだった。


 一人出てくると次は早く感じられる。二人、三人、見渡せるだけでも百人以上の人間が次々と影から這い出てきた。

 

「人? ……じゃないっ!」


「屍人だ。行くぞ、全力で走れば追いつかれることはない」


「それって、全力じゃないと逃げきれないって事ですよねっ」


 出てきた人間はそのほとんどが腐敗していて、頬がそげ、鼻が無いものもいれば、髪が残っている個体もある。だが、腐敗しておらず、生きている人間と見まごうものもいた。

 

 視線を逸らせずに固まっているシンヤに、声をかけたリュートはすぐに走り出してしまう。


 人一人を背負っているとは思えない速度で森に入って行くのを見て、慌ててシンヤも走り出す。


 先ほど麻痺していた身体だったが特に支障もなく走り出すことができ、リュートの入って行った森に飛び込んでいく。


 駆け出す音を聞いたのか、視界にはいったからか、屍人は一斉にシンヤ達を追い始める。その動きは想像していた歩いて迫ってくるゾンビとは違い、軽快に走り、追いかけてくるのである。


 個体差があるのか、その速さに違いはあれど、確かに全力で駆けなければ追いつかれてしまうだろう。

 

「怖い怖いっ、やばいってっ!」

 

 人一人背負って走っているリュートと違い、シンヤは何も持っていない上、体力が切れることは無いのだが、目の前を走るリュートに追いつくことができない。


 後方からは3体ほど屍人が近くまで迫ってきていて、さらにその後方には数百になっている群れが追いかけてきているのだ。


 迫りくる恐怖にシンヤは背筋が凍るのを感じた。

  

 走りにくい地形、知らない土地、前を走るリュートの辿った道をなぞるように追いかけるが、木の根に足を取られるたびに屍人との距離は縮まる。


 聞こえてくる猛獣のような唸り声と、後ろを振り返るたびに少しづつ詰まっている距離に、シンヤの鼓動が早くなっていく。




 どれだけ走っただろうか、1時間くらいな気もするし、ほんの数分な気もする。


 シンヤは後ろを振り返る余裕もなくなってしまっているが、次に足がもつれた時には捕まってしまう程に距離は詰まっていた。

 


 すぐ後ろに気配を感じ、絶望がシンヤを包み始めた時、先ほどまで見えていたリュートの姿が掻き消えた。

 

「しまっ……!」


 動揺したシンヤは足をもつれさせ転んでしまう。


 すぐ後ろを走っていた屍人達が一斉に襲い掛かる。


 次の瞬間、風を切る音がして、襲いかかってきていた三体の屍人が地に倒れ伏す。


 シンヤが仰向けに倒れる屍人達を見ると、その全ての眉間に矢が突き刺さっていたのだ。

 

「走れっ! 今のうちだっ」

 

 リュートの声が聞こえ、シンヤは急いで立ち上がると、声のした方へ走り出す。


 何度か耳元を矢が通っていくのを感じたが、振り返らず駆け抜ける。


 先程まで誰もいなかった場所にリュートが現れたのは、シンヤが何かを通り抜けたような違和感を感じた直後だった。

 

「ここから先に奴らは入ってこれん」


 リュートの声で足を止め、後ろを振り返ると屍人達が何かを探すように歩き回っているのが見える。シンヤが違和感を感じた場所に近づいてよく見てみると、薄い膜のようなものがうっすらと見えた。

 

「これが、結界……?」

 

「そこから少しでも出るとまた襲われるぞ。クロエに助けろと言われたから助けたが、自分から死にに行くなら止めんからな……」

 

 シンヤが視界に映る薄い膜に手を伸ばそうとすると、リュートの制止の声で手を引っ込め振り返る。


 ここに至るまでには、生い茂った木々ばかりで獣道を突き進んできたのだが、目の前にはしっかりとした道があった。


 すでにリュートはそこを進んでいたのでシンヤも後ろをついていく。

 

「あの、リュートさん。ここが貴方達の村なんですか?」

 

「……黙って歩け」


 小走りでリュートに追いつきシンヤは声をかけるが、その問いかけを一蹴し、リュートは黙々と歩き続ける。走っていた時とは違い、その足取りは寝ているクロエを起こさないようにしているのか、ゆっくりとしたものだった。



 シンヤは話しかけることもせずに少し離れて歩く。しばらく無言で歩き続けると木々が開けてきた。


 まず目に入ったのは道に建てられている明かり。


 淡く光っているそれは現代の街燈柱によく似ていた。


  

 月明りと街燈注の明かりに照らされ、見えてくるのは田舎の田園風景のようだった。


 一瞬元の世界に戻ったのではと錯覚するが、目の前を歩くリュートの姿に、それはないと思い直しまた歩き始める。



 道の先を見ているとたくさんの家が見えてきて、シンヤはようやく落ち着けると気持ちを楽にしたのだった。


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